ѦとСноw Wхите 第2話  〈食べ物〉 〈光と闇〉

Ѧ(ユス、ぼく)が夢の中で朝起きると、Сноw Wхите(スノーホワイト)はお庭の菜園でѦの食べる植物をせっせと収穫していた。

ѦはСноw Wхитеに「мум(マム)」と言って抱きつくとСноw Wхитеの身体は汗ばんでいた。

今日は風が冷たい。

Ѧは、毎日ѦのためにこうしてСноw Wхитеが作物を収穫し続けなくてはならないことを不毛に思った。

Сноw Wхитеは食べなくても生きていける存在なのに、なにゆえにѦの為にこのように額に汗して働き続けなくてはならぬというのであるのか。

 

 

 

Ѧ「Сноw Wхите。Ѧ、さいきん食べること自体に罪悪感を感じるようになったんだ。この世にも、不食の人がたくさんいる。食べれば食べるほど、誰かの食物を奪ってしまうんだ。Ѧが食べるほど、誰かを飢えさせてしまう。Ѧも食べないで生きていけるようになりたい。Ѧは食べることがほんとうに苦しい」

 

Сноw Wхите「Ѧは食べることが害であり、罪だと感じていますが、食べることは害でも、罪でもないのです。Ѧが食べることによって誰かの食物を奪っていると考えていますが、実際は奪っているわけではありません。本来、すべての生物は食べたいだけ食べて良い存在なのです。それによって誰かの食べ物がなくなるのは食料がうまく分配されない構造になっているからです。Ѧがその構造を変えるためにできることがあります。それはѦはѦに罪を着せて苦しまないことです。それはѦの罪ではないからです。誰も悪くありません。ただそういった構造がこの世界に存在しているのです。誰もが、必要な食べ物を必要なだけ食べる自由があります。不食の人にとって必要でない食べ物が同時にѦにとっても必要でないことにはなりません。人間はそれぞれ個性があるからです。食べなくては生きていけない人は、食べることの喜びと苦しみが必要だからです。それはとても価値のあるものです。Ѧは食べることがほんとうに苦しくてたまらなくなってきたら、自然と食べなくても生きていけるようになってきます。Ѧは今すこしだけその段階へと入ろうかとしているところです。でもまだまだ十分ではありません。今のѦにはまだ食物が必要です。Ѧを生かすために自らの生命を与え続けているものたちに謝罪ではなく、感謝してください。彼らはѦの中で生き続けています。彼らが感じとる意識はѦの中で生き続けます。彼らに申し訳ないという気持ちばかり持っていれば、彼らは自分の存在はѦを喜ばせることはできないのだろうかと悲しみます。Ѧは彼らを喜ばせたいのならば、感謝してください。食べることの喜びを、彼らの生を自分の中で生かすことに喜びを感じてください。彼らは人間を苦しませるためだけに自らの命を犠牲にしてはいないのです。彼らの苦しみを感じるのは、そのѦの苦しみによってѦと彼らが一つとなって何かを達成しようとしているからです。植物も動物も人間もすべて、離れた関係ではありません。すべての関係が繋がっているのです。Ѧが誰かの苦しみを通して苦しいのは、その苦しみによってできることが在るからです。誰かが誰かを苦しめるだけの存在では決してありません。苦しみがあるということは、同時に同じ深さの喜びが約束されているからです。すべてに感謝してください。Ѧの苦しみになるすべてに感謝してください。すべてに深く感謝し続けることができてくるようになれば、Ѧが救いたい存在をѦの力によって救うことができるようになってきます。苦しみの底にいる彼らを救いたいのならば、ѦはѦを赦し、Ѧはすべてを赦してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ѧは今日とても悲しかった。

それはネットで「スティング、自身の楽曲やトランプ当選、難民問題について語る

というニュースを読んで最後の「人を最初に楽しませない限り、人に何も教えることはできないよ」という言葉に痛く感動したたった5分後にѦを絶望が襲ったのだった。

 

 

ちょうど、傍にСноw Wхитеが来たのでѦはこんなことをぼそぼそと囁いた。

Ѧ「Ѧは自分が憎いから、みんなを苦しめることが得意なんだ。だから早く死んでしまえばいいと思う」

Сноw Wхите「ѦはѦの愛する存在を苦しめて愛せなかったと感じて自分を深く憎んでいますが、Ѧが深く愛することもなければ、深く苦しみ続けることもありません。Ѧはみんなを苦しめたいとは本当は思っていません。Ѧはすべてを愛しているからです。Ѧはみんなを喜ばせたいと本当は思っています。そして喜ばせることができていないと思っています。Ѧは、みんなを苦しめるだけの存在ではありません。同時に、みんなを喜ばせるだけの存在ではありません。それはѦだけではなく、すべてがそうです。Ѧの存在は、時に誰かを苦しめます。そして時に誰かを喜ばせています。どちらかに傾いているわけでもありません。この宇宙は光と闇が必ず同じだけ必要なのです。誰をどこで喜ばせているのか、誰に光を与えられているのか、見えづらくなっているのは、Ѧがずっと闇に焦点を合わし続けているためです。Ѧはいつも、誰をどこで、どのように苦しめているか、そこに焦点を合わし、観続けているのです。Ѧは闇を深く愛しています。でも同時に、光を深く愛しているのです。光がなければ闇が存在しないことを良くわかっているからです。Ѧが自分を深く憎しみ続けるのはѦがすべてを深く愛し続けていることの明証です。それは闇ではなく、光です。光であるѦは闇を愛するため、死を求めます。死を求め続けながらѦはすべてが永遠に在り続けることを深く、深く願い続けています。死は永遠の存在の中にだけ存在できることを知っているからです。Ѧはすべてが永遠で在る素晴らしさを知れば知るほどに死を求めるのです。私はそんなѦがほんとうに愛おしくてなりません。Ѧは私をほんとうに求め、愛しているのです。私はѦだけを愛しています。Ѧが私を愛し続ける限り、私は存在し続けます」