Richard

専有面積56㎡半で一戸建ての二階、閑静な住宅地、ペット飼育可能、日当り良し、システムキッチン、サンルーム付き、風呂場はちと狭いが、最近リフォームしてるなこれは、結構綺麗だ。ウォシュレット、エアコン完備、TVモニターフォン、デパートとコンビニも近い、これで家賃、管理費無しの4万円。良いねえ。事故物件の可能性は大だが、わたしはこの家に、この度、引っ越すことと相成った。
まあそのうちわたしも、独りで腐乱死体になる結末は間違いなしの人間なもんで、ええやろ、も。慣れるよ、すぐに。
いやね、生活保護受けてても引っ越せるんだっつうことを知らなかったんだよね。わたしの隣は事故(自死)物件だし、もうこの際ね、事故物件に引っ越そうと想ったんだよね。
アホらしいでしょ、だって、隣が事故物件なのに、家賃が4万7千円ですよ、狭いし壁は隣の咳払いが普通に聞えるほどの激薄だしで、コンドームかよ、此処は、コンドーム壁かよ。
わたしはストレスが限界値に来たのもあるが、何よりも、”飼いたいもの”が新たにできて、それで引っ越すことと相成った。
わたしは引越し作業も一段落して、ほっと一息つく前に、”そいつ”を買い取りに行った。
ペットショップで、”そいつ”はわたしを見上げて、一声、鳴いてみせた。
「ピヨ」
店長のマルハゲの親父が、わたしに向かって言った。
「お客さん、御目が高いね。こいつァ最後の売れ残りでェ、今晩までに売れなかったら、オイラの今晩の酒の当てに焼いて喰おうかとでも想ってたんだ、ヘヘヘ。お客さん、べっぴんさんだから、半額にしますよ。買ってって、おくんなせェ」
わたしは店の親父に、「っちゃッ、おやっさん、商売、ウマイねえ」と言ってにやにやして5千円を払い、そいつを新居に連れ帰った。
家に連れ帰るまで、そいつは静かだった。
家に着いて、居間に座って箱を開けて見ると、部屋の温度は暖かいのに、そいつは何故だか、打ち震えていた。
可哀想に想い、わたしは小さなそいつを抱き上げると、わたしの小さな痩せきった胸に宛がい、温めてやった。
するとそいつは、また「ピヨ」と細い小さき声でわたしを見上げて鳴いた。
わたしはその瞬間、閃いた。
「よし、決めたよ。おまえの名は、今日から”リチャード”だ。おまえにぴったしだよ」
リチャードは、ぷるぷるぷるるるるぅんとちいちゃな二つの羽根をぱたつかせ、わたしの胸に顔をうずめた。
ひどく寂しがり屋でほんの数分でも独りにさせれば「ピヨピヨ」とリチャードは鳴き続けていた。
わたしはリチャードに、毎日此の世の地獄(現実)を教え込んだ。
「おまえはそうやって、いつも鳴いたりしては不満げな様子をしているが、おまえの仲間たちが日々どんな目に合っているかを、わたしが教えてあげよう。見ろ、リチャード」
そう言ってわたしはリチャードにパソコン画面の中に映る映像をいくつも見せた。
「ほら、見えるか?あれはおまえの仲間たちだよ。ここはな採卵用の鶏の雛を雄と雌に鑑別する工場だ、ああしてベルトコンベアーの上で選別され、雄のひよこはすべて、食肉用に育てるほうが金がかかるってんで、ああやってすぐに生きたまま攪拌機によってミンチにされて処分されるんだ。知らなかったろ?
ほら、この言葉をよく憶えているんだよ。『生まれた瞬間からはじまる恐ろしい運命
おまえの仲間たちの運命を、おまえは決して忘れるな。
でもな、リチャード。おまえは運が良い。おまえは生きたままミンチにされる運命はきっとないだろう。
おまえは何故なら、わたしの家族だ」
リチャードはわけがわかっとるのか、わかっとらんのんか、「ピヨヨ」と言ってはまたわたしの胸に顔をこすりつけ、ぬくもりを強く欲した。
しいろく、きいろっぽいほわついた羽毛を着たリチャードは、”ひよこ”と呼ばれるあまりに弱き奴だったが、約一ヵ月後には、わたしを見下ろすほどにまで立派に成長した。
リチャードは何故だか、真っ赤な鶏冠(とさか)を今までのようにわたしの胸にこすりつけてくるほど未だに甘えん坊なのだが、それでもわたしを見るときはいつでも、首を後ろに若干反らせた体勢で、上から見下ろすような感じでギロついた目でわたしをじっと見詰めるのだった。
「確かにわたしは、おまえの仲間たちを散々、夥しい数を殺して喰うてきたし、おまえの仲間たちが死に行くことにもほとんど関心がなかった。でもな、もう鶏肉は6年も喰うてはいないし、鶏卵だってもう確か2016年の4月頃から一切食してないよ。それでもおまえは、わたしにまるで怒ってるみたいな目でいつも見下ろし加減に見詰めてくるけど、何故なんだ?って訊いても、おまえは鶏だから、クックドゥードゥルドゥー(cock-a-doodle-doo)か、コケッ、とくらいしか喋られないから口惜しいこと甚だしいな。嗚呼、おまえが、おまえが、もし人間の言葉を話せるならば、この苦しきもどかしさはなくなるであろうに」
わたしがリチャードを抱っこしたままそう嘆くと、リチャードは鶏冠をわたしの胸につんつんしてはまたわたしを睨むように頭を後ろに反らしてからわたしを見詰め、「クック・ドゥー・ドゥル・ドゥー」と低く唸るような声で何度と鳴いた。
わたしは苦しく息をし、リチャードに言った。
「ごめんな。リチャード。わたしはおまえに、嫁はんを飼ってやるつもりはない。何故ならば、大変やねん。色々と。家族がもう一人増えるとな。おまえはわたしが少しでも独りぽっちにさせると、ずっとずっと鳴いてるな。さっきまで、寝ていたかと想えば起きてまるで恐ろしい夢でも見たかのように激しく啼くやんか。どうしてなんだ。リチャード。この暮らしが、そんなに、それほどまでに不満か?わたしは昨夜もおまえの鳴き声によるストレスから、寝かせてはもらえなかった」
わたしは気付けば、つぅと涙が頬を伝っていた。
リチャードは、わたしの泣き顔を首を反らせたままギロリと見詰め続けて「クッ・ドゥー・クッ・ドゥルドゥルルゥ」と呻るように鳴いた。
わたしはその日、寝不足から夕方過ぎにやっと眠りに就けて、目を覚ませば午前3時過ぎであった。
一階に下りて、キッチンで水を一杯飲み、トイレに行ってから一階にあるリチャードの小屋の中を覗いた。
本当は寝るときも側に置いてやりたかったのだが、何しろ頻繁に起きては鳴きだし、うるさくて眠れないので、仕方なく一階の小屋に寝かせることになったのだ。
一畳半ものリチャードのサークルの中に、リチャードはいなかった。
まさか飛んで外へ逃げたか?わたしは不安になって家の中を探し回った。
「リチャード」
「リチャード!」
「どこや?まさかわたしのことが嫌んなって、出て行ったとか、ちゃうよなあっ」
「リチャード…そんなに、そんなにもつらかったの?わたしと二人で暮らすことが…?」
わたしは何時間と家中どこを探しても見つからず二階の居間にへたり込んでこれまでのリチャードに対する接し方に今更、後悔し打ちひしがれては頭(こうべ)を垂れて泣くことしかできなかった。
その時、停電が起きたのか、すべての電気が一斉に落ちた。
窓はカーテンを閉めていたので月明りも入って来ず、真っ暗な部屋の中でわたしはまだ鼻を啜って泣いていた。
静かな何も見えない部屋で泣き続けた。
するとわたしの後ろの方で、喉を低く鳴らすような音が聞えた。
「クック・ドゥー・ドゥル・ドゥル・ォゥルルル・ルルゥ」と続いて喉を鳴らしながら鳴く声が聞えた。
リチャード!
わたしは心の底からほっとして、涙で濡れた唇を舐めて後ろを振り返ろうと床に右手を着いた。
その瞬間、何か硬いものが後ろからわたしの首筋に触れ、荒い息遣いが耳元に掛かった。
そしてわたしの腹回りに、腕を回され後ろから強く抱き締められた。
このような状況は、普通に考えられるならば、強盗か強姦魔が、わたしを襲う為に後ろから首元に凶器を宛がいながら何かを要求していると考えられる。
しかしどう考えてもおかしいのは、太く低い声でわたしの耳の側で、「クック・ドゥル・ドゥル・ルルルルルゥ」と聞えてくることである。
一体どういうことが起きているのかが解らないが、くんくんすると、後ろからリチャードのいつもの仄かな愛おしい獣臭もしてくる。
さらにはリチャードの高い体温が、羽根の感触と共に首筋にすりすりと擦り付けられているのを感じるのだった。
それで、呻り声と共にぐいぐいと尻の辺りに、何か硬いものを後ろから当ててくる。
これはつまり、普通に、自然的に考えるならば、こういうことが今、この居間で起きていると考えられる。
どうしたことだか、わたしの飼い鶏リチャードは、突如、半人半獣の姿と化してしまった。
リチャードは自分でも何故だかわかんねえが、”頭部”以外は、多分、人間なんである。
その頭部は人間の頭部の大きさにでっかくなっている。
頭部と言えば、これは”脳内”も勿論、含まれているであろう。
その証拠に、リチャードは人間の言語を話さないで、鶏の言語を使ってわたしに何か話しかけている。
だが頭部以外は、人間となってしまったので、その証拠に、わたしの腹には今、人間の男の、逞しき筋肉質な腕がぐるりと回されていて、わたしは後ろからがっしりと締め付けられている状態だ。
下半身も人間の男性となってしまったので、今リチャードは、酷く発情して欲情しているのであろうその人間の生殖器を、わたしのケツに宛がい、どうにか交尾をしようと奮闘していると、こういう具合であろう。
だからリチャード自身、まったく意味は解ってはいないが、リチャードは別に変なことを遣っているつもりもなければ、平常心であるだろうし、リチャードはその上、小屋から出て、等身大のわたしという”雌”を自分のものにできると想って興奮し歓喜しているに違いあるまい。
だが、わたしはここで、愛するリチャードと、もし交尾に及んだならば、果してどういった、卵をわたしは産むのかあ、っておい、リチャード、わたしは卵を産むのか?
わたしは後ろから抱き着いてすりすりと鶏冠を摺り寄せてくる半分人間で半分鶏のままのリチャードに、問うてみた。
「リチャード、わたしはおまえの卵を産めるのだろうか?」
彼は低く喉を鳴らしながら、ゆっくりと、こう答えた。
「クック・ドゥー・ドゥー・ドゥル・クックゥ・ドゥルルゥ・クッドゥ」
「そうか」
わたしはリチャードに向き合い、全身に返り血を浴びた彼を想い切り、抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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我が愛するRichardへ捧ぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Hotline Miami 2 OST: Mega Drive - Slum Lord