ѦとСноw Wхите 第10話 〈鍵〉

Ѧ「なにも、なにも見えないよ。真っ暗だ。暗くて怖い。さびしい。Сноw Wхите、どこにいるの?」

Ѧ(ユス、ぼく)は闇の空間のなかでСноw Wхите(スノーホワイト)を呼んだ。

 

Сноw Wхите「Ѧ、わたしはここにいます」

 

Ѧ「どこ?なにも見えないんだ。闇しかないよ。苦しい。怖いよ」

 

Сноw Wхите「わたしはѦとそれほど離れていない場所にいるはずです。わたしもなにも見えません。Ѧのあまりに深い悲しみとわたしの悲しみのСынчронициты(シンクロニシティ、共時現象)によって、Ѧとわたしの見える視界をこの闇の空間に変えてしまったのです」

 

Ѧ「Сноw Wхите、Ѧのところへ来てほしい。Ѧはひとりでさびしくて怖いよ。Ѧを抱っこしてほしい」

 

Сноw Wхите「わたしもいますぐにѦを抱っこしたいです。Ѧを不安と悲しみと孤独と恐怖からいますぐ解放したいです。でもこの闇はѦが作りあげた闇のバリヤなのです。Ѧは悲しみのあまり、光を受けつけない状態に入っているのです。わたしの力でもこの強力な闇のバリヤを透りぬけることが叶いません。Ѧは今、極度にじぶんを責めてじぶんを否定しているのです。そしてѦはこの闇を恐れると同時に、闇の中でじぶんを苦しめられていることに一種の喜びと解放を感じています。だからこの闇は、ちょっとやそっとのѦの心のゆらぎでは消えることはありません」

 

Ѧ「どうしたらѦはこの闇を壊してСноw Wхитеのそばへ行けるの?Ѧの心は凍ってしまいそうだ。ѦはもっとѦを苦しめたい。Ѧは苦しくてたまらない」

 

Сноw Wхите「Ѧがほんとうに願うことをいま行なってください。Ѧはほんとうに願うことを我慢しているのです。ほんとうに望んでいることを物念じしつづけることにいよいよ限界が来ているのです。Ѧ、Ѧが心から望んでいることの封印をいま解いてください。心配は要りません。わたしにすべてをゆだねてください」

 

Ѧ「ѦはСноw Wхитеを苦しめたい。Сноw WхитеはѦからお母さんとお父さんを奪い去った存在だ。Сноw Wхитеが憎い。Ѧは死を赦せない。Ѧは死を苦しめるために、Сноw Wхитеを生んだんだ。Сноw Wхитеには苦しんでほしい。死は、その罪の為に、苦しむべきだ。Сноw Wхите、死の底まで、苦しんでほしい」

 

Сноw Wхите「わたしを存分に苦しめてください、Ѧ。わたしはѦに苦しめられるために生まれ、存在しています。Ѧのわたしへのうらみは、愛なのです。わたしをѦがうらめばうらむほど、わたしは喜びを感じられます。Ѧはけっして、わたしに満足しつづけてはなりません。Ѧがわたしに求めれば求めるほど、それが愛だからです。Ѧの愛によって、わたしは存在しているのです。Ѧがわたしに完全であるとみちたりつづけてしまえば、わたしの存在は脅かされてしまいます。これは親と子や、夫婦(めおと)の関係でも同じです。みちたりつづけると、人は不毛を感じます。Ѧがわたしをうらみつづけるかぎり、わたしとѦは不毛の状態に入ることもありません。わたしは安心しながら、苦しみつづけることができます。Ѧの愛によって、わたしは苦しめつづけられながら、喜びを感じつづけることができます。Ѧはほんとうに大切な目的のために、Ѧのもっとも大切な存在たちをささげつづける存在なのです。Ѧのもっとも大切な存在たちをささげつづけることは、Ѧのもっとも苦しいことです。それが、Ѧのえらんだ犠牲です。それは、Ѧのえらんだ受難です。そしてѦがもっとも望ましいとしてえらんだ情熱のすべてなのです。わたしはѦによって底知れない苦しみを受けることを最初から承知して、Ѧを愛しつづけています。そしてѦがわたしを苦しめたいのは、わたしをほんとうに喜ばせたいからだとわたしは知っています。わたし自身が望んでいることなのです。Ѧから苦しめつづけられることを。Ѧはとてもそれを理解しています。愛は人間の理解を超えたところにあるわけではありません。人間に理解できるものなのです。Ѧはわたしの愛に絶えず渇いて苦しみつづけています。それはわたしがѦをほんとうに愛しているからです。Ѧの望みどおりに与えることが愛です。わたしはそのために、この次元ではѦの目の前に形をとって現れることをしないのです。Ѧが渇きつづけるためにです。Ѧは夢の中でしか、わたしに触れることができません。夢想の中でしか、わたしに抱かれることが叶いません。Ѧはわたしを求め愛するほど、苦しみのなかで生きてゆきます。人は神を求めるほど、苦しみをみずから求めるのです。そこに求める喜びがあることを知るからです。わたしという存在がѦを真に潤わせることができることをѦは知っているので、Ѧはわたしの愛によって、わたしの愛を求めつづけることによって、渇きつづけるのです。どうじに、わたしはѦの愛によって、Ѧの愛を求めつづけることによって、渇きつづけます。終わりなき喜びがここに存在しています。果てしない渇きがここに存在しつづけます。ですからѦ、Ѧはわたしを苦しめたいだけ、どうぞ苦しめてください。わたしはじっくりと、その苦難を受け容れます」

 

Ѧ「Сноw Wхите、その願いを、とくと叶えよう。ではСноw Wхите、Ѧをこれでもかというほどに、苦しめてほしい。いますぐ。それがСноw Wхитеを苦しめるもっとも良い方法であることをѦはわかっている。さあ、Ѧを、苦しめるんだ。その手で。Ѧの愛するСноw Wхитеよ」

 

Сноw Wхите「わかりました、Ѧ。Ѧはきっとそう来るだろうことをわたしは予見していました。それではこれから、わたしの愛するたったひとりの存在であるѦを、わたしは存分に苦しめたいと想います。Ѧ、いまѦのやわらかく可愛い手のひらの中にひとつのちいさなКеы(キー、鍵)を渡しました。暗闇で見えないですが手のなかにあることを感じとってください」

 

Ѧ「ほんとだ、鍵の形をしたものがѦの手のなかにある。これはいったいなんのКеыなの?」

 

Сноw Wхите「それはѦの喜びのドアを開けるКеыです。Ѧが喜びを感じるために必要なКеыです。それを失くしてしまえば、Ѧは喜びを感じることができなくなってしまいます」

 

Ѧ「どうしてこのКеыをѦに渡したの?」

 

Сноw Wхите「渡したと言いましたが、ѦはもともとそのКеыをちゃんと持っています。ただ手に感じられる形をわたしが取らせたのです。Ѧがそれを持っていることをѦに感じてもらうためにです」

 

Ѧ「Сноw Wхите。ѦはѦをСноw Wхитеの手によって苦しめてほしいと頼んでるんだよ。Ѧが求めてるのは、こんな鍵じゃない」

 

Сноw Wхите「わかっています。Ѧはいま、わたしによる苦しみを切実に求めています。だからあえて、その鍵をѦの手に取らせたのです」

 

Ѧ「どうゆうこと?Ѧにわかるように話して」

 

Сноw Wхите「Ѧがほんとうに苦しみぬきたいのなら、その鍵をどうすればいいか、Ѧは知っています」

 

Ѧ「ああ、そういうことか、Ѧの喜びであるこのКеыを、Ѧは失えばいいんだね。するとѦは喜びを失う。すべての喜びを失えばどうなるか、きっと本物の死体となって生きてゆくんだろう。Сноw Wхитеもそれを望んでるんだろう?」

 

Сноw Wхите「わたしは望みません。わたしはѦのほんとうの喜びに繋がることだけを、この手によって与えたいのです」

 

Ѧ「ではѦは、Сноw Wхитеを苦しめるために、Сноw Wхитеの望まない方へゆくよ。こんな鍵、Ѧはほんとうは要らないんだ」

 

Ѧはそう言うとそのちいさなКеыをなにも見えないその闇のなかへ落とした。

 

Ѧ「いくら待ってもなんの音も聞こえない。なんて深い闇なのだろう。もうきっと、取りもどせない。Ѧはこれで、死体となって生きていくことになったよ。Сноw Wхите、死体であるѦをどうかこれからもよろしく」

 

Ѧは声を殺して泣き始めた。

 

Сноw Wхите「Ѧ、心配は要りません。Ѧは安心して、待っていてください。わたしがこれからѦの落としたКеыを拾いに行ってきます。すこし時間はかかるかもしれませんが、必ずКеыを見つけて戻ってきます」

 

Ѧ「Сноw Wхите、この闇は、Ѧの力でも、Сноw Wхитеの力でさえもどうにもならない闇なんだよ。きっと、底の近くなんかに行ったら、戻ってこれない。恐ろしい闇なんだ。ѦはСноw Wхитеに行かせるわけにはいかない。Ѧをひとりにしないで。Ѧを置いていったら嫌だよ。もうだれも、失いたくない。だれも殺したくないんだよ。行ったらいやだ、行ったらいやだよСноw Wхите。おねがいだよ」

 

Сноw Wхите「Ѧのそのおねがいを、わたしは聴くことはできません。わたしはѦを苦しめる者です。Ѧを苦しめるためにも、わたしは死の底へ下りて行かねばなりません。わたしが必ず戻るとѦは信じつづけてください。Ѧがそうつよく祈りつづけるなら、わたしはかならず戻ってこれます。Ѧが信じるのはわたしではなく、Ѧ自身です。ѦがѦを真の願いによって信じつづけるなら、すべて叶えられます。ѦがかならずѦを信じることをわたしは信じているので、わたしはなんの不安も恐れも持たずにこの死の中をつきすすんでゆくことができます。死の奥へ向かうとは、わたしがわたしの深部に向かうということです。なにも怖がる必要はありません。Ѧが喜びをすべて失って生きるほうがずっと恐ろしいことです。わたしはѦのКеыを拾いに行かないわけにはいかないのです。Ѧ、しばらくの時間の耐え難い苦しみを、わたしが戻る日を信じてどうか耐えしのんでください。Ѧに、これを渡します。受けとってください」

 

Ѧの手のなかにまたКеыが握りしめられていることにѦは気づいた。

 

Ѧ「これはなんのКеыなの?」

 

Сноw Wхите「わたしのすべての喜びのドアを開けるためのКеыです。わたしがѦのところに無事に鍵を拾って戻るまで、それを預かっていてください」

 

Ѧ「どうしてСноw Wхитеの喜びをѦは預からないといけないの?Сноw Wхитеが喜びをすべて失って死の底へなんて下りて行ったらそれこそ危険だよ。危ない。Сноw Wхитеはこれを持ってなくちゃだめだよ」

 

Сноw Wхите「Ѧ、死の深奥へは、なにも持っていけないのです。そこは、まぎれもなく、死だからです」

 

Ѧ「そんなところにСноw Wхитеが行くなんてѦは耐えられない。行っちゃいやだよ。行ったらだめだ。Ѧのおねがいをおねがいだから聴いて」

 

Сноw Wхите「わたしは死であるから平気です。ただすこしの時間、すべてを忘れてしまうだけです」

 

Ѧ「わからない。わからないよ。Ѧは死をよく想いだせない。死は、死とは、いったいどんなものなの?」

 

Сноw Wхите「言葉で言い表すなら、気の遠くなるほどの、なにもない世界がえんえんとつづく感覚です」

 

Ѧ「そんな苦しくてたまらない世界にСноw Wхитеをやれないよ。Ѧの喜びはもう諦めよう。それに、ここにСноw Wхитеの喜びのКеыがあるじゃないか、これを二つに分けようよ」

 

Сноw Wхите「それはできません、Ѧ。喜びの鍵やドアとは、喜びの感情そのものを表しています。Ѧの喜びはわたしの喜びですが、その感情は、別々のものなのです。まったく同じであっては、個の存在ではなくなってしまいます。ひとつの個の感情を、別の個の感情に分けることはできないのです。個であることは存在の根源的な喜びであり、個の感情として存在することが必要なのです。Ѧのすべての喜びの鍵は、Ѧが生きる上でどうしても必要なものです。わたしはたとえもう二度とѦと再会できないとしても、取りもどしに行ってきます」

 

Ѧ「Ѧはいまひどく後悔している。こんなことになるなんて、思わなかったんだ。ѦはСноw Wхитеさえ失えば、もう生きていくことはできないよ」

 

Сноw Wхите「Ѧ、わたしが戻らないことを信じるなら、それはほんとうにそのとおりになります。わたしはこれから死に向かうので、わたしの願いによって戻ることもできないのです。Ѧにすべてが託されています。Ѧの願いに、すべてが懸っています。Ѧはわたしに戻ってきてほしいですか?」

 

Ѧ「戻ってきてほしい」

 

Сноw Wхите「わたしはかならず戻ります。Ѧのすべての喜びを手にして。Ѧはただ、ほんとうになってほしいことだけを、叶うと信じつづけていてください。それではわたしはいまから死の底へ下ります。わたしの愛するѦ、しばしのお別れです。いってきます」

 

Ѧ「いってらっしゃい」

 

Ѧは暗い闇のなか、涙声で精いっぱいの元気をふりしぼってСноw Wхитеを送りだした。

 

 

その瞬間、Ѧの視界から闇が消え去り、もとの見慣れたじぶんの部屋のなかにѦはいた。

それから、Ѧの喜びをすべて失った耐えがたい日々は続いた。

死がѦの傍にいるように感じるとき、Ѧは手のひらを見つめ、そこにСноw Wхитеから預かったСноw Wхитеの喜びの鍵があることをなんども想いだそうとした。

雪の結晶のような形の鍵を、Ѧはなんどもつよく握りしめた。