紙魚

気持ち悪いと言えば、最近、寝ていたら耳のなかで突如、ごそごそ言い出して、しまったあ!虫が耳のなかに入った!って想ってもなかなか出てこなくて、ずっとなかでごそごそゆうてるんですよ。
それで身体を起こしたらやっと耳から出てきて足の上に虫が落ちてきて、紙魚と書いてシミっていう虫で、うちで異常繁殖してるので、とうとう耳のなかにまで入って来たんですね。
本当に、怖くて気持ちが悪い体験でした。

脳を侵されて、朝に起きたら巨大な紙魚になっていた。

とか、ならなくて良かったである。

ちなみにこの紙魚、実家では兄が"シルバーちゃん"と名付けていたのでわたしもそれからシルバーちゃんとずっと呼んでいます。
英語では 「Silverfish」 っていうみたいで、兄はその名前を知らずに、ただ色がシルバーだからそう呼んでたんです。
ちょっとそれ考えたら変な可笑しさが込み上げてきます。
シルバーちゃん、寿命が八年とかで、そんなずっと一緒にいたら、立派な同居虫だなとか想って、まあ同居してるのに、ムシされてる、みたいな。あ。
ピンポーゥン。とその時、チャイムが鳴った。
女は、「誰…こないな時間に…」と心身を恐怖に打ち震わせた。
時間は夜の23時35分。こんな時間に人が来るなんて、可笑しい。はははははってその可笑しいちゃうわいっ。
女は自ボケ自ツッコミをしたあと、ドアの前まで歩いていき、覗き穴からおそるおそる、覗いた。
すると、なんと、そこには、エドワード・スノーデン似の、白人男性が、突っ立っておるでは、ないか。
何故?ホワイッ?なんで?なんで?何故に、あたちの部屋に、来たの?しかもこんな夜遅く。
女は訝りながらも、興奮してドアを開けた。
ドアの間から、男は顔を覗かせ、穏やかにこう言った。
「どうも、今晩は。貴女と一緒に同棲していた、シルバーちゃんです。今朝、貴女がゴミを捨てに行くのを、つい、着いていきたくなって、着いていったら、貴女がわたしを部屋に入れる前に、ドアを閉めてしまったので、それからずっと、一人で泣いていました。」
女は、それを聴いて、多分、この男は、何事かの尋常ではないことを経験し、頭がどうかしてしまったのだろうな。と想って、可哀想になり、人情と、欲情と、情愛と、婚活から、この素性もわからぬ白人の男を、部屋へと入れた。
「はあ、そないですか。まま、どうですか。一杯、お酒でも一緒に、遣りませんか。お酒、行ける口ですか?あ、さいですか。そら、よろしおまんな。ほな、ささ、なかへ、入ってくらはい。遠慮はいりまへん。これも何かの奇跡や御縁。ゆったりと、寛いでくろたら、ええですわ。ま、足の踏み場もあらへんけど、ははは。」
男はにっこりと、優しく笑みを浮かべ、女の部屋のなかに入った。
そして、褥の上にて一杯、酒を注ぎ合い、飲み交わして三時間。頃か、経った。
それまで女が他愛もない話をして、男はこれを黙って聴いておった。
しかし時間が、午前の三時半を過ぎた頃、男はポツリポツリと、話し出した。
「わたしはこの部屋で生まれ、それからずっと、貴女の御側で育ちました。貴女がわたしの為に買ってくださった古書は、大変美味で、食べる度に頬っぺが落っこちそうですが、それよりもわたしの好きなのは、貴女が一月頃に、寝ながら吐いて、その貴女の胃液と、胃の中の消化しかけたものが、飛び散り、そのままにして戴けている本に付着したままの、貴女のゲロです。わたしは貴女のゲロが、本当に、本当に、大好物です。もしや、わたしの為に、貴女はゲロりて下さったのでは無かろうか。そんな空想に想いを馳せ、毎晩、貴女の寝顔を見詰めながら、溜め息を着いていました。そうそう、こないだは、貴女のことが、あんまり愛おしくてならなくなり、貴女の耳が可愛らしくて、仕方無くなり、貴女の耳の穴のなかが、まるで子宮に想えたものですから、つい、奥まで入って行きたくなりまして、それで、貴女が眠っているかと想って、入ってみたのですが、貴女はいつものように、ただ空想の世界に、入っていただけで、わたしが入り込んだ瞬間、あまりの驚きに、わたしをふるい落とそうとしました。わたしはふるい落とされて、もし、貴女の下敷きにでもなれば、死んでしまいます。わたしは死に物狂いで、貴女の耳の穴の奥へと、逃げ込みました。其のときです。わたしは観たこともない世界を、貴女の耳の穴の奥に、観たのです。わたしは、その世界で、小さな貴女に、確かに会いました。貴女はまるで少女のように、わたしの手を引いて、"一緒に遊んでいよう"と、そう確かに言ったのです。わたしは小さな貴女と遊ぶか、大きな貴女の恐怖と気持ちの悪さを早くなくすために、貴女の耳の穴の中から死ぬ覚悟で飛び降りるか、死ぬほど悩みました。貴女を苦しめることが、わたしも苦しくてならなかったのです。わたしがいつも、物陰から貴女をずっと、眺めてこれまで生きて、成長してきたことを、貴女は知らなかったでしょう。本当に、貴女のことだけを、ずっと観て、生きてきたのです。その貴女が、わたしが耳の穴の中の子宮で眠りたい欲望を我慢しなかったばっかりに、苦しんでいる。わたしは涙を流しながら、小さな貴女の手を引き剥がし、貴女の耳の穴から、下へ、ダイブしました。幸い、貴女の太股に落ち、貴女は吃驚してわたしを捕まえようとしましたが、安心しました。何故なら貴女はこれまで、そのように故意に"わたしたち"を、殺したことはなかったからです。わたしは素早く、本と、布団のシーツの間に身を隠しました。わたしはそして、深い眠りに就いたようです。その夜、貴女の重みの下敷きとなり、押し潰され死んでしまう夢を見ましたが、そのとき、小さな貴女が、わたしを助けてくれたように想います。不思議なことに、貴女の耳の穴の中の世界に、貴女はわたしを連れていったのです。そしてその世界にも、貴女の部屋があり、貴女はゴミを捨てに、部屋から出ていったので、わたしは追い掛けました。どこまでも、どこまでも、追い掛けました。でも貴女の後ろ姿に、いつになっても辿り着けないのです。わたしは今も、貴女の耳の穴の中の世界を、貴女を追って、走っているところです。愛する貴女と、また一緒に、暮らすために。」

女が男の話の最中にうたた寝をし、目が覚めると、一匹の大きな紙魚が、女の下敷きになって、哀れにも潰され、息絶えておった。
女は、悲しみながらも、それを屑箱へ捨て、見えない男の腕枕で、眠る夢を見た。