元型の像

俺はなんの罪でか忘れてしまったのだが、斬首刑に処されてしまった。
俺の転がった首、ころんころんと転がったその醜い首のその切断面を。
俺は天界からアップで見た。直視していたんだ。何故か。
何故かその俺の首の切断面が異様だったからである。
なんか動いてる?蠢いている?みたいに見えて俺はその切断面を上から見ていた。
すると俺の首の切断面からまるで土砂崩れのように何かがわらわらと崩れ落ちてきて。
もっとズーミングをしてよく観てみるとその雪崩(なだ)れ如くの崩れ落ちてくるものとは
はたして小さい人間たちの山であった。
無数のちいさな人間たちが、どっと一気に雪崩れ込んできて地面の上に広がった。
俺は吃驚はしたけど「ほぉ」という感覚でそれを観ていた。
いくら観ていてもずっとなだれ込んでいたがようやく全員がすべて出てきたと想ったら。
たった一人最後にのそのそとやる気のなさそうな様子で俺の首の切断面からずり落ちて地面に突っ伏し、そのままじっとしている男がおった。
ほかの人間たちは皆わいわいがやがやと楽しそうに屁ェをこいたり糞をしたり食したりセックスをしたり笑ったり怒ったり泣いたりしていた。
だのにその最後の男ときたら出てきたばっかりなのに絶望的な顔をして地上界を見渡し深い溜め息をついてばかりであった。
俺は何がそんなに不満なのかなと想ったが絶望的だからといって俺が否定されてる訳じゃなし、特に気にはせず俺の首の切断面から出てきたすべての人間たちを同等に愛した。
彼らは皆、同等に愛らしく愛おしい可愛い俺の子供たちのようであった。
そうして地上界では約十年が経った。
俺のいる天界ではたったの一週間であった。
十年が経ったが男はまだ一人で絶望的に生きていた。
ほかの者はみな嬉しそうに自分の好きなことを見つけだして生きる喜びに輝いていた。
しかしこの男といえば一人で喰う、糞する、寝る、扱(しご)く、などするばかりで何ひとつ楽しそうにしていることがなかった。
俺はこの男のことがいい加減心配になったので男が寝ているときに上からつまみあげて天界の揺り籠に寝させてやった。
揺り籠といっても柔らかな雲に囲まれているだけのほかに何もない空間である。
男は気づくと俺を見て、そして辺りを見渡して驚愕した顔で言った。
「一体ここはどこでございましょう」
俺は雲の下に広がる地上界を指差し答えた。
「観よ。おまえはあすこにおったんだよ。それを俺がつまみあげて天上におまえを眠らせたのだ」
男は手を口で覆ってぷるぷると震えだして言った。
「ということは、もしや、もしや貴方様は・・・」
俺は男の正面に座って言った。
「俺がだれかって?おまえたち全員、俺の斬られた首の切断面から湧いてきたんだよ。俺をなんと呼ぶかはおまえの好きにしたらいい」
男はしげしげと俺の首あたりを凝視して言った。
「貴方様の首の切断面からわたしたちが生まれたということは、貴方様はまさしくわたしたちの創造主ではありませぬか?別の名を、グレートマザー(太母)と御呼びしてもよう御座いますか?」
俺は深く頷いた。
「なんでも、なんとでも呼んで構わない。俺が言えるのは、俺がただおまえたち全員をあまねく同等に愛しているということだけだ。我が子のように」
男はそう言い終わる瞬間に俺に抱きついて叫んだ。
「嗚呼我がグレートマザーよ!御逢いしとう御座いました!わたしは、わたしは貴方をずっと心の底から御呼びしつづけていたので御座います。貴方様はわたしの願いを聴き届けてくださいました。わたしは貴方の御側におれないことが苦しくて悲しくてならなかったのでございます。ですがこうして今わたしは貴方様のこんなに近くにいるということが夢のように幸せでございます。どうかずっとわたしを貴方様の御側におらせてください」
俺は男を優しく抱きしめ返して言った。
「俺はおまえを真に愛しているよ。だが今日中にはおまえを地上界に戻す。おまえが生きる場所はここではないからである。俺はおまえが心配だったからこのように励ましたのであっておまえは俺に励まされたのだからこれから元気に生きていきなさい」
すると男は俺から離れ、また絶望的な表情をして地上界を見下ろした。
そして震える声でこう言った。
「わたしにまたもひとりになれと仰られるのでありますか?」
俺は男の目を見据えて言った。
「おまえはなんでひとりであるだろう。わたしはおまえに見えるようにいま肉体を着ているが普段はなにもないよ。わたしはおまえのそばにいつもいるのだよ。おまえはいつもさびしがってたけれどいつも俺がすぐ近くにいたのだよ。おまえだけだ。そんなに俺がそばにいることを信じようとしないのは。なんで俺の愛がおまえに届かないのだろう」
男は膝を抱えてしょんぼりして言った。
「だって、だって貴方様は、全員を同じだけ愛していらっしゃるのでしょう?わたしが求めているのはそうではありません。わたしは貴方様からの特別な、一番の、わたしだけへの愛を与えられたいので御座います。ですからわたしがいつもさびしくて悲しいので御座います。わたしは貴方様の愛を独占できないのであれば、このわたしの孤独と哀情はなくなる日はないのでございます」
俺は男が不憫になって空を見上げた。
「もし俺が、おまえだけを愛するようになったなら、ほかの人間たちは俺の愛を喪うことになる。生みの親に愛されない人間たちは、はたしてどのようになるであろう。俺はすべてを平等に幸福にしたいがためにおまえだけを愛することはできないのだよ。おまえだけを幸福にすることなどできない。おまえらすべて、血の繋がった兄弟たちではないか。なにゆえにおまえは自分だけの幸福を願うのか。おまえは俺の愛を独占することでほんとうに幸福になれるというのか。おまえがどうなるか、そこに答えがあるだろう。一度試してみようではないか。今日から七日間、俺はおまえだけを愛するようにしよう」
男は飛び跳ねて俺に抱きついて幼なごのように甘えた。
しかしそのたった五分後のことであった。地上で初めての争いが起きたのである。
最初はおまえがおれのプリン食った。とかおまえのうどんよりもおれのうどんのほうが量が少ない。とかそんななんでもない揉め事であったが、それが一時間経つころには血みどろの喧嘩となり、さらに三時間後には人々は人々を殺し始めた。
俺はこれは「まずい」と想ったが男だけを七日間愛すると誓った俺はその誓いを破ることはできなかった。神との約束とは絶対であらねばならないからである。
七日過ぎた頃、地上では何十億人もの人間が殺害され自殺した。
それもそのはず、天界での七日は地上では十年であったからである。
俺は後悔もすることはできなかった。神との約束を後悔するとは、神を否定することであったからである。
俺はこの男に罪がくだされないことを祈った。
男に地上の阿鼻叫喚地獄を知らせなかった。
しかし男は七日が過ぎたあと、俺の愛を独り占めした幸福の飢えに渇き、以前よりも激しく悲しみ始めた。
この試みは失敗に終わってしまったのであろうか。
男はあんまり苦しいから「死んでしまいたい」と言いだした。
「どうすれば貴方様の愛をわたしだけのものにできるのでございましょう」
男は涙でぐしゃぐしゃの顔で俺に請うた。
俺は男に俺の愛というものを知ってもらいたかった。
どちらの愛が本物か、というわけではなく、男は俺の我が子のような存在であったので俺の愛を知るべきだと想ったのである。
なので俺は次の試みを試みてみることにした。
「では次はこうしてみようではないか。俺はおまえになろう。おまえは俺になりなさい。おまえは俺の愛を理解するだろう。また俺はおまえの求める愛を理解できるであろう」
「わたしが貴方様になって、貴方様がわたしに?あなたはわたしを愛するようになるのでございますか?しかしわたしは貴方様だけを愛することができないではありませんか。わたしはそれに自分から愛されてもなんとも嬉しくなどありません。自分はちっぽけで、あなたのようにグレートではありません」
「おまえは自分から愛されるわけではない。俺はおまえになるのだから俺がおまえだけを愛するようになるだろう。そしておまえはすべてを愛するようになるだろう」
「でも貴方様はわたしになってしまうわけですから、やはり貴方様は私自身であり貴方様となったわたしは私自身から愛されるということになるではありませんか」
「それでは俺とおまえは同じ存在だといっていることになる。おまえは俺になるのだから俺が愛されるのがおまえからで、俺になったおまえが愛するのはすべてである」
「わたしはあなたの首の切断面から生まれてまいりましたが、はたしてあなたとわたしは別々の存在であるのでしょうか」
「もし同じなら、なんでおまえはこれほど俺に執着するのであろう。そしてもし別々ならば、なんでおまえは俺にここまでして求めるのであろう」
「つまりどちらでもないと仰るのですか?」
「どちらでも不可解であるのでどちらでも構わないという話である」
「確かにそれはそうでございましょう。どちらであろうとわたしは貴方の愛をどのようにしてでも独占したいのでありますから」
「とにかくやってみよう。わたしはおまえになるから、おまえはわたしになりなさい」
「承知いたしました。我が愛するグレートマザー。わたしは貴方様となり、貴方様はわたしとなってください」
こうして男は俺になり、俺は男になった。
俺は気づくと五味屋敷と成り果てる勢いの在る部屋で朦朧としながら酒を飲んでいた。
「くっ、くるしい・・・なぜこうも苦しいのか。嗚呼なぜ、なぜ神は俺を見捨てたのか。なぜ俺だけが、こんなにも神の愛に飢えているのか。ママ・・・俺のママ・・・会いたいよ。なぜ俺の側にいない?俺のママなのに・・・グレートマザーよ、なぜ、なぜ俺だけを愛してはくれないの?なぜ、なぜ俺は貴方の首の切断面から生まれねばならなかったのか。何の罪があって、あなたは首を斬られたのか。わたしを、俺を愛してくださいグレートマザーよ。あなたに愛されないのならこの世界は地獄みたいに苦しい。いったいいつまで苦しめばわたしの罪は赦されるのですか。わたしはいったい何人殺してしまったでありましょうか。あなたに愛されるのであれば、愛されつづけるのならば、わたしはどのような罰をも受け容れます。あなたの愛を独占できるのであれば・・・」
男は天界からその男を見下ろし、悲しくもあったが恍惚な感覚のなかにいた。
嗚呼なんて愛らしい存在であろう。
男が天界から見下ろすとき、その人間すべての形はいつも一つの像を描いていた。
それは生命のどの形でもなかったが、男はその形を見ては愛しみ、それが完全な形であると知った。