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2015/4/24

人間はいったい、どう生きるべきと言うのであろうか。

その“どう生きるべき”というのがわからない以上、「俺は病気です」とも言い難いのである。

実際、俺は欝を病気だとはあまり思っていない。

むしろ、自分の我欲のために頑張って働くことは病気ではないのかと思うこともある。

自分の願望のために他を押し退けてでも上に上がろうとする、これは病気である。

よい会社に受かれば、自分が受かった御陰で落ちた人がいるわけである、にも拘らず喜ぶ、これは病気である。

やりたいことがあって、それが欝のためにやれない、すると欝は悪だ、病だと言う。

しかし、そのやりたいことが本当に自分がやるべきことかどうかはわからないのである。

俺は確かに働きたい、がんがん小説を書きたい、とは思う。

しかし、“欝で苦しむ”これを差し置いてでも自分にとってやるべきことかと考えると、NOと言う。

つまり“欝で苦しむ”こと以上にそれはやりたいことでもやるべきことでもないのではないかと考えるのである。

何故なら欝は苦しいからである。

働きたくて働けること、小説を書きたくて書けること、これは喜びである。

いったい、喜びよりも苦しみは価値に劣ると誰が言ったであろうか?

その“価値”は自分で決めたらいいわけだ。

俺は絶対的に、この世で一番強い感情は悲しみや苦しみであると思っている。

 強い感情とは情熱そのものである。

悲しみや苦しみは人に情熱を持たせるとても大切な感情なのである。

俺は働いたり小説を思うように書けたりすることと引き換えに、それができない苦しみをもらって、情熱の肥やしを今、畑に蒔いていると思えばそれは病でも悪でもなく、自分の貴重な糧である。

だから俺は欝がどんなに人を停滞させるように見え、動けない石のような存在にしてしまったとしても、それをマイナスにネガティブに思うことはしないようにしている。

欝の苦労を知らないよりは、知っているほうがよい。

喜びや思い通りに動けることが人の道を切り開くものではないということだ。

欝は苦しいからこそ、よいものなのである。

だから俺はこういう考えなので、たぶん一生欝だとは思っている。

布団の中の一生である。俺はそれを良いと見る。

しかしもっと苦しいことがあるなら、俺は欝よりもそちらを選ぶだろう。

がんがん働けるが欝よりも絶望的、なんてそんなものはあるか知らないが、あるならそれを選び取りたい。

こんな考え方なので、生活保護を5年半受けて、いよいよ規則違反(精神科に通院しない)で生活保護の打ち切りの注意をもらい始めているが、それでも俺は通院する気がどうも起きないようだ。

行っても薬で治ることは信じていないため、嫌々飲みたくもない薬を渡されるだけである。

医者もこんな患者を相手にするのはさぞかし嫌だろう。

だって治そうとする気が0なんだから。

だからそんなこんなで「不正受給」とよく人に思われるのである。

市役所の担当の人にまで思われている次第である。

俺もこんなだから胸を張って「いや、俺は正当受給だ」とは言わない。

しかしこの底のない、人の税金で暮らす、酒を飲む、という罪悪感の苦しみは俺には必要であり、ないとそれは病気である。

今月、通院をしなかったので来月の支給日には市役所まで電車に乗って取りに行かなければならないかもしれない。

とても苦痛だ。外に出るとどの人間も俺を「不正受給者」の目で見る。

果ては「廃人、罪人」の目で白々と見ているはずだからである。

俺は広い外を歩きまわれる自由があるが、そこはもはや広い自由の取れる刑務所と変わりはない。

だから小さな俺の部屋という牢屋の中に引篭もっている。

俺の部屋で俺を「罪人」呼ばわりするのは俺自身だ。

俺は朝起きた瞬間から夜寝る瞬間までずっと体の強張りと緊張が取れることがない。

罪人だと言う目で見つめ続けられて緊張が解けることなどない。

毎日が日曜日だが疲弊のずっと続く日曜日。

これは俺が働かずに人の稼いだ金で生活するのに必要不可欠な慢性の疲労と疲弊と言っていいだろう。

だから余計欝になるという循環は致し方あるまい。

それは生活保護受給者に課せられたひとつの疲労する仕事なのである。

だが生活保護受給者には休日と言うものは存在しない。

心休まる時など一瞬でさえない。

だからそんな地獄が欲しいならおまえも生活保護を受けたらいいと俺は言うのである。

働ける人は働いたほうが楽だろう。

ずっと家でじっとしているので体は老人並み、もしくはそれ以下の体力と節々の痛み、寿命は30年は縮むと考えたほうがいい。

ほんの少し動いただけで動悸、息切れがはんぱない。っぱねえんだ。

しかしそのすべてが人の金で暮らしていく生活に課せられた仕事である。

楽な仕事だとは俺は思わない。

人間の仕事というのは何も働くことばかりじゃない。

しんどいことがあるなら、それが仕事だ。

しんどいことが多ければ多いほど、しんどい仕事だ。

しんどい仕事が多ければそりゃ欝にもなる。

楽しいこと、喜びよりも、悲しいこと、苦しいことが増えて値が重くなると人は欝になる。

つまり欝の人はしんどい仕事をやり続けている状態にあるということだ。

だから欝の人を働かせた場合、しんどさに耐え切れずに自ら命を絶つことが多い。

どんな人間でも同じだけ働かないといけないと言うのはおかしい。

欝を病ととると、病だから働くことが出来ないとして働くために欝を治そうとするが、欝は元気よく働くことよりもしんどい仕事なのだから、しんどい仕事の価値を見出すことさえできるなら欝をネガティブに思うことはなくなる。

自殺者が一日に70人というこの日本の多くの人は欝を悪いものとして捉えていることも関係している。

欝をよいものとさえすれば、欝を生きることの生きがいと遣り甲斐だって感じることが出来る。

どんなに苦しいものでも遣り甲斐を感じるなら死にたい気持も起きない。

これは欝の人がそう思うことでなく、周りがそうであればいい。

欝であることはそれだけしんどい大きな仕事をしているんだから、元気に働けることよりずっと価値があるじゃないか、と周りの人間が言えるようになるといい。

そういった裏返しの価値観が広まっていくことを俺は願っている。

だいたい働くことを第一に良しとしているから働けないと欝になるということを考えるのがいい。

生きるために働くのではなく、働くために生きるという考えになってしまっている。

第一に生存することが大事だとするなら、何が何でも自分が生存できる考え方と言うのを編み出すしかない。

働くことを第一とすると俺はますます欝になって死ぬかもしれない。

俺は生きることより働くことが大事だとは思っていない。

生きる上での苦しみによる学び、それこそが人間の仕事であると考える。

欝の苦しみは学びの宝だ。

青空の下で本当の笑顔で笑えないこと、それが宝だと誰か言ったろうか?!

でも俺は言う。

苦しみである宝を見つけるために俺は生きていると。

その宝はとてつもない深い泥の中にしかない。

その真っ暗な泥の中に潜って、手探りで探す。

そんな日々を俺は自ら選んだと思える。

苦しみの底に潜り、もっと大きな苦しみを探すために。

俺の母は44歳で癌で死んだ。

俺は今33歳で、今年8月で34歳、あと10年後で44歳だ。

俺の命もあと10年以内であってもおかしくない。

俺はこの10年を幸せに暮らしたいとは思わない。

俺が目指すのは泥の底にしかない宝だからだ。

 

 

 

今日は欝と躁が混合状態というかそわそわしたものがあるが電話をかける気力はない。また尿意を無意識にがまんしており、なぜか頑なに行きたくないのである。

膀胱の痛みが限界に来るまでなかなか動けない。これは欝だが、そわそわして書く言葉もどこか豪語が多い、これは躁である。

欝と躁が同時にある、これは面白いが人が見ると、欝ではないと判断しやすく、よって仮病だと思われやすい。

しかし欝とはいろんな種類があって複雑すぎるものであるからぱっと見で判断してはなるまい。

べらべらと際限なく喋り続けているがその人は限界まで尿意を我慢していながら喋り続けているならその人は欝の躁転が起きていて今は躁鬱混合状態にあると思っていたらいい。

欝は簡単に躁転するものらしい。欝が酷いと躁転する人もいるという。

葬式で躁になる人が多いと中島らもの「心が雨漏りする日には」に書いてあった。

そういえば俺は父の死んだ次の夜、寝ている父のそばでみんなで酒を飲んで通夜をしているとき変に楽しかったというのもあれは躁が来ていたのだろうか。

それは俺だけじゃなく姉兄全員も楽しそうだったので全員で躁が来ていたのかも知れまい。

躁があるときはゲームなんかをちまちまする気にも起こらない。

こういうときはブログで豪語を叩くことが楽しいのだろう。

しかし今日書いたことは俺の存念であるので、ころころ変わる考えではない。

宗教、宇宙、自然などという人知を超えたものに興味のある人間が欝になると躁転しやすいようだ。

中島らもも超越的なものに対する志向性が高いため躁転したのではないかという。

たとえば俺なんかもスピリチュアル的な考えが昔からどうもあるようで、欝がひどくなってきた時期であっても友人が訪ねてくれば友人に向かって「この世にたった一人でも苦しんでる人がいるなら誰一人天国には行かない」などという信念が既にあった。

だから欝になってもただの欝には収まらず、逆転の考えで欝である俺は欝であるが故の何かが出来るはずだと信じるわけである。

そんな人間と対話する人間はどうもこいつは欝じゃないぞと思い仮病だと思われやすい。

しかし躁転したときに自殺する元気も出てくる人がいるようだから躁鬱は苦しくないと思ってはなるまい。

欝のストレスがピークになって躁転するとしたら、躁になってる人は何かと危険性が高まるわけである。

俺の今日なんかはイライラもいつもより大きいような気がする。

今はそうでもないが、横になっているときは隣の住人の窓の開け閉めのうるささにいつも以上にイライラとした。

イライラが大きい、これは欝が酷くなっているときに多い。

で、起きたら今度は躁である。14時ごろから今17時45分までずっと書き続けているわけだ。

書くスペースが遅めなのは欝と躁が同時に起きているのと、俺の場合は躁はそれほど強くないためである。

これが本当の躁だとものすごい速さで書き上げる。

 

心が雨漏りする日には (青春文庫)

心が雨漏りする日には (青春文庫)

 

 この本はとても面白いし、躁鬱がどのようなものであるかわかる。

俺が一時期ボーダー(境界性パーソナリティ障害)の治療に処方されていたてんかんの発作に処方されるテグレトールという馬鹿でかいものすごい強い薬を少量ODしたとき夜にトイレまで這って行かねばならなかったほどだ。ふらふらで起き上がることも出来ないからである。(ちょうど生まれたばかりの頭がぐらぐらして這っている子猫のような状態になる)

そのテグレトールをらもは酒と一緒に毎日飲み続けていたというから恐ろしい。恐ろしいのはらもではなく、処方する医者のことである。

西洋医薬は毒を毒で押さえ込むに似た働きがあるように俺は思う。

正常さを麻痺させれば治ったと錯覚する。

とんぷくなら大いにいいと思うが、飲み続けることは俺はする気はない。

箸を洗うのもしんどいのでキャベツの千切りを手掴みで食うている。これも躁鬱混合の為せる業かも知れまい。

ささいなことは気にならない、やることが大雑把に為る。これは酒で酔っているときとよく似ている。

脳の状態が似ているのかも知れまい。だから泥酔状態とヤクでキマッているときの状態とあまり変わらないのかも知れまい。

今日はみちたくん(うさぎ)に7時前に起こされてそのあと精神科に行くことは諦めて13時過ぎまで眠った。

父親の夢を見たので続きの見たさと落ち込みで寝すぎたかもしれまい。

なぜか外が暗くなってくると目が眩しくなってくる。部屋の電気が眩しいのだ。

今日は朝から不整脈もあるし、やはり精神不安定が酷い日なのだろうか。

今日の月齢を見てみよう。

 

2015年4月24日、月齢 5.3 (中潮)

月齢 5.710
5.335

 

  • 朝の歯磨き、朝の洗顔:◎
  • ツイッターを少し見る:◎
  • 動画、音楽の少しの視聴:◎
  • 恋人と比較的元気な会話:やや◎
  • めばちこが治り始めた予感:◎
  • 尿意の限界までの我慢:◎
  • 朝に日めくりカレンダーをめくる:× (21時32分にやっとめくった。)
  • The Sims フリープレイをする:やや×
  • 精神科へ行く:×
  • 市役所に電話をかけて弁明する:×
  • 皿洗いする:◎
  • チャイムに応対する:×
  • 凝った料理を作る:◎
  • 明るいうちから酒を飲まない:◎
  • 映画を観る:×
  •  

 今日はあんまり酒を飲む気になれない。

たまった皿洗いが出来て凝った料理を作れた。嬉しい。

今日も目がやばいから目にいい特製スムージーをあとで作ろうかな。

 

 

 〈今日のsirosorajpんちのご飯〉

題して「ごぼう入り野菜チャーハン」

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 レシピ

    • ごぼう
    • にんじん
    • 小松菜
    • たまねぎ
    • しいたけ
    • しょうがとニンニクのみじん切り
    • こしょう
    • (*1;)、veganチキン風野菜ブイヨン

    • 仕上げの乾燥パセリ

*1; 

lokahi-plus.com

 

このブイヨンはとっても美味い。野菜エキスだけで作られたウェイパー並みの味とコクがあり、健康を意識する方はこちらに変えることをお勧めする。

 

〈今日のsirosorajpんちのスムージー〉

題して、「健康に焦ってる人向けの奇跡のスムージー」

レシピ

 

調整豆乳の場合は甘いアーモンドチョコクリームは入れなくともよい。

これらをミキサーでがーっとすればいい。

時間が経つほど固まってスプーンで食べるデザートになる。

見た目がとてもグロテスクなため写真に撮るのも忘れた。

あとレモンジュースを少量入れるのを忘れたので、足すことにする。

アサイーは目にいいので、やはり摂ると目の眩しさはマシになるような気はする。

 味はブルーベリーヨーグルトに近くてなかなか美味い。

 

f:id:otoneru:20150424223748j:plainやはり撮ってみた。これはさらさらに見えるが実はぷるんぷるんに固まってるのである。嘘だとお思いの方は作って御覧なさい。

 

後ろにワニの奥にあるスチール写真

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岸田森主演の「黒薔薇昇天」という日活ロマンポルノ映画のワンシーンであるが、近々観る予定である。

 

 

そんなこんなで今日は昨日よりも出来ることが多く元気があったようである。

なんせ一日中これを書いていたのだから・・・。