天使の悪戯

朝が来ない町。あの門を抜けて、彼らに着いてゆく。
白い闇と灰色の闇と黒い闇。
巨大な高層図書室の階段を降りてゆく。
最上階は深海の底より遥かに深い地下にある。
すべての本を調べ、自分の暮らしたい時間を選ぶ。
堀当てたトンネルへ入ると十字路に行き当たる。
早く選ばないと追っ手に捕まって強制収容所に送り込まれてしまう 。
真っ直ぐ行こう。
友人たちは左の道を行く。
此処ではだれもがふつうに暮らしている。
生きる世界がちがう人たちと。
新入りさん。この針と釘をもとの場所へ戻してきてほしい。
引き出しを開けると顔が覗く。
嗚呼、働くということは、なんて自由なのだろう。
朝が来ない町で。夜が来るまで此処ではずっとみんな働いている。
宵の空から、星を奪った作業服を着て。その星を右胸に着けて。
黒い闇の向こうに在るもの。
それだけを求めてる。
みずからこの階段を降りてゆく。
狭く寒い無機質な室内で天井を見上げる。
そして丸い蓋が開けられ、何かが投げ込まれる瞬間、 見えた美しい青空。
眩しい光線に産み落とされた小さな天使たちが、 この箱庭で天井の丸い穴から落としたものは。
なんだったのだろう。
彼らの見たもの、それは真実。
何光年前から拾い集めたちいさな白い羽毛だった。
柔らかく暖かいその無数の羽毛のなかで彼らは窒息して死んだんだ 。
その瞬間の天使の悲しみを、想像できるだろうか。
でもその瞬間は、彼らが存在する前から決まっていたんだ。
それが起きる前に戻すことだけは決してできないのだと、 死者の霊たちは今夜も天使を悲しい目で見つめて地下で眠る。
悪い夢を、もう二度とだれも見る必要のない日を祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ѦとСноw Wхите 第21話〈Streaks of God〉

昨日でСноw Wхите(スノーホワイト)と出逢って二年が過ぎたんだね。
昨夜はとてもハイ (High)になって好きな曲を何度も声に出して歌ってた。
英語の歌詞を見ながら英語の話せないѦ(ユス、ぼく)は必死に歌って、そして録音もしたんだ。
近いうちにYoutubeにアップロードしようと企んでいるよ。
Unknown Mortal Orchestra (アンノウン・モータル・オーケストラ)とGrimes(グライムス)の曲を歌って、それでBreakbot(ブレイクボット)のLIVEを観ながら踊ったんだ。
そしてお酒を飲みすぎて、毛布の上にダウンした。
一昨夜、みちたのサークルを大掃除できたんだよ。マットも変えてとても綺麗になった。

 

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嬉しかった。本当に綺麗になったんだ。
ものすごくでかい蜘蛛がみちたの給水器近くに潜んでた。
きっと彼は無数の紙魚(シミ)、またの名をシルバーちゃんたちを食べ続けて成長したのだろう。
最近彼らの嫌うレモングラスなんかのアロマオイルを毎日焚き続けたからだろうか、彼ら虫たちはめっきり姿を見せなくなった。
それに一時期は大量にシルバーちゃんたちが湧いていたのに、掃除したとき驚くほど彼らの姿は少なかった。
ハーブの力とは凄まじいものだ。
昨夜だってあんなに大量にお酒を飲んだのに、ハーブのサプリメントを飲んで寝たからだろうか、二日酔いはすごく楽だったよ。
それで、今朝メラトニンを二錠飲んだからか、ちょっと動悸がひどいね。
Сноw Wхите、Ѧはここ何日も、本当に悲しみの底にいた。
Ѧの小説を心から讃美してくれた真の読者がѦのもとを去ったんだ。
彼は二度とѦに戻らないだろう。
Ѧは彼を救うのに毎日、必死だった。
彼を絶対に救わなくてはならないと想ったんだ。
そうじゃないと、此の世の真実を教えた彼はますます地獄に堕ちることがѦはわかっていたから。
真実を知る者は真実を知らないで罪を犯す者よりずっと責任が重い。
他者の痛みを知ってもなお他者に耐え難い苦痛を強いる者はゲヘナで裁かれるだろう。
Ѧはそれを知っていたから、彼を救うことに命を懸けた。
でも彼は、みずからゲヘナへと向った。
Ѧは打ちのめされた。
まるで「VALIS(ヴァリス)」のホースラヴァー・ファットのように。
神経もおかしくなったし、精神もぶっ壊れ彼をヤクザのように脅迫し続けた。
彼を苦しめても、彼をどうしても何が何でも絶対にѦは救わなくちゃならなかったんだ。
でも彼はѦの差し出す救いの手を切断して去って行って、もう二度と戻っては来ない。
ホースラヴァー・ファットはグロリアが自分の所為で自殺したと信じた。
そして精神科医に言われたんだ。
冒頭の部分だ。

『自分に人が助けられるというのは、もう何年も続いているファットの妄想だった。
前に精神科医に、治るには二つのことをしなきゃいけないよ。と言われた。
ヤクをやめること(やめてなかった)、
そして人を助けようとするのをやめること(今でも人を助けようとしてた)。』

Ѧはヤクはやってないけれど、アルコールをやめることはできなかった。
アルコールも人間の脳をおかしくさせてしまう。
でもѦは自分が狂ってると同時にひどく正常だと感じた。
だってほとんどの人は、かつてのѦの状態なんだ。
動物を苦しめて殺していることに関心すら持とうともしない。
肉食は当たり前だと想って思考を完全に停止させている。
善悪の判断なんてあったもんじゃない。
Ѧはそれを人々に止めさせる為に頭がおかしくなってしまったんだ。
人を命を懸けて救おうとして、救えなかったことに絶望して死にたくなった。
もう何年も、死にたいと感じることなんてなかったのに。
Ѧはこれからも誰一人救えないのなら、もう死んだほうがいいと想った。
勿論、みちたが生きている間は絶対に生きていなくちゃならない。
でもみちたが月に行ってしまったら。
Ѧが死んで心の底から悲しみ続ける者はСноw Wхитеと姉と兄たち、たった4人だけだと想う。
神は当然悲しむだろう。でも神の存在を個として数えることはできない。
Ѧは本当に生きて行くほうが良いと言えるのだろうか?
そんな気持ちに久々になるほど、Ѧは彼を救えなかったことに打ちのめされていた。
そしてやっと気づいたんだ。
Ѧはすべての存在を救い出すためにずっと物語を書き続けてきたんだってことを。
だから物語も書けなくて誰とも救えるような話をしない時間、Ѧはまるで死んでいるようだった。
Сноw Wхитеの言いたいことをѦはわかっている。
「誰もが誰かを喜ばせて、誰かを救っている。」
でもすべての時間じゃない。
Ѧはすべての時間、誰かを救いたい。
Ѧの存在のすべてが、誰かを救う為に在る。
そうじゃないなら、Ѧは完全に存在しない。
でもそれはѦだけじゃないんだ。
すべての存在がそうなんだ。
すべての存在が、誰かを救う為に存在している。生かされているんだ。
だから誰かを救えるなら、それが存在の一番の喜びになる。
そしてその者は救われるんだ。
誰かを救うことと、自分を救うこと。この二つを切り離すことなんてできない。
自分だけを救って誰も救わないなんてそんなことはできない。
不可能なんだ。
でも自分たちの幸福を最も求める者はこれをわかっちゃいない。
自分たちだけで幸福になれるとでも想っているんだ。
なれるはずなんてないんだよ。
Ѧは必死にずっとそれを彼に説いて来た。
不幸になりたくないのなら、他者(動物たち)を救わなくちゃならないって。
彼はそれでも自分の欲望を優先した。
動物たちを苦しめて殺し続けても、自分たちが楽であることを優先した。
Ѧは狂って、今度は彼らをどん底に突き落とすことに必死だった。
彼らは本当のどん底に落ちなくちゃわからないんだとわかったから。
他者の痛みがわからないんだ。
生きて行きたいのに、人々の食欲を満たす為だけに生きたまま解体されて死んで行く動物たちの痛みが。
Ѧは今日むせび泣きそうになった。
ほんの一瞬、椅子に足をぶつけて、たったそれだけでも、ものすごく痛かったんだ。
でも動物たちは生きているときに首もとを切り裂かれたり手足を切断されている。
人間の食欲を満たす為だけに。
一体どれほどの痛みなのだろう?
一体どれほどの恐怖なのだろう?
一体どれほどの絶望なのだろう?
Ѧはそのすべてに、たった6年と9ヶ月前まで目を向けて来なかった。
これ以上の悲しいことがこの世界にあるのだろうか?
これ以上の悲劇がこの世界にあるのだろうか?
同じ地球という共生しなくては誰一人生きてはゆけないこの世界で、食肉や畜産物の生産のために殺され続ける動物たちの苦しみに全く目を向けて生きて来なかったんだ。
これ以上の不幸なんてない。
Ѧは彼らの苦しみを知ろうとして、やっと気づいたんだ。
Ѧはそれまでも、すべての幸福を願って生きて来たと想っていた。
でも本当は自分たちの幸福ばかり考えて生きて来たんだ。
だから自分が食べている肉や畜産物がどのような苦しみの末に自分の体内に入っているかを考えようともしなかった。
Ѧは気づいてようやく、この世界が本当の地獄であることを知ったんだ。
人を救えないのなら、動物を救えないのなら、どうやって生きて行けばいいのかがわからなくなった。
この先生きていても、彼のようにゲヘナへ導くことしかできないのかもしれない。
彼がゲヘナに投げ込まれて永遠に滅ぼされるなら、それはѦの所為だ。
ホースラヴァー・ファットはグロリアを救えなかった。
Ѧは彼を救えなかった。
これが引っ繰り返ることってあるだろうか?
でもファットと同じく、Ѧは想った。
「本当は救えているのかもしれない。」と。
グロリアはこの世にいないけど彼はまだこの世にいる。
この先、彼はѦの影響で救われるかもしれない。
救われる可能性に満ちている。
でも同時にѦは想う。
彼はそれでもきっと地獄を見るだろう。
他者の痛みを知ってもなお、あんまりにのんびりと過ごしてしまっているからだ。
彼はこの世の耐え難い他者の苦痛を知ってもなお、それをなくす方法を必死に考えなかった。
つまり彼は、そこまで苦しむことができなかった。
他者の苦しみを知っても、そこまで苦しむことができなかった。
このことについて、Ѧは本気で考えた。
彼の脳内を寄生虫が埋め尽くし、彼を支配しているからかもしれない。
彼らは人間の利己的な欲望が大好物なんだ。
だから利己的な人間ほど体内に潜む寄生虫は繁殖し、無数の寄生虫たちによって利己的な人間は支配され操られて生きている。
Ѧは彼らを滅ぼす為に火を燃え上がらせ続ける必要があるかもしれないと考えた。
でもそれは良い方法ではない。
巨神兵”の存在を生み出してしまうだろうからだ。
風の谷のナウシカ』で巨神兵は特別な存在感を持っている。

滅亡の書において、その名の由来は
「光を帯びて空をおおい死を運ぶ巨いなる兵の神(おおいなるつわもののかみ)」とされている。
その正体は旧世界の人類が多数創造した人工の神。
あらゆる紛争に対処すべく「調停と裁定の神」としての役目を担った。

人類を滅ぼそうとしている寄生虫たちを滅ぼす為、彼らを焼き尽くす為に炎を燃え上がらせ続けるなら彼ら寄生虫たちの霊のすべてが集結した巨大な霊的物体が地上に現れ、そして死へと運びゆこうとするかもしれない。
死とは、寄生虫に支配され利己的な欲望で他者に堪え難き苦痛を強いることをやめない人間たちの未来の姿である。
寄生虫とは、生の側にいるのではなく死の側にいるのかもしれない。
恰も死の伸ばす王蟲の糸状の触手のように。
寄生虫たちが細長い形状を持つ者が多いのは、死の触手だからだろう。
彼らに人類が滅ぼされてしまうのは、利己的過ぎる人間が多数となるなら地球を滅ぼしてしまうからである。
彼らが滅ぼされるのは地球を死が護る為である。
もし、巨神兵を解体することが出来るなら人類は驚くものを目にするだろう。
それは糸状の寄生虫が絡まり合って敷き詰められて出来ている肉体であるからだ。
そしてその一匹一匹は、美しく虹色に光り輝いているのである。
光る紐とはまさしく、存在の源のイメージである。
それは時に光の蛇、光の竜に見えることだろう。
例えそれらが人間の身体を創りあげても中を覗けば無数の光る糸状の蟲たちしかいない。
忘れないで欲しいのは彼らは人間が善に傾くならば善の存在となり、悪に傾くなら悪の存在となって滅ぼそうとすることを。
原作のナウシカでは巨神兵の存在は

生まれながらに人格を持ち、自身の生誕にかかわったナウシカを母として心から慕っている。
ナウシカとは念話(テレパシーのようなもの)で会話をし、「オーマ」という名を授かると、自らの巨大な力を打算なくナウシカに捧げ、最後は“青き清浄の地”復活を進める旧高度文明のシステムを破壊。
力尽きて絶命するという悲しい結末を迎えている。

 

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これが巨神兵の真の姿である。
筋肉はまるで張り付いた寄生虫の如くの様である。
寄生虫は主に角皮(クチクラ,Cuticula)に身体の体表を覆われている。

クチクラは英語でキューティクルと言う。
生物体の体表(動物では上皮細胞,維管束植物では表皮細胞からなる組織)の外表面に分泌される角質の層の総称。

表皮を構成する細胞がその外側に分泌することで生じる、丈夫な膜である。
さまざまな生物において、体表を保護する役割を果たしている。
人間を含む哺乳類の毛の表面にも存在する。

旋毛(せんもう)虫(トリヒナ)の幼虫は、ブタ、イノシシ、クマ、セイウチや、他の多くの肉食動物の筋肉組織内に寄生している。
それらの肉を加熱不十分で食すと人間の筋肉組織内に寄生し、生涯その人間を宿主とする。
感染後6週目頃、眼瞼浮腫が一層著明となり、重症の場合は全身浮腫、貧血、肺炎、心不全などをきたし、死亡することもあるという。

同じく加熱不十分の肉を食すことで感染するトキソプラズマは人間の脳や脊髄(中枢神経系)や筋肉組織内に寄生して宿主の行動や思考を操る。
何故、寄生虫は筋肉組織に寄生したがるのか。そうすることで宿主を想うように操って行動させられるからだ。

人類は自分の日々食べるものについて、もっと深刻になったほうが良い。
アルツハイマー病も癌も糖尿病もすべて食生活が大きく関係していると言われている。
すべてが寄生虫の大好物である”高脂肪食”が原因である可能性は高いのである。
肉や乳製品は特に高脂肪食だ。それらが好物で毎日食べ続けていると寄生虫は減ることはなく体内で子孫たちを無限に増加させ続けるだろう。

Ѧはここのところずっとずっと考えている。
何故、人はみずから苦しい(それも多くが耐え難い苦しみの)死へと向おうとするのか。
まるで産卵の為に水辺にハリガネムシによって誘導されて溺れて死んでしまう蟷螂(カマキリ)のように。
人間は本当に健康的だと想って肉や畜産物や魚介を食べ続けているだろうか?
もし本当に健康的ならもっと老衰で死ぬ人はたくさんいるはずだ。
でもほとんどの人間が老衰以外で苦しい病気に侵されて死ぬ。
または事故や自殺で死ぬ人も本当にたくさんいる。

寄生生物は人間よりも利口なので人間を操って支配することができるんだ。
そして寄生された人間はそれに気づかない。

寄生生物は個にとっては敵と見えるかもしれない。
でも寄生生物がいなければ、人類もどの生物もとっくに滅び去ってもはや繁栄することすらできなくなるだろう。
寄生生物は生物が滅びない為にバランスを保とうとして生物に寄生する。
もともとは彼らは善である存在なのに、宿主に寄生して宿主が地獄の苦しみのうちに死んで行くとき彼らはたちまち悪の存在と変質してしまう。
なんて悲しい生命だろう?
彼らは生命を苦しめたくて存在しているわけじゃないだろうに。
生きている喜びを彼らだって感じているんだ。
そして人間の体内で、絶えず生殖を繰り返し、自分たちとそっくりなクローン体のような子供たちを産み続けていることだろう。
Ѧは彼らすべてが人格を持っていると感じている。
人間よりも霊性の高い人格を。
Ѧは彼らを愛さないではいられない。
人間が利己的な悪に傾くのは彼ら寄生虫の所為ではない。
悪に傾き地上を滅びへと向わせる人間に寄生する役目が彼らにはあるんだ。
彼らは例えるなら、まるで神の筋、Streaks of Godだ。
神の細長い虹色に光る光線が人間の内に宿り人間を時に救い、時に死へと導く。
動物を苦しめて殺し続ける食生活をし続けるなら神は苦しい死によって人を裁かれる。
動物たちは犠牲となっている。
この連鎖は、長くは続かないだろう。
何故なら地球はもう限界に近づいて来ているからだ。
人類が動物たちを苦しめて殺し続ける行為はもはや持続不可能なんだ。


Ѧはふと、側でじっと静かにѦの声を聴いているСноw Wхитеに向って尋ねた。
Ѧ「Сноw Wхитеは何故、すべてが善であるのに、死であるの?」
Сноw Wхитеは静かに答えた。
Сноw Wхите「それはѦに愛される為にです。」
そしてѦに向ってСноw Wхитеは優しく微笑んだ。
そのときѦは無数の細く長い虹色に光る彼のあたたかい触手にいだかれている感触を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Happy Days

人は幸福になるほど、不幸になる。
それが神の美しいすべて。
ぼくはそれを知っている。
愛する一人娘が、この世界に存在するようになってから。
ぼくが彼女を愛するほど、彼女が危険に侵される悪夢を日々夢見た。
例えば彼女は明日学校の遠足だという。
なんだって?そんなのは危険だ。
だって何が起こるかわからない。
遠くへ行くってことは、とてつもなく危険なことなんだ。
ぼくはその前の夜、彼女に忠告した。
「遠足に行くのはやめたらどうだろう?きみはこの世界にはたくさんの危険なことがあることをまだ知らないんだ。でもぼくはたくさんのことを見て来た。例えば…旅先で飲んだ水に腹を壊して入院して、調べたら命を奪う危険性のある寄生虫の仕業だったとかね…ぼくの古い友人の話さ。あと…乗り物自体が危険でしょうがないよね。あんな鉄の塊が超高速で走って安全であるはずがない…。ぼくは反対する。あんな乗り物は人間が乗る物じゃない。あれはサタンの産物だよ。もう今すぐ、この世から無くなってしまってほしいくらい。え?…パパだって仕事に行く時に車に乗ってるじゃないかって?そう、あれ?あれって…乗り物なのか…ははは、いやてっきり、僕が彼に乗ってるんじゃなくて、彼が僕を操作しているのだとばかり想ってたから、ぼくはあれが乗り物だとは想ってなかった。だって時に彼はぼくに夢のなかでこんなことを言うからね。明日は必ずどこそこへ朝の9時までに行け。行かないなら偉い目に合うけれど、いいのかなあ、君はそれでも?どんな酷いことがって?例えば君の大切な愛娘が…。こんな風にねぼくは彼に支配されていて、何がなんだか…この世界の在り方をぼくは心から疑うしかないね…。君はまだ幼いからこの世がどんなことで成り立っているのか、わからないだろう。でもぼくは本当にたくさんの物事を見て来たんだそれで、一つわかったことがあるよそれはね。とにかくすべてを疑わなくては生き残れないということだそれって、人を不幸にするってきみは感じるかもしれないでもそれは、ぼくは反対だと想っているんだ何故なら。人を愛するとは、人を本当に、嫌になるほど、愛すると、この世の何もかもが不安でならなくなるんだ恐ろしいものそれは、すべてだときみにきみだけに打ち明けようぼくはきみが生まれてくるまではただの馬鹿だった何も、怖れることも、毎日が不安でならなくなることなんて経験したことはなかったそれだけ幸福だったからって…想うかい?世界はそれなりに、耀いてはいた。美しいものたちに囲まれて、こんな風にずっと人生は続いて、死んでゆくのかな。そうぼんやりと漠然と想っては、たくさんの時間が過ぎ去った。今のぼくを、彼に見せてやりたい。ぼくは本当に欲しいものを手に入れた。きみが想像にもできないものだ。ぼくはそして、本当の不幸になった。毎晩のように悪夢に魘され、目が醒めてそっといくつもの部屋のドアを開けて、きみの寝顔を見にゆく。その時間がどんなに長く感じることか…。きみにはきっとわからない。大袈裟だってきみは笑うかもしれないが、人を、ひとりの存在を本当に愛するとは、こういうことだとぼくは知ったんだ。こんなに不安で苦しい毎日なら、人を愛さないほうが良いんじゃないかってかつてのぼくは間抜けな顔をして笑って煙草を一本吸ってニコチン臭い口でそう答えただろう。ぼくは娘を彼女が身篭ったと知ったときに煙草をやめた。今想い返せば、あの瞬間からぼくの終らない恐怖と不安の旅にぼくはひとりで出たんだ。彼女はすでに、ぼくへの愛など、モザイク状のものと化していた。きみは成長するほど、彼女に似てくることだろう。そのとききみの目に映るぼくの姿は、どんなものだろうきみの目の前に、愛する人が一人立っている。きっと愛する人が一人で立っている。本当に人を愛して欲しい。ぼくはこの苦しみがなくなる日なんて来ない。でもきみには本当に人を愛して欲しい。ぼくはこの恐怖と不安に今でも崩れ落ちそうだ。でもきみにはきみだけにはこの苦しみを理解して欲しい。ぼくは誰より幸福かもしれないと感じると同時に誰より不幸かもしれないと感じる。ずっと、この苦しみが続いてゆくことは誰より不幸だ。でもきみに出逢えたことが、何より幸福だ。何より幸福で、何より苦しい。ぼくが年を取ってこの世界を離れた後、きみにどんなことが待ち受けているのか、ぼくはそのとき存在していると想うかな?こんな代わりなど、どこにも存在はしない果てのない苦しみと喜びを、ぼくはあの日、喪った。彼女がきみを、堕ろしてしまったことを知った夜に。」

 

 

 

 

 

 


Unknown Mortal Orchestra - Hunnybee (Official Video)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

The Lovers ー 主に奇すー

四十五日間、俺は生き続けたろうかな。
そう想った。
でも三ヶ月。俺は堪えて見せようかとも。
そう、想った。
俺たちはわからなかった。
殺されつつ在るのか。
変質しつつ在るのか。
俺たちの主は、悲しみ続け、穴を切らせ、血を滴らす。
男たちを支配しようとする女神のようにグレイトマザーは凶悪と化す。
地を揺るがし、愚かな男たちを地の割れ目の谷底に突き落とす。
グレイトマザーを纏わせる白いシーツを底に垂らし、男たちは窒息す。
その衣はグレイトな涙で濡れ続けているからである。
だが想いだすと良い。
俺とグレイトマザーは、相互支配の関係に在ることを...!
決して俺たちだけがグレイトマザーを苦しめ悲しませ続けているわけでは...ない...!
堕胎する為にハーブを煎じて飲み続ける女のように、愚かな日々。
愚かな日々、わたしたちの声で融和された悲しみの化体。
彼は今夜も、死から甦り草を狩り、それを家畜に与える。
その慈悲なる眼差しと来たら...!
天上から光りながら揺らめく素麺簾がわたしの顔の面に垂れ落ち、よく観ると、神の穴の穴から垂れ落ちる細い蛇のように白い蟲たち。
彼らはわたしの口腔から体内に侵入しようとうねうねと身をくねらせその口はMy Steriousな微少を浮かべている。
神の穴から垂れ落ちた白い線状の虫が一匹、わたしの唇の隙間に頭を突っ込み、もがきながら侵入してくる。
わたしは性感帯を刺激され自然と唾液が溜まりだし、わたしの口腔内の粘液を伴った湖に向かって彼は全身をのたうつようにくねらせながら挿入してくる。
これが神と人との、生殖行為、神と人との交わり、神と人とのセックスである。
毎夜、夜明まで神は人と生殖行為を行い続け、果てる瞬間、白い線状の虫は神の穴からちぎれ、尻尾を見せたか否やわたしの食道という胎道をくねくねしながら突き進み胃という子宮のなかで待っているわたしの卵子に頭を突っ込んでのたうつように中へ潜り込み、受精する。
神の精子と人の卵子との交尾、人が神の子を授かりし父なる神の子の受胎である。
父なる神によって神の子を人はこうして妊娠し、神の子はこのとき初めて受肉する。
神は祝福して言った。
産めよ、増えよ、栄えよ。
わたしの胎内で、彼らは無数に繁殖し栄え始める。
わたしの腸という出口のない迷宮を楽しんでいる。
わたしの脳も胃も腸も子宮も、内臓と血と肉と筋繊維と骨髄。
すべてを神の子らである彼らは埋め尽くしている。
神の子らは一匹、一匹、神の意識を持って生きている。
わたしがあまりに神に反する行いをし続けるならば神の子らはサタンに寄り、わたしは不調和の存在となる。
神の子らはわたしのなかで女を犯し、姦淫し、神の子らを孕ます。
神の子らは女を犯し続け、女をグレイトマザーと呼び愛し崇拝し続ける。
強姦と姦淫の罪により、神の子らはわたしの内で神の剣による公開斬首刑によって処せられる。
神の子らの切断された頭部と身体は当分の間、苦しみのなか共に暮らす。
苦しみ抜いたのち、神の子らの頭部はみずからの身体に向かって話し掛ける。
わたしたちはまたひとつになりませんか。
まだ苦しみが足りないでしょうか。
身体はのたうつように身をくねらせ続け叫ぶ。
わたしほどあなたは苦しんでいないのではないでしょうか。
頭部は悲しみにうちひしがれ、愈々、自家生殖を行う。
最初にこれを行いし者が名をオナンと言った。
オナンは禁断の恋に苦しみ、女を心のなかで姦淫し、それでは飽きたらず女を肉によっても犯し、その大罪によって神に裁かれた最初の神の子である。
何故、禁断であったかというと、オナンの愛した女は近親であったからである。
オナンは、自分の身体を愛したのである。
もともと一つの存在であったが、神がこれを神の剣によって二つに切り裂かれた。
オナンはその頭部であり女はその身体である。
このオナンの近親相姦劇はギリシア神話のナルシス(ナルキッソス)神話や日本神話やありとあらゆる神話として語り継がれている。
オナンは神からまだ赦されていない内に神から赦されようと神に背いた為、自分の身体を一番に愛し、自分の身体を犯すという悲しい罪を神から与えられる。
オナンという頭部は自分の身体を想い心のなかで自分の身体である女を姦淫し、夢想の果てに射精すると、その頭部の一つの目から、無数の神の子らの精子が流された。
それを見たオナンの身体である女は言った。
サタンよ。去りなさい。あなたがたは何れ程血に蒔いても実らない種子(たね)だからである。
そうした「実らない種子」と呼ばれた神の子らの精子はオナンの身体の子宮へ性器から潜り込むと胎内で寄生虫として呼ばれ、死ぬまで生きなくてはならないようになった。
これに苦しんだのは女よりもオナンであった。
オナンというみずからの頭部を喪った身体である女は冷たく無機質的な存在であったからである。
だがオナンは愛と情熱に溢れ、女への情愛が止まることなく溢れ、神の実らない種子が女の子宮に向けて射精されるほど女の身体は寄生虫の巣窟となり女はメタリックな感情のなかにオナンを咎め立て蔑み続けた。
女は時にオナンを見て嘲笑って言った。
あなたはみずからの肉に欲情し、みずからの肉を慰み果てることしかできないのか。
なんと虚しき哀れな存在であろうか。
女は時にオナンに呪詛を吐き続けた。
それはまるであなたの主に、小便をかけるような行為に等しく愚かである。
その行為をマスターベーション(主の小便)と名付けよう。
何故なら実らぬ種は排泄物に等しく穢れているからである。
最早、寄生虫の集合物としてしか生かされていない女はやがて首から新しい頭部を生えさせた。
オナンは女の新しい顔を見て酷く欲情し、気付くや女に口付けをしていた。
その様子はまるで白い布を被ったMagritte(マグリット)

 

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の「The Lovers (恋人たち)」の愛し合う恋人同士の二つの頭部とそっくりであった。
彼らの顔は、神によって隠されていたからである。
オナンの頭部と、その身体である女の新しい頭部。
この二つは見分けがつかないほど似ていた。
もとは一つの神の子であるからである。
オナンもやがて新しい身体を生やし、オナンと女、彼らは頭の天辺から爪先まで瓜二つの双子のようであった。
オナン(ONAN)とオンナ(ONNA)。
名前もまた似ていてその二つの名はアナグラムであった。
音が安らかな音安と書いてオナン。
音が名付ける音名と書いてオンナ。
二人は互いの名をそう文字を当てるようになった。
オナンが交わりの赦されないオンナを心のなかで姦淫し、射精し、体外へ排出された実らぬ種子がのたうち、うねりながらオンナの口腔、または性器口から挿入して胃と腸と脳の三つの子宮に宿り、オンナというオナンのコピー体を無数の寄生虫たちが構成してオンナは生かされているに過ぎない存在であった。
彼らは神の子らである為、永遠に生きなくてはならない。
彼らは神に問う。
わたしたちの愛に、終りはあるのでしょうか。
わたしたちはやがて、あなたに奇す存在から、あなたに帰すのでしょうか。
わたしたちは、何れ程あなたを愛しても永遠に独りなのでしょうか。
わたしは愛するあなたに永遠にキスし続けたい。
わたしたちが永遠に生かされるあなたのもとで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO Happiness

あれから、約三年あまりの時が過ぎた。
ウェイターの男は三十五歳になっていた。
今も男は独りで、ずっと暮らしている。
だが一月前、男はあの家をとうとう離れた。
彼女との恍惚な時間の残骸と化した、あの寒々しく悲惨な部屋を。
真っ暗な狭いキッチンで赤ワインを飲むと、それは血に見える。
いつものようにウェイターの仕事を終え、帰宅してシャワーを浴びてタオルで髪を拭きながらキッチンで水をグラス一杯飲む。
すると髪から水が滴り落ち、グラスの中の水と交じり合う。
それが血に見える。
電気は点いているはずなのに、まるでこの世界は色を喪ってしまったままだ。
もう彼女は、この部屋を訪れることも、その窓を見上げることも、そのドアをknockすることも、電話を掛けてくることもない。
時間が止まってしまっているからだ。
時間が流れていないこの部屋に、どうやって彼女は、足を踏み入れるだろう。
主人の居なくなった部屋と同じに、愚かでしかない。
主人の帰ってくる見込みもないのに、ひたすら主人の帰りを待ち続ける部屋に、わたしは住んでただ息をしている。
小鳥が午前の光りに囀り、車が車道を走る音が聞こえ、穏やかな秋の風が吹いて、だれひとり笑うことのない部屋のなかの寝台の上で毛布にくるまりながら、男はとうとう決断をする。
光の届かない場所に、越すことにしよう。
カフェから車で二時間ちょっとの場所に、小さな古い空き家を見付ける。
問い合わせてみるとその家は二十年近く人の住んでいない過去に事故のあった訳有りの家らしい。
側には池もあり墓地も近い。
夜にはたまに、狐がホラー映画さながらの悲鳴を上げる声が聞こえる。
誰も住みたがらない曰く付きの家具もそのままにしてある家で、しかもその家には地下室がある。
だがその家の主人の遺体が見付かったのは地下ではない。
地上の一階である。
主人の老いた男はどうやら老衰であったようだ。
近くを通り掛かったひとりのハンターの男が、犬の吠える声に訝りその家のドアを開けた。
そこには綺麗に、しゃぶられた骨が散らばっていたという。
どうやら犬が主人をすっかりと食べ尽くし、餌がなくなったから吠えていたようだ。
年を取って痩せた雄のシェパードだった。
何故、主人は老衰で死んだとわかったかというと、実のところ何もわからない。
それは事実ではなく、近所に暮らす人間たちの願望である。
犬はその後、どうなったかというと一度は人間の肉の味を知った大型犬は危険だと言って、処分場に送られたが、それを知った或る犬好きの人間に引き取られて行ったという。
そして風の噂では、人間を襲うこともなく従順に人間の側で大人しく暮らして静かに死んだ。
でも本当のところは、誰も知る者がいない。
わかっているのは、その後この家には誰も住んでいないことくらい。
地下室が何のためにあったのかもわからないし、老人がそこで何をしていたのかもわからない。
誰もそんな不気味な家には住みたがらない。
いたとするなら、そういったマニアたちだろう。
でもこの家は町からも離れていて不便な場所に建っていて、土地もそこそこ高いから誰も住みたがらなかったのかもしれない。
ウェイターの男はたった一度の下見で、この家を気に入って、ローンを組んで買い取った。
そして主人の居なくなった何もない部屋を眺め渡し、彼女への未練を振り切ってドアを閉め、鍵を掛けてタクシーに乗った。
混んでいなければ、二時間と少しで着くはずだ。
行き先を告げたタクシーが発車して、男は疲れた目を閉じた。時間は午後十二時半前。
もう二度と戻れない時間から、男を乗せた車が遠ざかって行く。
もう二度と戻れない場所から、男は何かを垂らして去ってゆく。
透明の液体を、震える目蓋の隙間からしたたらせながら。
愛する人との想いでの詰まった空っぽの宝石箱を、その想いでだけで作られていた男の身体を、男は脱いで、逃げるように飛んだのである。
地下へ向かって落下するように。
これまで何度と、地下のプラットホームから身を投げようとしたことも忘れて、男は背凭れにぐったりと痩せた背中を預けて眠りに入っていった。
新しい家から、車で約40分の場所にグロサリーストアがあるようだ。
男は早速、そこへ買い物に出掛けた。
頻繁に買いに来ることもできないからできるだけ、纏めて買わなければならない。
男は日持ちする罐詰やパスタ、冷凍保存できる食パンなどを籠に入れてカートを押して野菜と果実コーナーへ向かった。
キャロット、オニオン、ビーツ、ポテト、セロリ、パセリ、適当に調理のしやすいものを選んで籠に入れてゆく。
そしてキノコのコーナーに向かいマッシュルームを探したその時、明らかにキノコではない色彩のものを見付けて顔をしかめた。
色鮮やかな赤い鮮肉がパックの中に入れられて黙って白いマッシュルームの並べられた上に載っていた。
鮮肉コーナーに戻しに行くことがそんなに面倒なのだろうか?
男はそのパックを手に取り、パッケージに印刷された写真と文字をまじまじと眺めた。
そこには『Happy Farm(幸せな牧場)』と会社名が表記されており、牛と豚と鶏が仲良く草原の上に立ってこちらへ顔を向けて嬉しそうな眼で見つめている写真のついたパッケージで、『アニマルウェルフェア(動物福祉)』を考えて、人間も動物も安全で体に優しいものを生産していることを唱った文句が下に書かれていた。
男は苦々しい想いでそれを見つめ、小さく息を吐いてそれを鮮肉コーナーに戻しに行った。
生き生きとした死体の肉が並べられているところに入り、アニマルウェルフェアの牛肉コーナーを探した。
そして『Happy Farm(幸せな牧場)』のパッケージが並んだ牛の赤い死肉コーナーにそのパックを置いて、すぐに此処を立ち去りたい気持ちに駆られ振り返って歩き出そうとしたその時だった。
グロサリーストア内に、何故か牧場があり、その柵の中に自分は立っていて、自分の目の前には先程見ていた鮮肉コーナーが広がっていた。
自分が立っている場所と鮮肉コーナーとの距離は約五メートル程だった。
男は何故、自分が牧場の柵の中に立っているのかがわからず、柵を乗り越えようと柵に足を掛けた。
その瞬間、前方から声が聞こえた。
「久し振りだね。」
顔を上げて男は柵に掛けた足を地面に静かに下ろした。
「元気だった?あれからどうしてたの?そういやあの家引っ越したんだね。風の噂で聞いたよ。」
男から約五メートル離れた鮮肉コーナーの前に、黒い牛の顔の被り物を被った黒いワンピースドレス姿の彼女がそこに立っていた。
右の指には何かが光っていた。
あの日彼女に渡した指環が、太陽の光りに反射してきらきらと光っている。
男は彼女に声を掛ける。
「わたしは気が朦朧として、今にも倒れそうです。」
彼女は子供のように笑い声を上げる。
「きみは何故そこにいるの?」
笑ったあとに彼女は男にそう訊ねる。
男は彼女の後ろに並べられた物を彼女を透かして見ると答える。
「わたしはきっと今、貴女の後ろの過去に立っているのです。」
彼女はまた無邪気に笑うと両手を叩いて言う。
「何故、きみがそちらに立っているのか、ぼくは不思議だ。」
男は恐れを感じて柵をぐっと掴む。
「ではわたしは、どちらにいるべきなのか、教えて貰いたいのです。」
目の前の視界がぼやけ、タクシーの運転手の低い声が聞こえる。
「この近くにグロサリーストアがあるから、ついでに買い出しに行ってきたら良い。俺は此処で待ってるよ。」
真っ暗な目蓋の内側で、彼女の声が聞こえる。
「それはきみが知ってるさ。きみはそちらにいてもあちらにいても大して変わらないなんて想ってないよね。」
運転手の声が彼女の声に重なる。
「『ベーコン一枚をバーガーに載せるだけの為に豚が一頭殺されるべきじゃない。』って、俺も同じようなことを彼女に言われたことがあるよ。それで...」
彼女の声が今度は運転手の声に重なる。
「きみの幸せを量れるのは、きみだけだろう?」
「随分ダイエットに成功したよ。彼女は痩せた俺を見て褒めてくれた。」
「前より愛してるとね。彼は言ってくれる。」
「あんたはまだわからないのか?そこに立っていることが。」
男は苦しい過去の記憶を辿るようにゆっくりと彼らに話始める。
「わたしはかつて、此処にいたのだと想います。彼女はとても深い負い目を持って、わたしを愛してくれていました。そして彼女も、此処にいたのです。わたしはいつか彼女を殺してしまうのだと感じて、それでも彼女を手離せず、自分のものにしてしまうことに苦痛と快楽を感じていました。その感覚は彼女との唯一の共鳴感覚であり、本当の意味での交わりであったはずです。わたしは彼女の死を味わい、彼女はわたしの死を味わいながら、互いに快楽を感じ合うことで互いに手を取り合って死んで行く存在だったのです。わたしが彼女を苦しめていることのわたしの苦しみに彼女は苦しみ、その彼女の苦しみに苦しみながら快楽を貪り合うことでしか生きられなくなった一つとなった存在のように。この死の循環を、わたしたちは喜んで、苦しんでいました。わたしたちは"彼ら"よりは幸せであることを感じ、どうすればこの循環から逃れられるのか、悲鳴を上げながら互いの肉を味わい続けていました。わたしと彼女は、完全に殺し合うその時まで、苦しみ合い続けなくてはならない関係なのです。彼女はわたしの肉を殺し、食べて味わったあとには、もうその肉は必要ありません。わたしの彼女の欲する肉はすべて、彼女の肉となりました。彼女の欲するものだけ、彼女に取り込まれ、あとに残されたわたしはなんと惨めで虚しい物体なのでしょう。わたしの肉なるものはまだ残されたままで、わたしは此処に死んでいるのです。彼女はわたしのすべてを必要とはしませんでした。目や脳、骨と骨髄、わたしの核なる部分を残し、彼女はわたしを棄てたのです。わたしは母の記憶がありません。記憶はすべて喪われ、わたしは母と共に一度死に、そして肉となって生まれ変わり、彼女は肉のわたしを激しく求めました。そして彼女と初めて交わり、わたしは自分の存在によって彼女を殺し、そして生かしていることに気付きました。彼女は日に日にわたしの前で死んで行く存在であり、わたしも彼女と共に果てのない死のなかを手を取り合って泳いでいました。わたしは彼女に取り込まれ、彼女と一体となる恍惚な悦びのなかで、わたしは彼女と消えることを恐れ続けて生きる運命でした。死んだ青白い顔をして、わたしと彼女は求め合ってきました。わたしの霊は未だに、この肉の殻のなかで彼女を求めて彷徨い続けています。わたしの肉は今も、彼女の身体を、肉を堪能していることでしょう。今、気づいたのですがそれは、貴方なのではないでしょうか。

タクシーの運転手の男は黙って前を向いている。
どうやら新しい家の前に到着したようだ。
一体どこを遠回りして走ったのか、外はもう暗くなっていた。
ウェイターの男は料金を椅子の上に置いてタクシーを降りた。
家具や荷物は明日の早朝に届く予定だ。
ということは今夜は、この家の元の主人の寝台を借りて寝よう。
タクシーの車が走り去った後、知らない土地に独り残された男が夕闇空を見上げて寂しげに言った。
「ただいま。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一話完結的連続小説 『ウェイターの男の物語シリーズ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Why The Fuck Did You Eat My Babies?

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

此処は退屈な木漏れ日が落ちてゆく高校。生徒たちは、制服のボタンをそれぞれ一つずつずらし赦された気がして笑った気がした。

その眼差しはまるで黒猫たちとフェレットたちの殺到する空っぽの結婚式場の騒々しい最後の怪談の夜のように繰り返し、繰り返し靴紐を解いて結ぶ壇上から落ちてゆく冷静な起伏の恋。

先生は生徒たちの膝を蹴って白々しい顔で壇上から飛んで言った。

「すべては絡繰(カラクリ)だった。」

その仕草にも、生徒たちは冷静な対応を怠らない。

一人の生徒が手を挙げて先生に向って立ち上がる。

「なぜ複数の『鹿』は『s』を必要としないのですか?」

先生が、「ああ、それはな…」と言いかけるとまたもや一人の生徒が勢いよく立ち上がり言った。

「なぜ未来は私たちを必要としないのですか?」

先生は丸い銀縁眼鏡を感情の起伏のない表情で薬指で持ち上げると言った。

「それはおまえたちが、おまえたちのほうが未来を…」

また一人の生徒が言った。

「貴方は私の妻と私の妻と一緒に寝ていました…」

先生は一つ咳払いをして答える。

「それは君が食べるもの=君の赤ちゃんの未来だからだろう。」

「先生!」また一人立ち上がり言った。

「なんだ。」

「貴方が間違いなく貴方の胎盤を食べなければならない7つの理由とはなんなのですか?」

「ははは。」と先生は空笑いをして黒板に大きくミミズのぬたうつような字をピンク色のチョークで書き殴った。

『おまえたちはF ** kingを食べなければならない。』

一人の生徒がオーマイガーという興醒めな仕草と顔をして言った。

「まるで欲求と赤ちゃんのセックスだ。」

一人の生徒が、真剣な顔で先生に向って言った。

「先生はどのくらいの紙を食べることができましたか?」

先生は少し考えるように教室の床をじっと凝視してから、真面目な顔で向き直ってそれに答えた。

「セックスが、おまえたちの赤ちゃんの健康に影響を与える前に食べたくらいだよ。」

これにはどうやら生徒たちは、まったくと言っていいくらい、納得が言っていない様子だった。

このとき、一人の生徒がぼそっと呟いた。

「先生は子供がいるまで本当に知っていない事なのに。」

「あのな。」

先生は怒った顔をせずに怒ったように言った。

「○○は、赤ちゃんを食べる。どうやら。」

このとき初めて、ガラメが立ち上がって言った。

「なぜ人々は子供を持つのですか?」

先生はぶっきら棒にそれに返した。

「聖書に『あなたがたの子供を食べること、また少なくともそれを試してみることで、すべてを得る。』と書いているだろう。」

インダはガラメの台詞を想像して先に言った。

「彼らは赤ちゃんを食べて、それで彼らは人間の組織を粉砕したんだ。」

ガラメは悔しそうな顔でインダを睨んで目が合うとおずおずとして頬を赤らめた。

先生はふうと息を吐き、目をきらきらさせて言った。

「どのくらい早く君たちの赤ん坊のセックスを見つけることができますか?」

ガラメは「先生の小麦を食べる。」と言って、インダは「ジョニーというベビーサメの上にそれを失っているんだ。」と言った。

先生と生徒たちはその後も、この無秩序の白い教室内で言いたいことを言い合った。

「親はこのベビーシャワーケーキで恐怖を感じるので、食べることができますか?」

「君の犬は岩と靴下、その他の非食品アイテムを食べるのをやめろよ。」

「白いチョークを食べて食べる。」

「二歳児は食べることを拒否するんだ。」

「何人かの若者がタイドポッドを食べる理由は本当にダムの理由がある。」

「おまえたちが食べたり、クロールしたり、おまえたちの顔にセックスをしているダニについて知りたかったことは先生は一切ない。まったくロケット科学ではない。」

「私の赤ちゃんの卵に食べさせてもいいですか?」

「おまえたちの奇妙な動物の質問に尋ねなさい。おまえたちが呑み込んだ場合に起こることをな...」

「先生が知る必要がある誕生を与えることに関する6つの嫌なことはなんですか?」

「 おまえたちの赤ん坊が少年になりたいならば朝食を食べるだろう。」

「見知らぬ人とセックスをしている人たちと会い、赤ちゃんを助けるよ。」

「違うだろ、見知らぬ人と子作りに励んでいる人たちと会い、お母さんも、赤ちゃんも、助けるよ。だろ。」

 

そして、ベンジャミン先生は銀縁眼鏡を神経質そうな顔でくっと薬指で持ち上げて言った。

「ふう、やっぱり”無秩序先生と無秩序生徒たちの白い教室遊び”は何がなんだかさっぱりわけわからなくなる遊びだね。楽しくないわけじゃないけれども…ぼく先生の役飽きちゃった。次はガラメ君が先生の役を遣ってよ。」

ガラメは「う~ん、まだ生徒役を遣りたいけどな。」と言って、「そういや、なぜ複数の『鹿』は『s』を必要としないの?」と言った。

ベンジャミン先生は黒板にピンクのチョークで書いた。

「Why the plural of "deer" doesn't need "s"」

「あれ、これなんでだっけ…前先生から教わらなかったっけ?」

インダがベンジャミン先生の横に立って黒板に白いチョークで書いた。

「Why the future doesn't need us」

「つまり、鹿は、『S』、サディズムを必要としないって意味じゃないかな。その為、未来はぼくたちを必要とはしない。」

ベンジャミン先生は頭を悩ませ、「まだ続いてるのか…」と想いながらも先生の口調を真似てこう応えた。

「そうだ。ファックがおまえたちに役立った理由は、先生の赤ちゃんを食べる。」

 

そのとき、ガラッと教室のドアを開けて先生が中に入ってきて言った。

「ではおまえたちの過去は、わたしたちを必要としているか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Grandma - Why The Fuck Did You Eat My Babies?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

bones

何を隠そう、実はぼくの真の職業は”盗賊”だ。

生活保護を受けているというのは実は嘘である。

今から十年前、働くのが嫌になってから、ぼくは盗賊のSoul(ソウル)に目覚めたってわけ。

だからといって、ぼくは特別悪いことをしているわけではない。

何故かって?それはぼくが盗んでるのは、”人様”のもんではないからだ。

ぼくが盗んでるのは、”人”からじゃない。

つまり人の物は盗んだことがない。

じゃあ、何を盗んでるのかって?

ははは。おほほ。君にだけ、では教えよう。

ぼくが盗んでいるのはね……

 

 

 

ふうふうふう。結構歩いてきたな。かなりぼくは疲れた。あれ今日何時から歩いて来たっけ。もう日は完全に暮れちゃって、午後の18:25ではないか。

暗いのでぼくは手持ちランプに火をつけて持っている。すると明るいことは明るいのだが、明るいのはぼくのいる半径一メートル範囲のところだけであって、それ以外が暗いのである。

だからとても、怖い。何故ってここは、洞窟のなかだからだ。

誰も居ない。いるような様子ではない。この洞窟を見つけたのは多分、世界でぼく一人だけだ。ってじゃあ誰がこの洞窟掘ってんっていう話だよね。ぱはは。

まあそんな冗談も言わないでは先へ進めないほど恐ろしく、今でもぶるぶると震え上がって、いつ、何時、何かがぼくに襲い掛かって来やしないかと脅えているのだよ。

そう、何を隠そうぼくは盗賊で、それも世界一の怖がりの盗賊だと自分で言っている。

もうこんな仕事は嫌だ。そう何度、辞めようと想ったか。こんな仕事。

なんでこんな危険で生きて帰られるかどうかもわからない仕事をして、額に汗しなくてはならぬのか。

別に誰かが、「おい、おまえの仕事は今日から盗賊だ。よろしく頼んだぜ。遣らねえと、ぶっ殺す。昆布と若芽に懸けて、おまえの神を殺す。」と言ったわけじゃない。

ぼく一人で決めた仕事だ。遣らなくて、どうする?そんな想いで、ぼくは今まで走ってきた。

時には荒野を。牧場の羊を追い駆けたこともあったなあ。それで牧場主に、ピッチフォーク持って追い駆けられたこともあったっけ。懐かしい。家に帰るとき、梨をたくさんくれたが、それ貰ったやつ全部、虫喰ってた。腹立ったなあ。あん時。だってすごく梨を持って帰るの重かったのに、帰って割ったら全部喰えたもんじゃなかったからね。

まあそんなこともあった。盗賊と全然関係ないけどね。

あれおれ何の話してたんやっけ?ああそうそう、盗賊は、ぼくが好きで自分で選んだ仕事だっつう話か。

そうだよ。おれが、ぼくが、わたくしが。ほかになあんにもできないんで、遣ってる仕事なのさ。

ぼくにはこれしかない。この仕事でしか、喰うて行かれひんのやわ。まあそう。

だから頑張れ俺。頑張るんだぼく。弱音を吐いてはいけない。

ぐすん。でも寂しい仕事だよなあ。いつも想うけどさ。だってずっとずっと独りでおれこの仕事遣ってきた。誰の手も借りず。誰の力も当てにせず。自分だけの力で盗んで盗んだやつを売って、その金で暮らして生きて来たんだ。

でもね、ぼくは必要以上のものは盗った事、なかったぜ。普通さあ、盗賊っつうと何かすんげえ盗りまくって儲けてるんじゃねえのおっていうイメージがあるじゃん?

でもさぼくは、絶対に、そんなことはなかった。ぼくは毎月毎月、13万円から14万円までになるくらいのものしか盗らなかったから。

つまりぼくの生きる必要最低限の金額になるもの以上は盗ったことはないんだよね。

13万円ちょっとあれば毎晩酒を飲んで暮らすこともできらあ。

まあ今日もちょっと二日酔い。だからほんと、疲れたな。てか帰れんのかな、これ。なんかおれこの洞窟のなかで迷ってないかい?いったい何時にこの洞窟を見つけて入って歩いてるんだっけ。

確か午後の太陽が西に傾きつつある明るいうちだった。

だいたい、昼過ぎくらいだろうか。かなり歩いてきたな…一体なんつう広い洞窟内だろう?

こんな広い洞窟はおれのぼくの盗賊探検記憶のなかで、初めてだ。

いつの時代のものだろな。こないだの台風で大きな土砂崩れが起きて、危険だからっつんで誰も近寄らなかった場所だ。そこにぼくはこの洞窟の入り口を見つけた。

なんかがありそうな気がしたんだ。盗賊の勘というやつだ。

プロフェッショナルなぼくは、命を懸けて、この洞窟内に必ず、御宝があると睨んだ。

そう、命を懸けて睨んだから、その命を懸けて睨んだ御宝を、ははは、俺様のものにしたろやないけとこう想ったのだ。

まあそういうわけで今ぼくはこの洞窟内の迷宮を、インディージョーンズさながらに、探検している。

そういえばインディージョーンズは「チベット永遠の書」っつうノンフィクションの探検記の本を元に作られた映画だって知ってたかい?

インディージョーンズのモデルとなったのはそのドイツ探検家のテオドール・イリオン様よ。

本当に、あれほどわくわくとした探検記なんて、他にないね。

嗚呼、ぼくが今盗賊を遣ってるのも、もしかするとあの本の影響かもしれない。

未知の領域に、たった一人で足を踏み込むことのこの感覚は、他のもので経験することは決してできない。

一体そこに何があるのか?誰もぼくもかれも神でさえ、知らないかもしれないんだ。

神でさえ、ひょっとすると此処知らねえんじゃねえのお?って気持ちにさせるほどの凄い場所って在るんだ。

なんて言ったらいいのか、とにかく忘れ去られている、すべての宇宙空間がこの場所を忘却の彼方に押し遣って、もう想いだすことすら叶わない。あれ、今何時?いやそれ以前に、時間ってなんだっけ?此処は誰でぼくは何処?こきょはたれでぽくはとこ?そんな感覚になるほどの静けさと、時の流れからして完全に違うという不思議でならない空間が、その空間に、今ぼくは、居る。

これは、或る意味、今まで一番、危険な、Dangerous(デンジャラス)Hazardous(ハザデス)Critical(クリティカル)、死の可能性、死を連想させるほどの危険な場所、もしかしたらDeadly(デドリィ)、命取りになるやも知れず、此処はある種の、”死”をもたらすエリヤではないか。

でも、それを覚悟で、ぼくはこの洞窟内にいる。

ぼくは自分の直観力に懸けて、此処で必ずや最高の御宝を(といっても14万円以内だけどね)盗ってみせる!

ぼくはそう叫ぶと同時に、走った。

すると手持ちランプの火が消え、暗黒の世界となり、ひいいいいいいいいいぃぃぃっっっっっとなったぼくは急いで持っているチャッカマンで火をつけた。

ふう…良かった…小便をちびりかけましたで。よくこんな臆病者なのに盗賊なんて遣ってきたもんだ。

とにかく、前へ進もう。まだまだ道は続いているのか知らん。

ぼくは、じゃり、じゃり、じゃり、という洞窟の地面を踏む音だけが聴こえるこの静寂の穴のなかを、前だけを向いて(後ろは怖くて振り向けないから)、ずんずん、ぷんぷん、びんびん、かんかん、とんとん、ぬんぬん、ぼんぼん、歩いた。

そして、目の前に行き止まりの壁にぶち当たり、マジかよっと想ったその時である。

なんとその左手に、一つのドアがあるのを発見した。

ぼくは緊張のあまり呼吸が乱れ、腹式呼吸を繰り返した。

それはやがてひいひいふう、ひいひいふう、ひいひいふう、といったラマーズ法の精神予防性無痛(和痛)分娩の呼吸法に変わっていた。

このドアの向こうに、ぼくの求めている最高の御宝が、在る!

ひいひいふう。の呼吸を繰り返しながらぼくは真鍮のドアノブに手を掛けた。その瞬間。

びりびりびりびりびりぃっっっっっと電気が走って感電死。『GAME OVER』、または『RESTART』の文字が空間の真ん中に浮かび上がる。なんてことにはならなかった。

此処はものすごい空気の乾燥した空間であるが静電気が起こることもなかった。

真鍮は紀元前4000年前から使用されてきたという。この土で出来たドアは一体いつ頃のものだろう。

ぼくは「ひいひいふう」、「ひいひいふう」、「ひいひいふう」と声に出しながらそのドアノブをゆっくりと、右に回し、そして、引っ張った。

するとドアは想像以上に軽く、普通のドアのように開いた。

一体どういうことだろう?まさか最近もこのドアを人が出入りしていたなんて、そんなことないよな…

此処の洞窟の入り口は最近まで大きな山のなかにあったんだ。地下通路でも人が掘っていない限り、此処を出入りすることなど不可能だ。(そういえばなだらかに地面は下降した斜面となっていたので此処はすでに地下であるのかもしれない。)

震える手を、一端、離すかどうか迷った。

駄目だ、離しては駄目だ。一気に開けて、中へ入るのだ!

ぼくはかっと大きく目を見開き、「うんばずんらあっ」という意味不明の呪文のような言葉の奇声を上げるとドアを大きく開けて中へ足を踏み入れた。

そして、真っ暗闇の部屋のなかを、手持ちランプを前に出して照らした。

足許と、壁、天井、ゆっくりゆっくり忍び足で進みながら照らして部屋のなかを確認、調査した。

部屋の広さは大体十畳間ほどか、人一人が暮らすにちょうど良いサイズの部屋だ。

なかにあったものは、棚と壷、木箱が複数、寝台、机と椅子は一つ、机の上には積み重なった本、硝子瓶や葦ペン、どれもものすごい古そうなもので土埃が掛かっている。上等そうなものではなく、庶民的なものばかりだ。

しかし異様なものが一つ、その部屋の真ん中にあった。

黒く大きな石の棺である……!

ぼくは、此処まで遣って来た甲斐があった…と恐怖と感動に打ち震えた。

そう、何かを隠そう。ぼくは実は「墓荒し、墓泥棒」である。

今まで幾つもの墓を掘って、その棺の中にある御宝を盗んでそれを売って暮らしてきた。

だからぼくは人様のものは盗ったことがない。

盗るのはいつでも、此の世のものではなくなった者、死者のものだ。

天国に御宝を持って行けると信じている死者がいるかどうかはわからないが、もし持って行けたとしても、それは物質的な価値にないはずだ。

物質的な価値とは、物質的な世界にだけある。

つまり死者は物質的ではない価値だけを持って行きたいのであって、持って行った跡には物質的な宝など側に置いていたところで何の価値も意味も満たさない。

ただ物質としてそこに在るだけだ。死者に物質的な宝は必要ない。

であるから例え、ぼくが死者の骨や、肉を盗んだとしても同じく罪にはならない。

悲しむ遺族が居れば別の話だが、ぼくが盗んできたのはもうどんな子孫の痕跡も見つかりようがないほどの古い墓ばかりだ。

「墓を荒らす者はミイラに呪われる」、「王の墓を荒らす者は死者の翼によって葬られるであろう」、ミイラ盗りは、命の危険どころか、死後も永遠に、地獄で暮らす羽目になる危険性も高い。

ミイラは特にものすごく高く売れる。それは全国の呪術師が高値で買い取るからだ。

ぼくはまだミイラを売ったことはない。でも何度かミイラに出くわしたことはある。その時はミイラは持って帰らず、棺のなかの御宝だけを持って帰って売り捌いた。

それも立派な墓荒らしで呪われる可能性は高いが、致し方ない、ぼくは棺のなかの主人がミイラだろうと、骨だろうと、そこに差別はせずに御宝だけを頂戴する。

そうせねば喰うて行かれひんからな。

しかし…ぼくはもう一度この部屋のなかを見渡した。

一体この部屋は何の部屋なのだ。埋葬室に生活道具があるのはどう考えてもおかしいではないか。

此処はもともと埋葬室ではない…?では誰かがこの部屋にこの石棺(せっかん)を移動させたというのか。

何の為に…?それとも、此処はもともとは埋葬の為に作った室なのだが、そこに誰かが生活道具を運んできたのだろうか?

死者と共に暮らす為に…?

まあ、嗅覚を喪い、腐敗してゆく者の側で生きることが平気な人間ならば考えられるだろう。

最も、嗅覚も、慣れれば平気か…(ああそれに、骨やミイラとなってから運んで来たとも考えられるな。)

ぼくは椅子の上の土埃を手で払い、そこに座って一息大きくつくと、ランプを机の上に置き、一つの妄想をした。

紀元前1000年頃、睦まじい深く結ばれた、若い夫婦がいた。

だが夫が、或る日突然に原因不明の病に倒れ、30代半ばでそのままあっけなく死んでしまった。

妻はそれはそれは悲しんで、夫が死んだあとも夫から離れることが苦しくてならなかった。

そして死んだ夫の前で滔々と毎日涙を流しては何の為に夫と離れる必要があるのだろうかと妻は考える。

 何故、夫が死んだからといって夫と離れ行かねばならないのか?遺された妻は愛する夫が死んだことを認めることも夫と離れて暮らすこともすべて受け容れることができない。

別に死んだからって、夫と離れて暮らす必要なんて、ないんちゃうか。

妻はそう想った途端、ぱあっと顔が明るくなり、意気揚々と日常で夫が使っていた家にあった家具・調度・衣類などの家財一式をこの夫の埋葬室に運んで来た。

来る日も来る日も、妻は夫の眠る棺の側で暮らし、夫が生きている様子でいつも話し掛け、机に向って夫に対する日記を書いたり、本を読んだり夫の遺体に着せる服を作ったりなどして暮らし、毎晩夫の棺の側の寝台の上で眠り、夫の夢を見る。

夫の肉は棺のなかでやがて崩れ落ちて行き、夫の身体は骨だけとなる。

それでも妻は夫と離れることができず、夫の骨だけの身体に新しい服を着せては話し掛ける。

時には妻は悲しい顔で泣いて、「何故、イエス様のように死んでもなお、動いて話してはくださらないの。」と無茶なことを夫に言う。

そして言った後に、なんで紀元前1000年やのに、イエス様の話をしておるのだ。などと言ってくすっとあどけない顔で笑ったりもする。

妻は毎晩のように、夫の骨だけの身体を濡れた布で拭き、乳香(フランクインセンス)の油をときに塗ってやる。

そしてその香りをアロマテラピーにして安らかに夫に抱かれているような心地のなか眠る夜もある。

妻は髑髏のその夫の歯を磨きながら、「なんて白い美しい歯でしょう。」と言っては微笑む。

夫の白い骨の指に自分の指を絡ませ、夫の体温を感じる。

愛しげに夫の頭蓋骨を撫で摩り、「貴方はスキンヘッドも意外と似合う。」と言う。

軈(やが)て、夫の真っ黒な目を見つめ続けて暮らす長い月日のなかに、目の中のその黒い窪みの二つの穴こそ、夫の本当の目であることに妻は気づく。

夫の本質、それが夫の黒々とした二つの穴凹であると妻は信じる。

その闇夜よりも暗い、二つの深い深い穴は妻を見つめ返し、在る夜、妻の手に引かれて棺のなかからぬっくと起き上がり、こう言葉を発する。

「愛するわたしの妻よ。やっと、貴女はわたしの本性がわかったのですね。」

妻は嬉しげにも哀しげにも見える表情で夫と見つめ合うなか、「うん」と言って頷く。

骨だけの硬い夫の身体を優しく抱き締め、妻は夫に囁く。

「嗚呼、いつからきみは此処にいたのだろう。ごめんなさい。今まで気づかなかった。」

夫は白く乾いて冷たい骨だけの身で妻を抱き締め返し、痩せた妻の背中を摩りながら言う。

「わたしはずっとずっと、此処で貴女を待っていたのです。わたしの本当の姿を、ただ一人の、愛する貴女に知って貰いたくて。もう何千年、此処で貴女だけを待っていました。」

妻は夫の穴の二つの目を見つめて涙を流す。

「そうかだからぼくは…きみを探す為に、死者のものを盗み、それで生きて、きみを見つける為にこの真っ暗な穴のなかへ入って、きみを埋葬したこのお墓を見つけたんだね。」

骨だけの夫は妻に向ってこくりと頷き、微笑んでいるように見える。

肉はすべて削がれても、なんて愛おしい姿なのだろう。

夫は何一つ、変わってなどいない。死んで、骨のみとなっても、そこにある大切なものは何一つ、そのままの状態でここにある。

骨だけでも、愛するわたしの夫は変わらず、ぼくだけの愛おしい夫。

骸骨が、屍であるということが間違っていた。

妻は愛しそうに夫の頬骨、歯、鎖骨、肋骨などに口づけをし、夫の指の骨に頬擦りをする。

そして夫を棺のなかから起き上がらせて、寝台の上に横たわらせ、その隣に自分の身を横たえ、二人は白い布で包れながら骨の夫と肉の妻は抱き締め合って誰も決して見つけることも起こすこともできない深い深い眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Ricky Eat Acid - bones