glass case

私は知らない土地の知らない大きなホテルの中に宿泊している客のひとりだった。

長い廊下の突き当りの壁には天井まであるガラスケースの棚に何体ものフィギュアやプラモと言われるものなのかいろいろなキャラクターを模した小さな作り物がそのガラス内空間にせせこましく皆好き勝手な方角を向いて起立している。

それをじっと見つめる一人の青年は私の知る教徒の一人であった。

私はそれを後ろから覗き、「ああ意外と、こういうものが好きだったのか」と静かに黙って観ていた。

するといつの間にやら教徒の彼は4歳児ほどの幼児に変化しており、私はそれを訝しむこともなかった。

小さくなった教徒はじっと棚を見つめた後、左にある階段を身体を翻して降りていった。

私はそのあとを追った。そして「ああきっと腹が空いたのだろう、今ちょうど昼食が下の食堂で食べられる時間だから」とそう思い、自分も何か食べることにした。

広い食堂の壁と天井は19世紀からそのままのように古く暖色系の色が落ち着く風合いをしているが、この人の多く賑やかで騒がしい空間はまるで先ほどのガラスケース内の色も方向も顔かたちも合わさぬ集団のバラバラに着地した像とよく似ている。

通路を挟んだ長方形のテーブルの右側にこちらを向いてちょこんと彼はもう座って運ばれてくる食事を呆然とした表情で待っている。

私は知り合いをここで偶然見つけたので名前を呼び、彼の隣に座るよう指を指した。

そして私は彼女の真向かい彼の斜め左の席に着いて給仕を呼び適当なものを注文した。

すぐに皿に載った物が運ばれそれまでの私と彼女の談笑が中断された隙を狙った私は彼女とちいさい彼が大口を開けて物を口の中へ運ぼうとしたその瞬間彼へ向けて訊ねた。

「きみはフィギュアやプラモが好きなの?」

彼は物を急いで飲み込んで黒い目玉を丸くして応えた。

「うん」

私はすこし可哀そうなことをしただろうかと気にしながらも、今訊ねないときっと彼は犬や鶏のように一心不乱に食べた後は壁に跳ね返ったごむ毬のようにすっ飛んでどこかへ遊びに行って訊けなくなるだろうと無意識に悟り、自分の食事が冷めるのも忘れてまた訊ねた。

「へぇ、それはいつの頃から?」

彼はそわそわと身体を細かに揺らしながら私の眼をぼんやり見てこう応えたのだった。

「牛乳を食べてた頃から」

私はその返事を聞いた瞬間おかしくてたまらなかったが、笑いを抑えて真面目な顔で言った。

「ほぅ、牛乳をきみは食べるんだね。こう、歯と歯をカチカチいわして、こうして噛んで食べるんだね?」と自分の歯をカチカチと言わせた。

彼はすこし複雑で神妙な顔をしながら微妙な間のあとに、「うん」と応えるとやはり仔猿のように心ここにあらずの目をして目の前の食事を焦って口へ持って行って食べだした。

私はそれを観ながら、この場所は危険だということにやっと気づき始めた。

何故なら先ほどから通路を挟んだ私の左斜め前の席にいる男の視線を感じていたからである。

私はその男の顔を、男が視線をそらした瞬間にさっと一瞥してぞっと背筋が青ざめた。

その男は私のかつての婚約者であったのである。西洋かぶれした細い鼻筋と嫌味なまでの肌の色は今でも豆乳の色をしている。

栗きんとんみたいな色をした髪の色もまるで変わっていない。何故この男がここにいるか、そんなことに今気づいた私は馬鹿者であった。

視線を感じるのは男からだけではなかった、今私の左後ろの方からこちらへ近づいてくる給仕の若い男、彼もたぶんスパイだろう。いったいここに何人ものスパイがいるのか。皆わたしを殺そうと狙いを定めているのだ。

こんな時に限って私は今、なんの武器も持ち合わせていない。しかしこれを気どられては一巻の終わり。私は余裕を見せるため、自然な動きで立ち上がり振り返っては給仕に向かって近づいてまたこの西洋かぶれした男の黒髪がちりちりと巻いた隙間から見える耳元に囁きながら自分の部屋のキーを男の手の中に滑り込ませた。

気づけば教徒の彼も知り合いの姿も消えている。私はここからどうするか、なに何にも考えてはいないのだった。

天井の高い隅の方からタンゴの曲でも静かに聴こえているようだった。