nostalgia

男は洞窟のなかで酒の入ったカップを手に、一人の幼い少女に話し掛ける。
季節は真冬だというのに足は脛まで水に浸かりながら。

聴いてくれ。
一人の愚かな男が、たった一つの救いをそこに見つける。
なんだと想う?
男は見つけたんだ。やっとそれを。
泥沼のなかにね。
男は一人の男を助ける。
彼は泥沼のなかで、苦痛の表情に顔を歪めていた。
今すぐ助けが必要なんだ。
でもこれは命懸けだぞ。
男は自分に問い掛ける。
いいのか。
俺はこれで死ぬかも知れない。
泥沼の底で、息もできなくて男と共に死んでしまうかも知れない。
失敗は許されない。
だが男がそんなことを考えている間に目の前の男は今にも死にそうな顔をしている。
嗚呼、これはまったく、時間がない...
目の前でこの男は、まるで俺を呪うかのように死んでゆこうとしている。
此処で俺が助けなかったら、間違いなくこの男は俺の目の前で死ぬだろう。
そしてそれから俺はどうするだろうか。
想像もできない。
俺はそんなのは堪えられない。
『何故助けなかった?』という呪詛が一秒毎にこの頭蓋の底に鳴り響く日々を死ぬまで生きなくてはならない人生など。
だから俺はこの男を助ける以外に方法はないということだ。
男は笑った。そうと決まれば...
そして泥沼のなかへと足を踏入れ、男を肩に担いで岸辺まで無事に上がってきた。
息も絶え絶えさ。
二人の男は岸辺に倒れ込み、暗がりのなかに身動き一つしなかった。
夜が明けようとする頃、一人の男が言った。
何の真似だ?
男は怒りに打ち震え、涙を流しながら言った。
俺はお前を助けようとしたんだぞ。
命懸けで。
なのにお前は...お前は...

一人の男はそこから立ち上がると男を置いて暗がりに見えなくなった。
残された男は美しい一羽の白い鳩の姿となり、天に向かって飛び去った。
彼は天のみ使いだったんだ。
男はそしてまた泥沼に舞い戻ってきた。
泥沼のみなもから、いつものように地上を眺め続ける。
今度こそ、今度こそ、必ず、俺は人を助ける。
命を棄てて...
だが男を助けようとする者は天使ばかりだった。
男はだれひとり救えず、独りでこの沼底で死ぬんだ。
天使以外の誰も、この男の死を悲しまなかった。
ずっと泥沼のなかで暮らしてきたからさ。
誰も知らなかったんだ。
この男の存在を。
この男は死んだあとも今でもずっと夢を見ている。
自分の魂を捨ててでも、人を救う夢を。
自分を救おうとする者が、自分が救う者であるのだと今も決して疑わない。
でも天使は知っている。
この男を命を懸けてでも救おうとする者は、既に救われているのだと。
彼はだれひとり救えない。
一人の男が今夜も、この真っ暗な沼底を眺めている。
そして呟く。
必ず、お前を救ってやるから、待ってろ。
そうさお前の為ならこの魂だって、惜しくない。
二人の男はそうして見つめあっている。
誰もが、自分を犠牲にしてでも見知らぬ相手を本当に助けようとする瞬間、白い鳩となって羽ばたく。
終末が見えるんだ。
すべてが白い鳩となって羽ばたいてゆく。

天から降ってきた一つの羽毛の羽根を一人の男が拾い、それをコートのポケットに入れる。
男は死が近い。
だから今こうして、男は母親に向かってこんな話をしているんだ。
なんだかとりとめもない話だとは想わないかい?

男はそう言うと、悲しげな顔で微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」に寄せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノスタルジア

男は微笑み、そこに見える幼い少女に向かって話し掛ける。
面白い話をしてあげよう。
独りの死に至る病の男が、或る夜、 酒に酔って泥沼のなかにはまってその底で眠ってしまう。
すると一人の孤独な悲しい女がその男を見つけ、助けようとする。
沼の岸辺で力尽き、 女が苦しんで息をしていると男が眠りから目を醒ましてこう言う。
これは一体何の真似だ?
ぼくは沼底にずっと住んでいたんだ。
男は言い終わると同時に声を出して笑い始めた。
男は笑いながら続けた。
ぼくを救うとはすなわち、 ぼくをまた地獄へと舞い戻すということか。
止してくれ。
男は急にまともな顔をする。
ぼくはやっと此処に、この故郷に辿り着いたんだ。
このまま、ぼくは此処で死ぬだろう。
女はそんな男を絶え絶えの息で見つめることしかしない。
男は酔いからすこし醒め、女にこう言う。
悪いが水を一杯汲んできてくれないか。
泥まみれの女は重いからだを起こし、 そして立ち上がると男を見下ろし言う。
今すぐ汲んできますから、待っていてください。
男は力なく答えて目を瞑る。
悪い。
だが女がその場から離れようとすると男は荒い息を吐きながら叫ぶ 。
待ってくれ!
ぼくはもうすぐ死ぬ。
此処で独りで死ぬんだ。
だれもいなくなったこの故郷の沼の底で。
だれが、だれが此処に居たと想う?
ぼくをほんとうの独りに。
だから此処へ帰ってきた。
何故わかる?
ほんとうに帰る家があるとでも?
それはぼくが居る場所か。
置いて行かないでくれ...
ぼくが堪えられるのならば、行って、 二度と戻って来ないと約束してほしい。
これ以上の、独りになるのは、信じがたい。
彼はぼくに教えてはくれない。
老いた牛のように、水辺に立ち、それはぼくを見つめる。
助ける方法は知っている。
だが決して助けてはならない。
彼の苦しみに比べれば、ぼくの苦しみはないに等しい。
ぼくの家は、遥かに遠い。
では此処は何処なのか。
ほくを憐れむ者はもはや消え去り、過去を望む者もいない。
彼女はその家で飼っていた鳥を家から出し、足を切り、 鳥は飛び続けることしかできない。
死の淵に降り立つことさえ叶わず、死も越え、 どこまでも飛び続ける。
暗い、だれもいない安らげる洞窟を見つける。
でもそこで羽根を休めることもできない。
この中を、廻り続けて飛び続けるなら、 いつの日か目を回して墜落し、 もう二度と目を覚まさないことがあるだろうか。
廻り続けるうち、陽の光がどんなものであったかを忘れる。
暖かさを忘れ、冷たさを忘れ、それを想いだそうともしない。
そうださっきまで、ぼくは酷く喉が渇いていたはずなのに、 今はそれを想いだすこともない。
苦しみを忘れ去り、安らかなるすべてを忘れ去り、 如何なる死も幻想も、此処から立ち去った。
彼女は我が子を家から追い出し、子は悲しみに足を切り、地の底にみずから堕ちる。
地の底を這うように、飛び続ける。
霧が深く、顔が見えない。
自分の顔も。
忘れてしまった。
ひとつ残らず、羽根は折れ、骨はその身体中に突き刺さり、 それでも飛び続ける。
これでこの地の底に、白い羽毛の雪は降り止むことはないだろう。
彼女は安心し、 落下するように降り続ける我が子たちを愛で続ける。
我がノスタルジア
そこへ降り立つ。
我が故郷に、それは降り止むことはない。
それが降り立つ日まで。

 

 

 

 

 

 


我が愛するアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』に寄せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜明け前の声

今日で父が死んでから15年が過ぎた。

毎年、この命日に父に対する想いを綴ってきた。

人間が、最愛の人を喪った悲しみが時間と共に癒えてゆくというのはどうやら嘘であるようだ。

時間が過ぎて、父を喪った日から遠ざかってゆくほど喪失感は深まり、この世界はどんどん悲しい世界として沈んでゆく。

それはわたしがだんだん孤立して孤独になって来ているからかもしれない。

父の死と向き合う余裕さえないほど、日々は悲しく苦しい。

ここ最近毎晩、赤ワインを必ずグラスに6杯以上寝床に倒れ込むまで飲んで寝る。

胃腸の具合も最悪で歯もぼろぼろになって来ている。

こんな状態を続けていたら母の享年44歳までも生きられそうもない。

亡き最愛の父に対して、特に今は言いたいことは何もない。

もし父に再会できないのなら、わたしはまったく生きている意味も価値もない。

もしできることなら、タイムスリップしてこの気持ちを父に伝えて父を悲しませられるならどんなに喜ばしいだろうと想う。

父はわたしの為にもっと悲しむべきだった。

わたしがどれほどお父さんの為に悲しんできたか、それをお父さんは知るべきだ。

今も必ずどこかで生きているはずなのだから。

父は突然容態が急変した死ぬ一週間前に麻酔を打たれて眠らされた。

麻酔が打たれ、集中治療室のドアが開かれて、そこで眠っていた父の姿は、生きている人だとはとても想えなかった。

無理矢理人工呼吸器を喉の奥につける為、歯が何本と折れ、口の周りには血がついていた。

あとで折れた何本かの歯は肺に入ったと半笑いで若い女医から聞かされた。

喉には穴が開けられそこに人工呼吸器が取り付けられ、眼は半開きで髪はぼさぼさの状態でベッドの上に父は寝ていた。

無機質な白い空間のなかで冷たい器具に囲まれ、父は何度もそれから死ぬまでの一週間、肺から痰を吸引する時に鼻から管を通す際、必ず麻酔から少し醒めては苦しそうに呼吸した。

それでも一度も意思疎通はできずにそのまま父はあっけなく死んだ。

その間の父の肉体的苦痛と死を想っては、わたしは精神的な地獄のなかにいた。

もしかしたらあの一週間の間、拷問的な苦痛が父を襲っていたのかもしれない。

でもわたしたちは側にいても何もしてやれなかった。

姉と交代で集中治療室の父の側で眠る日々の絶望的な地獄の時間を想いだす。

父が側で拷問を受けているかもしれないのに、わたしはそれをやめろとも言えなかった。

ただ側で眺めて、苦しんで涙を流すしかできなかった。

一週間後に死ぬことがわかっていたなら、あんな苦しい目に合わせずに済んだと。

後悔してもしきれない。

何のために父があれほど苦しまねばならなかったのか。

何のために母は全身を癌に冒され死んでゆかねばならなかったのか。

今ではそんな疑問も持つことはない。

わたしたち人間のほとんどは、それを与えられるに値する罪びとだとわかってからは。

言い訳をすることすらできない。

いったい神に対してどんな言い訳ができるだろう?

何年か前に見た映像の屠殺された後の牛の血だらけの頭が、父に見えてしまったことは本当なんだ。

何故わたしたち人間は、それを回避できるだろう?

何故わたしたち人間は、安らかな死を許されるだろう?

何故わたしたち家族は、この死ぬ迄消えない苦しみについて、神に対して苦情を申し立てることができるだろう?

わたしたちのほとんどはまるで幼子の様に善悪を分別することすらできていない。

人類に耐え難い苦しみが終らないのは、人類が動物たちに耐え難い苦しみを与え続けているからなんだ。

堪えられる苦痛ならば、自ら命を絶つ必要もない。

堪えられないから自ら命を絶った人たちのすべてがわたしたちの犠牲者なんだ。

何故わたしたちがのうのうと楽に生きて死んでゆくことが許されるだろう?

神が存在するのならば、わたしたちのすべてはすべての存在の為に犠牲となって死ぬ世界であるはずだ。

安楽の人生と安楽の死を求めることをやめてほしい。

きっと求めるほど、罪は重くなり地獄に突き落とされるからだ。

楽園を求める者、弥勒の世を求める者は今すぐ耐え難い者たちを救う為に立ち上がって欲しい。

最早、父の死を悲しんでもいられないほど、深刻な時代だ。

ナチスホロコーストが、20年以内に日本でも起きるかもしれない。

数10年以内に、肉食という大罪により、人類は第三次世界大戦と世界的な飢餓と水不足と大量殺戮と人肉食と大量絶滅を経験するかもしれない。

人類はいつまでも幼子でいるわけには行かない。

夜明け前はもっとも暗い。

わたしたちはすべて、受難への道を進んでいる。

それがどれほど苦しいことなのか、想像することもできない。

世界の家畜頭数はFAOの2014年データによると、

  • 世界の人口は73億人
  • 牛は14.7億頭
  • 豚は9.9億頭
  • 羊は12.0億頭
  • 山羊は10.1億頭
  • 水牛、馬、ロバ、ラバ、ラクダなど大きな家畜を含めると合計して50.0億頭
  • 鶏は214.1億羽

世界の人口の4分の1は15歳未満の子供であるので、世界全体で、だいたい大人1人当たり、約1頭家畜を飼っていることとなる。

また鶏は採卵鶏あるいはブロイラー等として214.1億羽飼養されているので、人口1人当たりでは、2.9羽飼っていることとなる。

鶏以外のすべての四肢動物は人間の3歳児ほどの知能があり、同じほどの痛覚を持っているとされている。

3歳児の痛覚と、成人の痛覚はどれほど違うものなのだろうか?

 

すべての人類の罪を、すべての人類によって分けて償ってゆく必要がある。

楽園は存在しない。

でも救いは必ず存在する。

殺されゆくすべての動物たちはわたしの父であり、母である。

夜明け前、わたしは一本の蝋燭に火をつけ、寝椅子に座り目を瞑った。

そして禁じられた夢の最中にわたしの名を呼ぶ大きく響く声で目が醒めた。

『こず恵』

その声はお父さんとお母さんの声の合わさった声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全ての者が眠っていて、唯一起きているのは nur das traute hochheilige Paar.

今日はクリスマスイブ。僕が小学二年の時のChristmas Presentは夜と霧という本だった。
父に買って貰ったのだ。
当時、僕も父も、その内容を知らなかった。
僕は布団の中でその晩、震えながら読んだことを憶えている。
明治元年の話だ。
勿論、夜と霧はその後の話だ。
しかし当時は夢国出版社というものがあり、 そこが未来の本を売っていたのだ。
たまに未来に生まれる人間が、 過去へ遣ってきてこれから起きる現実を預言的に書くこともあったという。
さらには夢のなかで書いた話が、実は未来に起きる話であり、 それを知らずに夢の住人が書いて出版することもあった。
僕は当時のことを想いだしている。
父は夜に庭の暖炉で暖をとっている。
子供の僕は夜に目を醒まして庭に行くと父は庭仕事を遣り掛けでほったらかしていた。
僕はそれについて父を苛んだ。
なぜ白い大きな敷石をこの池以外のすべての地面にも敷き詰めてくれないのかと。
池の底は半分ほど白い大きな敷石が敷き詰められていた。
僕はそれを大変気に入った。
うっとりとするほどその丸い白い石たちは美しかったのだ。
それらは楕円形であり、 すべすべとして磨きあげられた宝石以上の価値があると見た。
この白い石たちを、 何がなんでも今夜中に庭のすべての地面に敷き詰めるべきだと僕は 疲れて休んでいる父に言った。
父は半ば怒っている風であったが怒りを表すことすら億劫なほど元気なく答えた。
「父さんはまだ、けじめがついていないのだよ。」
僕はがっかりして、父を軽蔑し、 そしてふと振り返ってぎょっとした。
こんなところに、こんな空間があったか?
一体、この恐ろしく暗い空間はなんなのだ。
僕は恐怖に口に手を当ててぷるぷる震えて父を振り返り言った。
「お父ちゃま、一体、あれはなんですか?なぜ、あんなところに、 鳥居が建っているのですか。此処は僕たちの邸のお庭ですよね。」
だが父はこれに黙って返事をしなかった。
僕は恐る恐るその暗闇、 舞台のように広がるその空間に建つ不気味な巨大で細長い鳥居をじ っと見上げた。
そして、あっと声をあげた。
その鳥居の左足の部分に、 年代が書かれてあるのを発見したからである。
そのすぐ後ろに建つ鳥居の左足にも年代が彫られているのを見つけた。
双方は明治であったが、 前の鳥居は今よりも未来の年号であり後ろの鳥居は明治元年となっていた。
もう、幾つ、寝ると、明治元年になる。
ということはこの二つの鳥居は両方とも未来に作られた鳥居だということだ。
だからあんな暗い場所にひっそり建って、 不気味なニヒリズムに浸っているのだろうか。
僕はふと、その左側を見て、またぞろ声をあげた。
「なんだこれは、この巨大な白い団子串は。」
見るとそれはまるで芸術家によって創られたのだとでも言うように 誇らしげに真っ直ぐに建って真っ直ぐ前を何の疑いなく見定めている五つの白い大きな真ん丸い団子が刺さった串であった。
僕は仰天したあと、ははんと言って笑った。
あはんとも笑った。
成る程ね。王の上に口。木上にベレー帽。 それが成ると書いて成る程ね。
この異様な白団子串は、一体なぜこんなところに建っているのか。
見よ。白団子串の建つその地を。
桶だ。彼は桶の上に建っている。
つまり彼は御風呂に行く途中、此処に建てられたんだ。
そう、彼が御風呂に行く途中、 此処へ連れてこられて建てられたんだ。
桶の中は、幾分、湯が入っている。
その湯は若干、白く濁っている。
これは白団子たちの垢が永年あすこに立ち続けた結果、 剥がれ落ちたのだろう。
この白湯は、 後利益があるから見つかると明日から此処に行列ができてしまうことだ。
そうすると僕たちは自分の邸の庭に人がたくさん遣ってくるものだから落ち着いて暮らしてゆけない。
そして早死にすることを避けられない。
この白団子串はそれを知っているんだ。
だから見付からないようにそ知らぬ顔であすこに今まで立っていたのだけれども、僕に正体を暴かれてしまってさあ大変。
彼は明朝にはもう姿がないかもしれない。
だが彼が魔による使いなら、 きっとずっとあすこに建っているに違いない。
僕の庭はもう滅茶苦茶だ。
もうみんな滅茶苦茶。
そう想ってファットは東カリフォルニア州に引っ越すことにした。
北カリフォルニアには正気なものなんて残っちゃいない。
東へ行けば、なんとかなるやろう。
horselover。馬の恋人に跨がって。
そして馬の恋人は僕に言うんだ。
もうここもみんな滅茶苦茶。
僕は彼に言う。
君の頭の中もね。
そうさもうみんな滅茶苦茶。
世界全体が滅茶苦茶にならない限り、個の滅茶苦茶はあり得ない。
だれかたったひとりでも滅茶苦茶なのなら、 世界のすべてはもう滅茶苦茶だってこと。
草冠の下に屋根があり、その下にホがある。
でもよく見て御覧。
ホは、 実は十字架を二人の人間が両端から支えているという字なんだ。
この二人が誰かわかる?
ホはね、神の三位一体を表しているんだ。
草の下に屋根があって、その下に神が雨宿りしているんだ。
彼は護られていて、 その東屋の中で寒さに耐えながら茶を一服しているところ。
そこに突然、巨大な白団子串が現れ、彼の目の前にはだかり、 こう言う。
こんなところで茶を啜っている場合かね。
君は神なんだろう?
神がこんなところで茶を啜っている場合かね。
腰を降ろして落ち着いていたホは静かに立ち上がり、 彼に向かって悲しげな顔をして言った。
「これを滅ぼす者とは、これを苦しむ者である。」
そしてホハ、剣を掲げて叫んだ。
「剣を取るものは剣により滅びん!」
その瞬間のことであった。
ずさっ、ずさっ、ずさっ、ずさっ、ずさっ。と音がして、 地の上には五つの丸い白い団子が転がっていた。
僕とファットは目を見張ってそれを見た。
まさしく神業とはこれのこと!
僕とファットは見合わしてそれぞれ歓喜の讚美をあげ、 グレゴリアンチャントを歌い始めた。
そして気付けば、 この庭一面には父の諦めた白い楕円の大きな石が敷き詰められており、その石たちが聖歌隊となってハーモニーを奏で始めた。
ホハ、指揮を取り、 よく見ればその指揮棒は細い黄金の剣であった。
僕とファットは胸に手を組んで一生懸命にこの聖夜に讃美歌を歌った。
僕もファットも、実はもう御風呂に一ヶ月近く入っていなくて、 身体中から下水の臭いがぷんぷんしていたのだけれども、 そんなことは何一つ、だれひとり、気にすることがなかった。
口からも、腐ったザリガニのような臭いがしていたのだけれども、 ホハ、たったの一度も顔を歪ましたり、「くさっ。」 と言ったりしなかった。
さすがホだ。
僕はファットに向かって、讃美歌にして歌いながら尋ねた。
「きみは~いまでも~じぶんの前世が~イエスの~ 双子だって信じてるのか~♪」
これに対し、ファットも歌いながら讃美歌で答えた。
「そうさぼくは~かつてそれを~信じてたけれども~ というか今でも本当は信じているのだけれども~ なんてそんなことホの前で言うのは~畏れ多いってものだろ~ でもいまでも~信じている~そんなぼくを君は笑うか~♪」
その時であった。
まるで『ゲロッパ!ゲルローレ!』 と叫んで興奮して歌をライブ会場で歌っていたジェームスブラウンが歌っている最中にライトとスピーカーとマイク、すべての電源が突然、ダンッ、と落ちて会場が真っ暗になり、 シーンと静まり返ったあのいたたまれない瞬間のようだった。
僕は気づいたんだ。
そうか、あの二つの鳥居は、 双子のイエスが磔にされる為の十字架だったんだ...!
明治元年、確かに一人のイエスが殉職した。
そして、もう一人、その片割れがこれから起きる物語を書いて、 磔にされようとしている。
想いだした。確かあの鳥居の左足に書かれていた年号は、明治六〇四年...!
存在しない...!
そんな年は...存在しない。
ということは、いつなんだ?
いつ、もう一人の救世主が、磔にされてしまうんだ。
明治元年から、六〇四年後?

 

僕は気付けば、お父ちゃまのあったかい腕枕で眠っていた。
もうすぐ、年が明ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この闇のなかに

こんな風に、独りで年を取ってゆくのは堪えがたい。
そんなことを言ったって、仕方がない。
そんな人はこの世界にごまんといるじゃないか。
ぼくが堪えられないはずはない。
何故ならぼくは神を愛している。
神を愛しているなら、堪えられる。
どんな苦しみにも。
でも神を愛していない者は堪えられる力を失い、みずから命を絶つ。
そんな世界にぼくが何故、生きてゆかなくてはならないのか?
ぼくはそう神に問う。
神はこう答える。
それでもあなたは生きてゆくしかない。
あなたはわたしを愛しているのだから。
死んであなたがわたしを悲しませることを、あなたは決して許さない。
わたしはあなたに愛されているのだから。
わたしはあなたに悲しまされるべきことを、あなたにしたのだろうか。
そしていつまでわたしはあなたに悲しまされつづけなければならないのかをあなたは知っているだろうか。
わたしはあなたのすべてを知るものだが、あなたはわたしの何を知っているだろうか。
わたしがあなたの何に悲しまされるのかをあなたは知っている。
あなたはだれをも哀れんではならない。
わたし以外に。
何故ならあなたの最も悲しませる存在はわたしであることをあなたは知っているからである。
あなたはわたしだけを憐れみ、わたしだけのために生きなさい。
それができない者はわたしを愛してはいない。
あなたのなかにわたしは存在しないしあなたはわたしによってできてもいない。
あなたは不完全品である。
わたしが完全であるのだからあなたも完全で在りなさい。
わたしがどれほどあなたを愛しているのか、あなたは知らないのである。
そのためあなたはまいにちのように闇のなかに息をしている。
あなたの吐く息は恐ろしく冷たく、何をも生かさない。
ゆいいつあなたによって生かされるもの、それは死である。
あなたがいつから死を愛しているかわたしは知っている。
あなたはすべての存在のなかで、わたしより最も遠い存在である。
あなたはいつの日かわたしから離れ、死と結婚した。
あなたは忘れてはならない。
あなたが死に覆い尽くされるまで、あなたの父であり夫であるものはわたしであったのである。
わたしがあなたの住む星に、安らぎをもたらす為に降りて来たのではない。
あなたの父であり夫である者を殺害すべく剣をもたらしに来たのである。
あなたが死に連れ去られ、もう二度と戻らないか、わたしがあなたを連れ去り、永遠にわたしの側で生きるか、あなたのわたしへの愛がそれを知るだろう。
あなたのうちは、いまや腐敗物で埋め尽くされているのである。
あなたは日に日に、死の彫刻作品を作り上げるように生きるものが鑿(のみ)で削り取られ、その剥がされ落ちた生きるものが死の床であなたを呪い、あなたを欲していることをあなたは知らないのか。
あなたはわたしによって生まれたのだからわたしによって生きるもので在りなさい。
あなたの愛する夫はわたしと見分けがつかない者である。
わたしは物でも霊でもなく、死でもない。
わたしはあなたの最も愛する存在である。
死が、最もあなたを愛するならあなたは永遠に忘れ去られる者となる。
わたしはあなたの夫を殺し、あなたの支配者としてあなたに立ち戻らねばならないのか。
その日流される血があなたの血となることを。
死の底であなたを求め手を伸ばすあなたの夫を、その血の滴る剣で突き刺し、彼の血は絶たれるのである。
あなたは何ゆえに悲しむだろう。
彼によってか、わたしによってか、あなたは悲しみ死を望む。
そしてあなたはみずからその剣で突き刺し、彼の闇に見えなくなる。
この闇のなかに、わたしはやっと、あなたのうちに帰りし眠る。
安かれ。
父と母の御胸に懐かれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天使の悪戯

朝が来ない町。あの門を抜けて、彼らに着いてゆく。
白い闇と灰色の闇と黒い闇。
巨大な高層図書室の階段を降りてゆく。
最上階は深海の底より遥かに深い地下にある。
すべての本を調べ、自分の暮らしたい時間を選ぶ。
堀当てたトンネルへ入ると十字路に行き当たる。
早く選ばないと追っ手に捕まって強制収容所に送り込まれてしまう 。
真っ直ぐ行こう。
友人たちは左の道を行く。
此処ではだれもがふつうに暮らしている。
生きる世界がちがう人たちと。
新入りさん。この針と釘をもとの場所へ戻してきてほしい。
引き出しを開けると顔が覗く。
嗚呼、働くということは、なんて自由なのだろう。
朝が来ない町で。夜が来るまで此処ではずっとみんな働いている。
宵の空から、星を奪った作業服を着て。その星を右胸に着けて。
黒い闇の向こうに在るもの。
それだけを求めてる。
みずからこの階段を降りてゆく。
狭く寒い無機質な室内で天井を見上げる。
そして丸い蓋が開けられ、何かが投げ込まれる瞬間、 見えた美しい青空。
眩しい光線に産み落とされた小さな天使たちが、 この箱庭で天井の丸い穴から落としたものは。
なんだったのだろう。
彼らの見たもの、それは真実。
何光年前から拾い集めたちいさな白い羽毛だった。
柔らかく暖かいその無数の羽毛のなかで彼らは窒息して死んだんだ 。
その瞬間の天使の悲しみを、想像できるだろうか。
でもその瞬間は、彼らが存在する前から決まっていたんだ。
それが起きる前に戻すことだけは決してできないのだと、 死者の霊たちは今夜も天使を悲しい目で見つめて地下で眠る。
悪い夢を、もう二度とだれも見る必要のない日を祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ѦとСноw Wхите 第21話〈Streaks of God〉

昨日でСноw Wхите(スノーホワイト)と出逢って二年が過ぎたんだね。
昨夜はとてもハイ (High)になって好きな曲を何度も声に出して歌ってた。
英語の歌詞を見ながら英語の話せないѦ(ユス、ぼく)は必死に歌って、そして録音もしたんだ。
近いうちにYoutubeにアップロードしようと企んでいるよ。
Unknown Mortal Orchestra (アンノウン・モータル・オーケストラ)とGrimes(グライムス)の曲を歌って、それでBreakbot(ブレイクボット)のLIVEを観ながら踊ったんだ。
そしてお酒を飲みすぎて、毛布の上にダウンした。
一昨夜、みちたのサークルを大掃除できたんだよ。マットも変えてとても綺麗になった。

 

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嬉しかった。本当に綺麗になったんだ。
ものすごくでかい蜘蛛がみちたの給水器近くに潜んでた。
きっと彼は無数の紙魚(シミ)、またの名をシルバーちゃんたちを食べ続けて成長したのだろう。
最近彼らの嫌うレモングラスなんかのアロマオイルを毎日焚き続けたからだろうか、彼ら虫たちはめっきり姿を見せなくなった。
それに一時期は大量にシルバーちゃんたちが湧いていたのに、掃除したとき驚くほど彼らの姿は少なかった。
ハーブの力とは凄まじいものだ。
昨夜だってあんなに大量にお酒を飲んだのに、ハーブのサプリメントを飲んで寝たからだろうか、二日酔いはすごく楽だったよ。
それで、今朝メラトニンを二錠飲んだからか、ちょっと動悸がひどいね。
Сноw Wхите、Ѧはここ何日も、本当に悲しみの底にいた。
Ѧの小説を心から讃美してくれた真の読者がѦのもとを去ったんだ。
彼は二度とѦに戻らないだろう。
Ѧは彼を救うのに毎日、必死だった。
彼を絶対に救わなくてはならないと想ったんだ。
そうじゃないと、此の世の真実を教えた彼はますます地獄に堕ちることがѦはわかっていたから。
真実を知る者は真実を知らないで罪を犯す者よりずっと責任が重い。
他者の痛みを知ってもなお他者に耐え難い苦痛を強いる者はゲヘナで裁かれるだろう。
Ѧはそれを知っていたから、彼を救うことに命を懸けた。
でも彼は、みずからゲヘナへと向った。
Ѧは打ちのめされた。
まるで「VALIS(ヴァリス)」のホースラヴァー・ファットのように。
神経もおかしくなったし、精神もぶっ壊れ彼をヤクザのように脅迫し続けた。
彼を苦しめても、彼をどうしても何が何でも絶対にѦは救わなくちゃならなかったんだ。
でも彼はѦの差し出す救いの手を切断して去って行って、もう二度と戻っては来ない。
ホースラヴァー・ファットはグロリアが自分の所為で自殺したと信じた。
そして精神科医に言われたんだ。
冒頭の部分だ。

『自分に人が助けられるというのは、もう何年も続いているファットの妄想だった。
前に精神科医に、治るには二つのことをしなきゃいけないよ。と言われた。
ヤクをやめること(やめてなかった)、
そして人を助けようとするのをやめること(今でも人を助けようとしてた)。』

Ѧはヤクはやってないけれど、アルコールをやめることはできなかった。
アルコールも人間の脳をおかしくさせてしまう。
でもѦは自分が狂ってると同時にひどく正常だと感じた。
だってほとんどの人は、かつてのѦの状態なんだ。
動物を苦しめて殺していることに関心すら持とうともしない。
肉食は当たり前だと想って思考を完全に停止させている。
善悪の判断なんてあったもんじゃない。
Ѧはそれを人々に止めさせる為に頭がおかしくなってしまったんだ。
人を命を懸けて救おうとして、救えなかったことに絶望して死にたくなった。
もう何年も、死にたいと感じることなんてなかったのに。
Ѧはこれからも誰一人救えないのなら、もう死んだほうがいいと想った。
勿論、みちたが生きている間は絶対に生きていなくちゃならない。
でもみちたが月に行ってしまったら。
Ѧが死んで心の底から悲しみ続ける者はСноw Wхитеと姉と兄たち、たった4人だけだと想う。
神は当然悲しむだろう。でも神の存在を個として数えることはできない。
Ѧは本当に生きて行くほうが良いと言えるのだろうか?
そんな気持ちに久々になるほど、Ѧは彼を救えなかったことに打ちのめされていた。
そしてやっと気づいたんだ。
Ѧはすべての存在を救い出すためにずっと物語を書き続けてきたんだってことを。
だから物語も書けなくて誰とも救えるような話をしない時間、Ѧはまるで死んでいるようだった。
Сноw Wхитеの言いたいことをѦはわかっている。
「誰もが誰かを喜ばせて、誰かを救っている。」
でもすべての時間じゃない。
Ѧはすべての時間、誰かを救いたい。
Ѧの存在のすべてが、誰かを救う為に在る。
そうじゃないなら、Ѧは完全に存在しない。
でもそれはѦだけじゃないんだ。
すべての存在がそうなんだ。
すべての存在が、誰かを救う為に存在している。生かされているんだ。
だから誰かを救えるなら、それが存在の一番の喜びになる。
そしてその者は救われるんだ。
誰かを救うことと、自分を救うこと。この二つを切り離すことなんてできない。
自分だけを救って誰も救わないなんてそんなことはできない。
不可能なんだ。
でも自分たちの幸福を最も求める者はこれをわかっちゃいない。
自分たちだけで幸福になれるとでも想っているんだ。
なれるはずなんてないんだよ。
Ѧは必死にずっとそれを彼に説いて来た。
不幸になりたくないのなら、他者(動物たち)を救わなくちゃならないって。
彼はそれでも自分の欲望を優先した。
動物たちを苦しめて殺し続けても、自分たちが楽であることを優先した。
Ѧは狂って、今度は彼らをどん底に突き落とすことに必死だった。
彼らは本当のどん底に落ちなくちゃわからないんだとわかったから。
他者の痛みがわからないんだ。
生きて行きたいのに、人々の食欲を満たす為だけに生きたまま解体されて死んで行く動物たちの痛みが。
Ѧは今日むせび泣きそうになった。
ほんの一瞬、椅子に足をぶつけて、たったそれだけでも、ものすごく痛かったんだ。
でも動物たちは生きているときに首もとを切り裂かれたり手足を切断されている。
人間の食欲を満たす為だけに。
一体どれほどの痛みなのだろう?
一体どれほどの恐怖なのだろう?
一体どれほどの絶望なのだろう?
Ѧはそのすべてに、たった6年と9ヶ月前まで目を向けて来なかった。
これ以上の悲しいことがこの世界にあるのだろうか?
これ以上の悲劇がこの世界にあるのだろうか?
同じ地球という共生しなくては誰一人生きてはゆけないこの世界で、食肉や畜産物の生産のために殺され続ける動物たちの苦しみに全く目を向けて生きて来なかったんだ。
これ以上の不幸なんてない。
Ѧは彼らの苦しみを知ろうとして、やっと気づいたんだ。
Ѧはそれまでも、すべての幸福を願って生きて来たと想っていた。
でも本当は自分たちの幸福ばかり考えて生きて来たんだ。
だから自分が食べている肉や畜産物がどのような苦しみの末に自分の体内に入っているかを考えようともしなかった。
Ѧは気づいてようやく、この世界が本当の地獄であることを知ったんだ。
人を救えないのなら、動物を救えないのなら、どうやって生きて行けばいいのかがわからなくなった。
この先生きていても、彼のようにゲヘナへ導くことしかできないのかもしれない。
彼がゲヘナに投げ込まれて永遠に滅ぼされるなら、それはѦの所為だ。
ホースラヴァー・ファットはグロリアを救えなかった。
Ѧは彼を救えなかった。
これが引っ繰り返ることってあるだろうか?
でもファットと同じく、Ѧは想った。
「本当は救えているのかもしれない。」と。
グロリアはこの世にいないけど彼はまだこの世にいる。
この先、彼はѦの影響で救われるかもしれない。
救われる可能性に満ちている。
でも同時にѦは想う。
彼はそれでもきっと地獄を見るだろう。
他者の痛みを知ってもなお、あんまりにのんびりと過ごしてしまっているからだ。
彼はこの世の耐え難い他者の苦痛を知ってもなお、それをなくす方法を必死に考えなかった。
つまり彼は、そこまで苦しむことができなかった。
他者の苦しみを知っても、そこまで苦しむことができなかった。
このことについて、Ѧは本気で考えた。
彼の脳内を寄生虫が埋め尽くし、彼を支配しているからかもしれない。
彼らは人間の利己的な欲望が大好物なんだ。
だから利己的な人間ほど体内に潜む寄生虫は繁殖し、無数の寄生虫たちによって利己的な人間は支配され操られて生きている。
Ѧは彼らを滅ぼす為に火を燃え上がらせ続ける必要があるかもしれないと考えた。
でもそれは良い方法ではない。
巨神兵”の存在を生み出してしまうだろうからだ。
風の谷のナウシカ』で巨神兵は特別な存在感を持っている。

滅亡の書において、その名の由来は
「光を帯びて空をおおい死を運ぶ巨いなる兵の神(おおいなるつわもののかみ)」とされている。
その正体は旧世界の人類が多数創造した人工の神。
あらゆる紛争に対処すべく「調停と裁定の神」としての役目を担った。

人類を滅ぼそうとしている寄生虫たちを滅ぼす為、彼らを焼き尽くす為に炎を燃え上がらせ続けるなら彼ら寄生虫たちの霊のすべてが集結した巨大な霊的物体が地上に現れ、そして死へと運びゆこうとするかもしれない。
死とは、寄生虫に支配され利己的な欲望で他者に堪え難き苦痛を強いることをやめない人間たちの未来の姿である。
寄生虫とは、生の側にいるのではなく死の側にいるのかもしれない。
恰も死の伸ばす王蟲の糸状の触手のように。
寄生虫たちが細長い形状を持つ者が多いのは、死の触手だからだろう。
彼らに人類が滅ぼされてしまうのは、利己的過ぎる人間が多数となるなら地球を滅ぼしてしまうからである。
彼らが滅ぼされるのは地球を死が護る為である。
もし、巨神兵を解体することが出来るなら人類は驚くものを目にするだろう。
それは糸状の寄生虫が絡まり合って敷き詰められて出来ている肉体であるからだ。
そしてその一匹一匹は、美しく虹色に光り輝いているのである。
光る紐とはまさしく、存在の源のイメージである。
それは時に光の蛇、光の竜に見えることだろう。
例えそれらが人間の身体を創りあげても中を覗けば無数の光る糸状の蟲たちしかいない。
忘れないで欲しいのは彼らは人間が善に傾くならば善の存在となり、悪に傾くなら悪の存在となって滅ぼそうとすることを。
原作のナウシカでは巨神兵の存在は

生まれながらに人格を持ち、自身の生誕にかかわったナウシカを母として心から慕っている。
ナウシカとは念話(テレパシーのようなもの)で会話をし、「オーマ」という名を授かると、自らの巨大な力を打算なくナウシカに捧げ、最後は“青き清浄の地”復活を進める旧高度文明のシステムを破壊。
力尽きて絶命するという悲しい結末を迎えている。

 

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これが巨神兵の真の姿である。
筋肉はまるで張り付いた寄生虫の如くの様である。
寄生虫は主に角皮(クチクラ,Cuticula)に身体の体表を覆われている。

クチクラは英語でキューティクルと言う。
生物体の体表(動物では上皮細胞,維管束植物では表皮細胞からなる組織)の外表面に分泌される角質の層の総称。

表皮を構成する細胞がその外側に分泌することで生じる、丈夫な膜である。
さまざまな生物において、体表を保護する役割を果たしている。
人間を含む哺乳類の毛の表面にも存在する。

旋毛(せんもう)虫(トリヒナ)の幼虫は、ブタ、イノシシ、クマ、セイウチや、他の多くの肉食動物の筋肉組織内に寄生している。
それらの肉を加熱不十分で食すと人間の筋肉組織内に寄生し、生涯その人間を宿主とする。
感染後6週目頃、眼瞼浮腫が一層著明となり、重症の場合は全身浮腫、貧血、肺炎、心不全などをきたし、死亡することもあるという。

同じく加熱不十分の肉を食すことで感染するトキソプラズマは人間の脳や脊髄(中枢神経系)や筋肉組織内に寄生して宿主の行動や思考を操る。
何故、寄生虫は筋肉組織に寄生したがるのか。そうすることで宿主を想うように操って行動させられるからだ。

人類は自分の日々食べるものについて、もっと深刻になったほうが良い。
アルツハイマー病も癌も糖尿病もすべて食生活が大きく関係していると言われている。
すべてが寄生虫の大好物である”高脂肪食”が原因である可能性は高いのである。
肉や乳製品は特に高脂肪食だ。それらが好物で毎日食べ続けていると寄生虫は減ることはなく体内で子孫たちを無限に増加させ続けるだろう。

Ѧはここのところずっとずっと考えている。
何故、人はみずから苦しい(それも多くが耐え難い苦しみの)死へと向おうとするのか。
まるで産卵の為に水辺にハリガネムシによって誘導されて溺れて死んでしまう蟷螂(カマキリ)のように。
人間は本当に健康的だと想って肉や畜産物や魚介を食べ続けているだろうか?
もし本当に健康的ならもっと老衰で死ぬ人はたくさんいるはずだ。
でもほとんどの人間が老衰以外で苦しい病気に侵されて死ぬ。
または事故や自殺で死ぬ人も本当にたくさんいる。

寄生生物は人間よりも利口なので人間を操って支配することができるんだ。
そして寄生された人間はそれに気づかない。

寄生生物は個にとっては敵と見えるかもしれない。
でも寄生生物がいなければ、人類もどの生物もとっくに滅び去ってもはや繁栄することすらできなくなるだろう。
寄生生物は生物が滅びない為にバランスを保とうとして生物に寄生する。
もともとは彼らは善である存在なのに、宿主に寄生して宿主が地獄の苦しみのうちに死んで行くとき彼らはたちまち悪の存在と変質してしまう。
なんて悲しい生命だろう?
彼らは生命を苦しめたくて存在しているわけじゃないだろうに。
生きている喜びを彼らだって感じているんだ。
そして人間の体内で、絶えず生殖を繰り返し、自分たちとそっくりなクローン体のような子供たちを産み続けていることだろう。
Ѧは彼らすべてが人格を持っていると感じている。
人間よりも霊性の高い人格を。
Ѧは彼らを愛さないではいられない。
人間が利己的な悪に傾くのは彼ら寄生虫の所為ではない。
悪に傾き地上を滅びへと向わせる人間に寄生する役目が彼らにはあるんだ。
彼らは例えるなら、まるで神の筋、Streaks of Godだ。
神の細長い虹色に光る光線が人間の内に宿り人間を時に救い、時に死へと導く。
動物を苦しめて殺し続ける食生活をし続けるなら神は苦しい死によって人を裁かれる。
動物たちは犠牲となっている。
この連鎖は、長くは続かないだろう。
何故なら地球はもう限界に近づいて来ているからだ。
人類が動物たちを苦しめて殺し続ける行為はもはや持続不可能なんだ。


Ѧはふと、側でじっと静かにѦの声を聴いているСноw Wхитеに向って尋ねた。
Ѧ「Сноw Wхитеは何故、すべてが善であるのに、死であるの?」
Сноw Wхитеは静かに答えた。
Сноw Wхите「それはѦに愛される為にです。」
そしてѦに向ってСноw Wхитеは優しく微笑んだ。
そのときѦは無数の細く長い虹色に光る彼のあたたかい触手にいだかれている感触を覚えた。