何を隠そう、実はぼくの真の職業は”盗賊”だ。
生活保護を受けているというのは実は嘘である。
今から十年前、働くのが嫌になってから、ぼくは盗賊のSoul(ソウル)に目覚めたってわけ。
だからといって、ぼくは特別悪いことをしているわけではない。
何故かって?それはぼくが盗んでるのは、”人様”のもんではないからだ。
ぼくが盗んでるのは、”人”からじゃない。
つまり人の物は盗んだことがない。
じゃあ、何を盗んでるのかって?
ははは。おほほ。君にだけ、では教えよう。
ぼくが盗んでいるのはね……
ふうふうふう。結構歩いてきたな。かなりぼくは疲れた。あれ今日何時から歩いて来たっけ。もう日は完全に暮れちゃって、午後の18:25ではないか。
暗いのでぼくは手持ちランプに火をつけて持っている。すると明るいことは明るいのだが、明るいのはぼくのいる半径一メートル範囲のところだけであって、それ以外が暗いのである。
だからとても、怖い。何故ってここは、洞窟のなかだからだ。
誰も居ない。いるような様子ではない。この洞窟を見つけたのは多分、世界でぼく一人だけだ。ってじゃあ誰がこの洞窟掘ってんっていう話だよね。ぱはは。
まあそんな冗談も言わないでは先へ進めないほど恐ろしく、今でもぶるぶると震え上がって、いつ、何時、何かがぼくに襲い掛かって来やしないかと脅えているのだよ。
そう、何を隠そうぼくは盗賊で、それも世界一の怖がりの盗賊だと自分で言っている。
もうこんな仕事は嫌だ。そう何度、辞めようと想ったか。こんな仕事。
なんでこんな危険で生きて帰られるかどうかもわからない仕事をして、額に汗しなくてはならぬのか。
別に誰かが、「おい、おまえの仕事は今日から盗賊だ。よろしく頼んだぜ。遣らねえと、ぶっ殺す。昆布と若芽に懸けて、おまえの神を殺す。」と言ったわけじゃない。
ぼく一人で決めた仕事だ。遣らなくて、どうする?そんな想いで、ぼくは今まで走ってきた。
時には荒野を。牧場の羊を追い駆けたこともあったなあ。それで牧場主に、ピッチフォーク持って追い駆けられたこともあったっけ。懐かしい。家に帰るとき、梨をたくさんくれたが、それ貰ったやつ全部、虫喰ってた。腹立ったなあ。あん時。だってすごく梨を持って帰るの重かったのに、帰って割ったら全部喰えたもんじゃなかったからね。
まあそんなこともあった。盗賊と全然関係ないけどね。
あれおれ何の話してたんやっけ?ああそうそう、盗賊は、ぼくが好きで自分で選んだ仕事だっつう話か。
そうだよ。おれが、ぼくが、わたくしが。ほかになあんにもできないんで、遣ってる仕事なのさ。
ぼくにはこれしかない。この仕事でしか、喰うて行かれひんのやわ。まあそう。
だから頑張れ俺。頑張るんだぼく。弱音を吐いてはいけない。
ぐすん。でも寂しい仕事だよなあ。いつも想うけどさ。だってずっとずっと独りでおれこの仕事遣ってきた。誰の手も借りず。誰の力も当てにせず。自分だけの力で盗んで盗んだやつを売って、その金で暮らして生きて来たんだ。
でもね、ぼくは必要以上のものは盗った事、なかったぜ。普通さあ、盗賊っつうと何かすんげえ盗りまくって儲けてるんじゃねえのおっていうイメージがあるじゃん?
でもさぼくは、絶対に、そんなことはなかった。ぼくは毎月毎月、13万円から14万円までになるくらいのものしか盗らなかったから。
つまりぼくの生きる必要最低限の金額になるもの以上は盗ったことはないんだよね。
13万円ちょっとあれば毎晩酒を飲んで暮らすこともできらあ。
まあ今日もちょっと二日酔い。だからほんと、疲れたな。てか帰れんのかな、これ。なんかおれこの洞窟のなかで迷ってないかい?いったい何時にこの洞窟を見つけて入って歩いてるんだっけ。
確か午後の太陽が西に傾きつつある明るいうちだった。
だいたい、昼過ぎくらいだろうか。かなり歩いてきたな…一体なんつう広い洞窟内だろう?
こんな広い洞窟はおれのぼくの盗賊探検記憶のなかで、初めてだ。
いつの時代のものだろな。こないだの台風で大きな土砂崩れが起きて、危険だからっつんで誰も近寄らなかった場所だ。そこにぼくはこの洞窟の入り口を見つけた。
なんかがありそうな気がしたんだ。盗賊の勘というやつだ。
プロフェッショナルなぼくは、命を懸けて、この洞窟内に必ず、御宝があると睨んだ。
そう、命を懸けて睨んだから、その命を懸けて睨んだ御宝を、ははは、俺様のものにしたろやないけとこう想ったのだ。
まあそういうわけで今ぼくはこの洞窟内の迷宮を、インディージョーンズさながらに、探検している。
そういえばインディージョーンズは「チベット永遠の書」っつうノンフィクションの探検記の本を元に作られた映画だって知ってたかい?
インディージョーンズのモデルとなったのはそのドイツ探検家のテオドール・イリオン様よ。
本当に、あれほどわくわくとした探検記なんて、他にないね。
嗚呼、ぼくが今盗賊を遣ってるのも、もしかするとあの本の影響かもしれない。
未知の領域に、たった一人で足を踏み込むことのこの感覚は、他のもので経験することは決してできない。
一体そこに何があるのか?誰もぼくもかれも神でさえ、知らないかもしれないんだ。
神でさえ、ひょっとすると此処知らねえんじゃねえのお?って気持ちにさせるほどの凄い場所って在るんだ。
なんて言ったらいいのか、とにかく忘れ去られている、すべての宇宙空間がこの場所を忘却の彼方に押し遣って、もう想いだすことすら叶わない。あれ、今何時?いやそれ以前に、時間ってなんだっけ?此処は誰でぼくは何処?こきょはたれでぽくはとこ?そんな感覚になるほどの静けさと、時の流れからして完全に違うという不思議でならない空間が、その空間に、今ぼくは、居る。
これは、或る意味、今まで一番、危険な、Dangerous(デンジャラス)Hazardous(ハザデス)Critical(クリティカル)、死の可能性、死を連想させるほどの危険な場所、もしかしたらDeadly(デドリィ)、命取りになるやも知れず、此処はある種の、”死”をもたらすエリヤではないか。
でも、それを覚悟で、ぼくはこの洞窟内にいる。
ぼくは自分の直観力に懸けて、此処で必ずや最高の御宝を(といっても14万円以内だけどね)盗ってみせる!
ぼくはそう叫ぶと同時に、走った。
すると手持ちランプの火が消え、暗黒の世界となり、ひいいいいいいいいいぃぃぃっっっっっとなったぼくは急いで持っているチャッカマンで火をつけた。
ふう…良かった…小便をちびりかけましたで。よくこんな臆病者なのに盗賊なんて遣ってきたもんだ。
とにかく、前へ進もう。まだまだ道は続いているのか知らん。
ぼくは、じゃり、じゃり、じゃり、という洞窟の地面を踏む音だけが聴こえるこの静寂の穴のなかを、前だけを向いて(後ろは怖くて振り向けないから)、ずんずん、ぷんぷん、びんびん、かんかん、とんとん、ぬんぬん、ぼんぼん、歩いた。
そして、目の前に行き止まりの壁にぶち当たり、マジかよっと想ったその時である。
なんとその左手に、一つのドアがあるのを発見した。
ぼくは緊張のあまり呼吸が乱れ、腹式呼吸を繰り返した。
それはやがてひいひいふう、ひいひいふう、ひいひいふう、といったラマーズ法の精神予防性無痛(和痛)分娩の呼吸法に変わっていた。
このドアの向こうに、ぼくの求めている最高の御宝が、在る!
ひいひいふう。の呼吸を繰り返しながらぼくは真鍮のドアノブに手を掛けた。その瞬間。
びりびりびりびりびりぃっっっっっと電気が走って感電死。『GAME OVER』、または『RESTART』の文字が空間の真ん中に浮かび上がる。なんてことにはならなかった。
此処はものすごい空気の乾燥した空間であるが静電気が起こることもなかった。
真鍮は紀元前4000年前から使用されてきたという。この土で出来たドアは一体いつ頃のものだろう。
ぼくは「ひいひいふう」、「ひいひいふう」、「ひいひいふう」と声に出しながらそのドアノブをゆっくりと、右に回し、そして、引っ張った。
するとドアは想像以上に軽く、普通のドアのように開いた。
一体どういうことだろう?まさか最近もこのドアを人が出入りしていたなんて、そんなことないよな…
此処の洞窟の入り口は最近まで大きな山のなかにあったんだ。地下通路でも人が掘っていない限り、此処を出入りすることなど不可能だ。(そういえばなだらかに地面は下降した斜面となっていたので此処はすでに地下であるのかもしれない。)
震える手を、一端、離すかどうか迷った。
駄目だ、離しては駄目だ。一気に開けて、中へ入るのだ!
ぼくはかっと大きく目を見開き、「うんばずんらあっ」という意味不明の呪文のような言葉の奇声を上げるとドアを大きく開けて中へ足を踏み入れた。
そして、真っ暗闇の部屋のなかを、手持ちランプを前に出して照らした。
足許と、壁、天井、ゆっくりゆっくり忍び足で進みながら照らして部屋のなかを確認、調査した。
部屋の広さは大体十畳間ほどか、人一人が暮らすにちょうど良いサイズの部屋だ。
なかにあったものは、棚と壷、木箱が複数、寝台、机と椅子は一つ、机の上には積み重なった本、硝子瓶や葦ペン、どれもものすごい古そうなもので土埃が掛かっている。上等そうなものではなく、庶民的なものばかりだ。
しかし異様なものが一つ、その部屋の真ん中にあった。
黒く大きな石の棺である……!
ぼくは、此処まで遣って来た甲斐があった…と恐怖と感動に打ち震えた。
そう、何かを隠そう。ぼくは実は「墓荒し、墓泥棒」である。
今まで幾つもの墓を掘って、その棺の中にある御宝を盗んでそれを売って暮らしてきた。
だからぼくは人様のものは盗ったことがない。
盗るのはいつでも、此の世のものではなくなった者、死者のものだ。
天国に御宝を持って行けると信じている死者がいるかどうかはわからないが、もし持って行けたとしても、それは物質的な価値にないはずだ。
物質的な価値とは、物質的な世界にだけある。
つまり死者は物質的ではない価値だけを持って行きたいのであって、持って行った跡には物質的な宝など側に置いていたところで何の価値も意味も満たさない。
ただ物質としてそこに在るだけだ。死者に物質的な宝は必要ない。
であるから例え、ぼくが死者の骨や、肉を盗んだとしても同じく罪にはならない。
悲しむ遺族が居れば別の話だが、ぼくが盗んできたのはもうどんな子孫の痕跡も見つかりようがないほどの古い墓ばかりだ。
「墓を荒らす者はミイラに呪われる」、「王の墓を荒らす者は死者の翼によって葬られるであろう」、ミイラ盗りは、命の危険どころか、死後も永遠に、地獄で暮らす羽目になる危険性も高い。
ミイラは特にものすごく高く売れる。それは全国の呪術師が高値で買い取るからだ。
ぼくはまだミイラを売ったことはない。でも何度かミイラに出くわしたことはある。その時はミイラは持って帰らず、棺のなかの御宝だけを持って帰って売り捌いた。
それも立派な墓荒らしで呪われる可能性は高いが、致し方ない、ぼくは棺のなかの主人がミイラだろうと、骨だろうと、そこに差別はせずに御宝だけを頂戴する。
そうせねば喰うて行かれひんからな。
しかし…ぼくはもう一度この部屋のなかを見渡した。
一体この部屋は何の部屋なのだ。埋葬室に生活道具があるのはどう考えてもおかしいではないか。
此処はもともと埋葬室ではない…?では誰かがこの部屋にこの石棺(せっかん)を移動させたというのか。
何の為に…?それとも、此処はもともとは埋葬の為に作った室なのだが、そこに誰かが生活道具を運んできたのだろうか?
死者と共に暮らす為に…?
まあ、嗅覚を喪い、腐敗してゆく者の側で生きることが平気な人間ならば考えられるだろう。
最も、嗅覚も、慣れれば平気か…(ああそれに、骨やミイラとなってから運んで来たとも考えられるな。)
ぼくは椅子の上の土埃を手で払い、そこに座って一息大きくつくと、ランプを机の上に置き、一つの妄想をした。
紀元前1000年頃、睦まじい深く結ばれた、若い夫婦がいた。
だが夫が、或る日突然に原因不明の病に倒れ、30代半ばでそのままあっけなく死んでしまった。
妻はそれはそれは悲しんで、夫が死んだあとも夫から離れることが苦しくてならなかった。
そして死んだ夫の前で滔々と毎日涙を流しては何の為に夫と離れる必要があるのだろうかと妻は考える。
何故、夫が死んだからといって夫と離れ行かねばならないのか?遺された妻は愛する夫が死んだことを認めることも夫と離れて暮らすこともすべて受け容れることができない。
別に死んだからって、夫と離れて暮らす必要なんて、ないんちゃうか。
妻はそう想った途端、ぱあっと顔が明るくなり、意気揚々と日常で夫が使っていた家にあった家具・調度・衣類などの家財一式をこの夫の埋葬室に運んで来た。
来る日も来る日も、妻は夫の眠る棺の側で暮らし、夫が生きている様子でいつも話し掛け、机に向って夫に対する日記を書いたり、本を読んだり夫の遺体に着せる服を作ったりなどして暮らし、毎晩夫の棺の側の寝台の上で眠り、夫の夢を見る。
夫の肉は棺のなかでやがて崩れ落ちて行き、夫の身体は骨だけとなる。
それでも妻は夫と離れることができず、夫の骨だけの身体に新しい服を着せては話し掛ける。
時には妻は悲しい顔で泣いて、「何故、イエス様のように死んでもなお、動いて話してはくださらないの。」と無茶なことを夫に言う。
そして言った後に、なんで紀元前1000年やのに、イエス様の話をしておるのだ。などと言ってくすっとあどけない顔で笑ったりもする。
妻は毎晩のように、夫の骨だけの身体を濡れた布で拭き、乳香(フランクインセンス)の油をときに塗ってやる。
そしてその香りをアロマテラピーにして安らかに夫に抱かれているような心地のなか眠る夜もある。
妻は髑髏のその夫の歯を磨きながら、「なんて白い美しい歯でしょう。」と言っては微笑む。
夫の白い骨の指に自分の指を絡ませ、夫の体温を感じる。
愛しげに夫の頭蓋骨を撫で摩り、「貴方はスキンヘッドも意外と似合う。」と言う。
軈(やが)て、夫の真っ黒な目を見つめ続けて暮らす長い月日のなかに、目の中のその黒い窪みの二つの穴こそ、夫の本当の目であることに妻は気づく。
夫の本質、それが夫の黒々とした二つの穴凹であると妻は信じる。
その闇夜よりも暗い、二つの深い深い穴は妻を見つめ返し、在る夜、妻の手に引かれて棺のなかからぬっくと起き上がり、こう言葉を発する。
「愛するわたしの妻よ。やっと、貴女はわたしの本性がわかったのですね。」
妻は嬉しげにも哀しげにも見える表情で夫と見つめ合うなか、「うん」と言って頷く。
骨だけの硬い夫の身体を優しく抱き締め、妻は夫に囁く。
「嗚呼、いつからきみは此処にいたのだろう。ごめんなさい。今まで気づかなかった。」
夫は白く乾いて冷たい骨だけの身で妻を抱き締め返し、痩せた妻の背中を摩りながら言う。
「わたしはずっとずっと、此処で貴女を待っていたのです。わたしの本当の姿を、ただ一人の、愛する貴女に知って貰いたくて。もう何千年、此処で貴女だけを待っていました。」
妻は夫の穴の二つの目を見つめて涙を流す。
「そうかだからぼくは…きみを探す為に、死者のものを盗み、それで生きて、きみを見つける為にこの真っ暗な穴のなかへ入って、きみを埋葬したこのお墓を見つけたんだね。」
骨だけの夫は妻に向ってこくりと頷き、微笑んでいるように見える。
肉はすべて削がれても、なんて愛おしい姿なのだろう。
夫は何一つ、変わってなどいない。死んで、骨のみとなっても、そこにある大切なものは何一つ、そのままの状態でここにある。
骨だけでも、愛するわたしの夫は変わらず、ぼくだけの愛おしい夫。
骸骨が、屍であるということが間違っていた。
妻は愛しそうに夫の頬骨、歯、鎖骨、肋骨などに口づけをし、夫の指の骨に頬擦りをする。
そして夫を棺のなかから起き上がらせて、寝台の上に横たわらせ、その隣に自分の身を横たえ、二人は白い布で包れながら骨の夫と肉の妻は抱き締め合って誰も決して見つけることも起こすこともできない深い深い眠りへと落ちて行った。