バルティモアの夜

「嵐の最中、避雷針にくくりつけられているのに、何も起こりはしないと信じきって生きている、そんな感じの毎日だった。」(コルタサル短篇集「追い求める男」P121)

 

激しい運動や普通の性行為などでも心臓発作のリスクが大変高く死の危険性がある為、死にたくなければ、避けてください。
そうわたしが医者に警告されたのは二十歳の春の日の午後でした。
それが原因なのかどうかもわかりませんが、二十歳を過ぎても女性との性行為自体に願望を持つことがありませんでした。
性欲は普通にあったものの、医者に警告された”性行為”には当然、一人で行なう性行為も入っている為、自ら性欲を処理するということもなくなりました。
下着の不快な浸潤の感覚で目が覚める度、わたしは想うのでした。
例え死ぬとしてもセックスしたいと想えるほど愛する女性が一人もいないこの世界は、絶望的であると。
ほんの些細な出来事でも激しく鼓動を打ち続け、胸が痛くなるほどのこの弱い心臓で生き延びることは緩やかな死であることを感じて生きてきました。
そしてわたしにとって女性との性行為は、”完全なる死”を意味していました。
しかし例え本当に死にたくなったときでも、腹上死を自らしようなどとは想わないでしょう。
ましてや愛する女性との行為の最中に死ぬことは、何よりの恐怖でした。
その恐怖を初めて覚えたのは、わたしが三十歳を過ぎた春の日の午後でした。

あの日の夜、わたしは偶然にか必然にか手に入れたジャズコンサートのチケットを持って、地下鉄に乗り、バルティモアで降りて、小さなパリの田舎の芝居小屋のようなライヴハウスの中にいました。
脂肪をまるで今まで経験してきた絶望のように蓄えた黒人の男が、一心不乱に汗を飛び散らせながらサックスを演奏していました。
耳を傾けるコンサートというよりも、一人の男の存在としての苦労をこれでもかと言わんばかりに見せ付けられて目を離そうにも離すことが苦しくなるといったライヴで、時間を忘れ、わたしは忙然と聴衆たちのなかで突っ立っていました。
自分の苦労は、目の前の男の演奏を観続けていると、些細なことのように想えてきて、それは解放よりも苦痛の感覚であり、それでいて嫉妬よりも憧れに似た賞賛を男に向けることでどうにか救われようとしました。
どれくらい時間が経ったかもわからず、狭い小屋に観衆の群れの異様な熱気も続いて朦朧としていた時、わたしの左手を、冷たく濡れた生身が握ったのです。
わたしは倒れるかもしれないというくらいの半覚醒な中に、その生身を振り返ることなくじっと目を瞑って夢想しました。
冷たく汗ばんだわたしの左手を握り緊めるその小さな手は、彼女の手だろう。
その小さな手は握り締めたあとにわたしの指の間に細い指を絡ませてきました。
そのあとには酷く焦燥的な動きでわたしの左掌のなかを汗で粘膜の分泌液を伴ったぬるついた掌や指で擦るように絡み付いてくるのでした。
わたしは我を忘れるほど欲情して興奮し、これはまるで、彼女の右手という女性器とわたしの左手という男性器が粘液を分泌しながら擦れ合っているような、手と手だけで完全なセックスを行なっているようだとどうにもならない底のない真っ暗な穴の中から溢れ出て止まらない存在の疼きを激しく感じて、わたしはつい、目を開けてわたしの左に突っ立っていた彼女の手をそのまま強く引っ張って、外の薄暗い廊下に出ました。
わたしは廊下で彼女を”彼女”であると確かめる瞬間に、激しくキスをしようと身体で要求しましたが彼女はそれを拒んで落ち着いた顔でわたしに言いました。
「ぼくの勝ちだ。きみが今夜必ずここに来るって、賭けてたんだ」
わたしはその言葉と、彼女の冷静な素振りにショックを受け、言葉が出ませんでした。
”あれ”は確かにわたしにとって、彼女との性行為以外の何ものでもなく、わたしは死ぬ覚悟で彼女の手と手だけのセックスの欲求に応えたのです。
しかし彼女の目をよく見ると、その目は焦点が定まらないほどに酔い潰れているだろうことがわかり、彼女のことが心配になって応えました。
「あなたが置き忘れて行ったチケットは、わたしへの誘いだったのですか?」
三日前の夜のことだった。彼女はわたしがウェイターとして働くカフェのいつもの席のテーブルの上に、未完成の詩が書かれた紙片一つと今夜のジャズコンサートのチケットを置き忘れて帰った。
それは詩なのか、わたしへの問いなのか、わからない言葉だった。

きみは希望をあてにして生きる男だとはぼくは想わない
でもきみは希望をあてにしてその希望に縋る男だろうか
春に芽吹いた芽は秋に地に落ちて実をつけることもしない
それでも神は最初から最期まで心をときめかせている
ぼくは希望をあてにして生きる男など全く惹かれない
ぼくは次にあの店に入ったならば、必ず長芋を
買って帰るだろうそしてムチンと共にフコイダンもあてに
水雲(もずく)もきっと買って帰るのだろう
でもそれをきみに…

という詩のような続きの気になる言葉を書き連ねた紙片と一緒に。
彼女は少しの間のあとに、わたしにこう返しました。
「言っただろう?試したんだ。きみを。きみがもしここへ来たなら、きみを誘惑して、きみがどう出るか知ろうと想った」
わたしは彼女が泥酔しているからふざけてこんな想ってもいないことをわたしに言うのか、それとも普段からの冷静な計画であったのかを知りたいと感じました。
「ともかく、あなたは酷く酔っているようなので、どこかで休んだほうが良いです」
わたしがそう言うと彼女は薄く笑みを浮かべてこう応えました。
「もしかしてもう冷めた?さっきまであんなに興奮してたのに。良かったら、ここのトイレかグラウンドでしない?」
わたしは興奮がまたよみがえってきて彼女の目の奥を見つめ、また馬鹿にされているのだろうかと訝りました。
「トイレかグラウンドで…一体何をするのですか?」
彼女は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてはにかんで言いました。
「きみが求めていることだよ」

わたしはあのとき彼女のように酔ってもいなかったのに、興奮でまた我を忘れたのかその後の記憶が錯綜して、空間的なものをはっきりと想いだすことができません。
わたしは実際にトイレか、グラウンドの真ん中か、どちらで彼女を抱いたかを想いだせないのです。
どちらも妄想してみると、とても現実的に想えてきます。
もしかすると「トイレ」と「グラウンド」の両方で彼女を抱きたい願望に押し流されるようにしてわたしは両方の場所で彼女を求めたのかもしれません。
はっきりと憶えていることは、わたしは特にあの瞬間、本当に”死”を感じながら彼女の内部にわたしのすべてを吐き出したような感覚になったことです。
彼女は星空の下でわたしの死を受け取ったのかもしれませんし、無機質な冷たく狭い空間のなかでわたしの死を感じたかもしれません。
わたしはあのとき隠していることが苦しくて素直に彼女に言ったのです。
「貴女とのセックスの最中に、わたしは死ぬかもしれません」と。
彼女はわたしの心臓の弱さを心配しましたが、わたしが死ぬとしても、彼女はわたしを拒みはしなかった。
わたしが死ぬとしても、彼女はわたしとのセックスを優先してくれたのです。
わたしはそのことが、わたしにとってどのようなことであり、彼女にとってどのようなことであるのか、未だにわかりません。
彼女は何度と、わたしに求め、わたしも何度と彼女に”死に至る危険性のある行為”を狂おしいほど求め続けてきました。
わたしは彼女が、わたしに求めるとき、それはわたしの死を求めているのか、わたしが彼女に求めるときそれはわたしがわたしの死を求めての欲求であるのか、わからなくなることがよくありました。
彼女は確かにあの夜、わたしに言ったのです。
互いに頂点に達しそうになったとき、彼女はわたしに確かに言いました。
「きみといなくなってしまいたい。全宇宙から、きみといなくなりたい。きみもぼくといなくなりたい?」
わたしはそのとき、彼女にはっきりと応えました。
「わたしも貴女と、すべての宇宙からいなくなってしまいたいです。このまま、貴女だけといなくなりたい」
彼女は本当に酩酊状態にあったため、その夜に言った言葉を憶えていません。
でもわたしは本当のことをあの夜、彼女に言ったのです。
あの言葉が、わたしの死と、彼女への愛であることを確信して。