告発者 第二章

アメリカ国家安全保障局(NSA)局員 ギー・スタッグス 36歳

 

 


「私は第二のエドワード・スノーデンとなるべく、膨大な数のNSA及びCIAの機密文書をこのメールに添付しました。スノーデンのリークした文書とかぶる物は多くあるかもしれませんが、私なりに選び取ってチョイスした正真正銘の実物であるので、最後までじっくり目を通して頂きたいと思います。
その前に、私と言う人物が何者か、どのような理由によって国家の機密をリークしようとしたかを話そうと思います。まだ完璧に整理できてはいませんが、でき得る限り伝わるように自分の中に起こったことを打ち始めていこうと思います。

私がアメリカ国家安全保障局で働き始めたのは10年前のことです。きっかけは私の親族の知り合いがCIA局員だったことで職を探していた私にコンピュータ技術の独学を薦めたことから始まります。
私は楽に稼げるならなんでもやってみようと思い、自分にコンピュータ技術があるかどうかを試してみることにしました。幸い、どうやら私にはコンピュータを操る才能が自分でも驚くほどあることを知りました。
学歴、身分問わずコンピュータ技術に精通する人間を探していたCIAとNSAを何度も行き来して、徐々に国家が行っていることがどのような恥知らずなことであるかを知って行きました。

私は恥ずかしながら、スノーデンのような崇高な正義感もなければ、実際、人間の持つであろうごく普通のモラルにも欠けている人間であるであろうことをこれから告白せねばなりません。
国家の機密がどんな醜悪な土台に乗ったグロテスクな鯉の生造りであるか、私は何年とこの目を通して目の前に展開されるものをすべて見てきました。それは、嫌悪と不快の終わらない人間の気違いじみた欲望だったのかどうか、これから自分の言葉によって表現していきたいと思います。

私はスノーデンとは違って、あの空間に居続けることに十分我慢が通る人間でありました。
人々から盗み聞きする囁きや暴言と時計の秒針の音が寸分違わぬ環境音のように感じながら盗聴をし続け、盗撮の映像はフィクションのようにしか感じることはできず、どのような疑いも政府と自分の仕事について持つことはありませんでした。当たり前のようにして職務の時間たった3時間や4時間過ごしたあと、高給与をもらって仕事のことは忘れるようにし、普通の日常を難なく過ごしていました。

罪の意識といったものは、そこにありませんでした。ただ仕事中だけは自分がとても低い次元の中に居続けていることはいつでも感じていました。事実、CIAとNSAに関する悪い噂はスノーデンのリーク以前から存在していたので、私はそこで働いていることを誰にも話せませんでした。人に言えない仕事をしている感覚までは奪われていなかったことは確かですが、それは疑われることが面倒だったからです。しかしスノーデンのリークから何ヶ月か経った頃、どこから秘密がばれてしまったのか、古い友人の何人かが私がNSAで働いていることを既に知っていました。
彼らの私に向けられる目は明らかに以前とは違ったものになりました。私は一人ひとり、自分から関係を断っていきました。
私はスノーデンのやったことを恨む気持ちはありません。ただ、どうしようもないバツの悪い時間が延々と続く時空に一瞬にして飛ばされてしまったような感覚は消えることがありませんでした。
彼はよくやったと思います。おかげで自分のやり続けていることがいかに汚らしい底辺の仕事であるか彼との対比で気づかせてももらえました。でもそれでも私は退職する気は起きませんでした。自分にとってこれ以上はないと思える楽で高収入の仕事を手放す気にはなれなかったのです。
彼から「おまえは汚いままで、俺はおまえたちのおかげでヒーロー扱いだ、感謝する」そう言われているように感じることもありました。

そんな私にもたった一つ、生きる喜びがありました。
10年来付き合い続けている愛する恋人の存在です。
彼女と過ごす時間が私は何より大事なものでした。
彼女は旅行が好きで、この仕事は休暇を自由にとることもできればあらゆる国へ旅行気分で出張することもできたのでいつも彼女は私に着いてきました。
彼女にも私の仕事はずっと黙っていました。
彼女は何より自由を愛する人でした。仕事というもの自体に関心をあまり示すことがなかったので何の疑いも持たれることはなかったと思います。
彼女は情熱的な詩人でした。収入はほとんどありませんでしたが、私の収入はいつでも安定していたので心配することはありませんでした。
彼女との本当に美しい想い出が私の胸の中にいくつもあります。私が侵して来た薄汚い不正の影に。
彼女は子供じみたところがあって幼児のような目で見上げて私のことをよく「mammy(マミー)」と呼びました。彼女は母親を知らずに育ち、私のことをまるで母親を求めるように求めていることを私は知っていました。
彼女の求めるのは恋人の愛情というより、親の愛情に近いものでした。
私の人生に決して欠けてはならないもの、それが彼女の存在でした。
自分の存在は彼女の存在によって存在たり得る存在として存在していたに過ぎなかったと思います。

スノーデンの暴露から三ヶ月ほどの間は、私が仕事中特に非常に居心地の悪い空間に生き続けなくてはならなくなったこと以外にはこれといって私の人生には何の変化も起こっていないように見えました。
私は徐々に、彼のリークがなんでもないようなことに思えて気にしなくなっていきました。
彼が哀れな存在のように思いました。彼がやったこととは本当はくだらないことで、命を懸けてまでやるようなことではなかったと、そう感じていました。
同じ職場の元で何年と一緒に働いて、それほど仲が良くはありませんでしたが、一緒に楽しく会話を何度もしたことがあります。彼と私の関係は謂わば同じ犯罪に手を染める共犯者であり、政府との共謀者であり、同じ有罪のもとに生き抜く良く言い表すなら戦友のような存在として互いに暗黙のうちに認め合っているただの友人以上の深いもので繋がりあっているような感覚をお互い持ち合わせているとでもいうような、そんな関係を私は感じていました。
彼は私たちを裏切ったわけではないと思いますが、彼の告発は何か言いようのない寂しさや虚しさが私の中に広がったように感じました。
彼のことを暴露するわけではありませんが、彼はよく日本の一見変態的な、ロリータコンプレックスで性的倒錯的なアニメについて熱心によく私たちに話していました。

変態といえば全国民と他国民を監視し、盗聴と盗撮をし続ける政府とその下で働く局員たち全員がたとえ仕事といえど、それを行い続けられる精神のどぶ臭さは変態以外の何物でもないとも言えます。

私は彼の告発により、何かを心配することはありませんでした。
友人や家族にこの仕事がばれて全員離れていこうが、どうでもよいことでした。
たった一つを除いては。
彼女と私の関係にうっすらと目を凝らさねば見えない傷一つさえつくことが私にとっての心配の種で不安の土壌、恐怖の水撒きでした。心配の種だけは絶対に撒くものかと、そう思っていました。私はスノーデンを恨みはしませんが、この時はすこし憎みました。私は心配の種だけは不安の土壌に撒いて恐怖の水撒きを行いたくはなかったのです。

スノーデンの告発から三ヶ月ほど経った頃、私にはもう友人と呼べる人は一人もいませんでした。自分から関わることを避けるようになっていき、自然と相手からも連絡は来なくなっていったのです。
そんなある日、私のメールボックスに一通の知らないアドレスから不気味なメールが届きました。
内容は、「あなたの愛する天使は毎日昼間から恥しげもなく密会を交わし、Oh, Goddamnit、○○○○○・○○○○○という男とベッドの中でねんごろのごろごろなOh,Fuckit愛を作り合って長々とエクスタシーで罪に浸り続けているけど、つまりFucking、平気かい?Fuck狂人よ」というものでした。○○○○○・○○○○○の中には男の名前が記されていましたが、覚えのない名前でした。送り主が一体誰であるのか、私は早速身につけたハッキング技術で調べました。しかし相手はこちら側からハッキングが行えないようあなたも既にインストールしているPGPという暗号化ツールを介して私にメールを送ってきていることが解りました。
ただの趣味の悪い悪戯か、なんらかの事実に基づいている嫌がらせなのか、私は不安の地に落とされました。
スノーデンのリークは一種のNSAとCIAに勤める人間たちへの国民による嫌がらせ行為を助長しました。
私がNSAに働いているということは見ず知らずの人間にまで情報が行き渡っており、一歩外に出ればそれを知る者から嫌味を言われることは日常茶飯事でしたし、中には「誰々の携帯を盗聴して、情報を俺に売ってくれないか」と頼み込んで来る人間もいました。
しかしそのようなことは私にとって取るに足らないことでした。そのような面倒なことは学生の頃からそれに似た行為を受け続けてきた人間だったからです。

彼女について、心当たりは少しありました。スノーデンのリークから何ヶ月か経った頃からだと思います。それまでは私と一緒にしか旅行に出掛けたがらなかった彼女が一人で旅行に行くと言って数週間帰ってこないことがあったり、甘えたがりでいつも私にひっつき虫のようにくっついていた彼女が何かしら、一人で居たがる時間が増えだしたのです。
とても独創的な詩を書く彼女のことだったので、きっと素晴らしい発想が溢れ出したのだろうと、私は自分に言い聞かせ、気にすることはやめていました。
でも寂しいことに嘘をつくことはできなかったので、その頃からお酒を飲む量は少し増えていました。
普通のブラック企業のように働き詰めで帰ってきたら食事をしてシャワーを浴びて寝る生活ならまだしも、私の場合3時間や4時間かそこら働けば家に帰って、遊んだり話をする友人も一人もおらずすることといえばビデオゲームや、お酒を飲みながら音楽を聴いたり映画を観たり本を読んだりすることくらいだったのですから。
彼女が居なければ私の日常も人生も本当につまらないものです。
彼女はどこかの国のお姫様で、私は彼女を励まし、慰める下僕に過ぎない存在であると感じる時もありました。
私という何の面白みもない男のどこをそんなに愛するのか、酷く疑問に感じた日がありました。
全国中のメディアがスノーデンの記事を取り上げ世に急速に広まった数日後あたりの頃だったと思います。
私は素直にふと浮かんだことを、旅行先のホテルの部屋で彼女に質問しました。少しアルコールが入っていたことを覚えています。
「ぼくがほんとうに君にふさわしい人間である理由は、ひょっとするとぼくの安定した収入くらいじゃないだろうか?」と。
彼女ははにかんだ表情を浮かべて、本当に馬鹿らしいといった風に微笑み、興味がないとでもいうようにまったく関係のない話題に変えました。
翌朝に私は昨夜に彼女にした質問を少し後悔しました。酷く彼女に対する失礼な質問だったと。

私に届いた一通の気持ちの悪いメールには返信をしませんでした。この相手にあれこれと問い質すより、自分で確かめたほうが早いだろうと思ったからです。
私は疑う人物の真実を知ることにかけてのプロであり、プロフェッショナルな非常に手筈を整えたその手立てがあるのですから。
何かが崩れ落ちる感覚がありましたが、それは取り戻せるものだと、そう思いました。
次の日に、私は残業をする振りをして誰も居なくなった部屋で彼女の携帯番号を監視プログラム(PRISM)上で検索し、すぐに見つかった彼女の携帯に盗聴と盗撮と位置探査システムを遠隔操作でインストールさせ、彼女の監視をリアルタイムで開始させました。
自身の終わりへ向かう映画を観始めるような予感の中、私はヘッドフォンをかけて彼女の携帯の盗聴と盗撮システムを起動させ、画面を立ち上げると同時に位置情報を掴み取りました。
彼女の今居る位置は彼女の部屋でした。彼女の携帯のカメラが映し出す光景は薄暗い部屋の白い天井のようでした。そしてすぐに話し声が聞き取れました。知らない男の声でした。たぶん若いであろう男の声が静かに彼女に向かって優しい言葉を囁いていました。私は途端嫌な汗が脇からたらたらと流れ出しました。これは明らかに、いきなりのスウィートなムードの中に二人がいることが解りました。彼女たちの姿をカメラで捉えられないことに私は非常に気が狂わんばかりに歯をぎしぎしと気づけば打ち鳴らしていました。馬鹿らしいと笑っていたアメリカ軍が作り出しているというサイボーグ昆虫兵器にカメラをつけたものを彼女の部屋に今忍び込ませて、最高の視点で彼女たちを盗撮したいと本気で願いました。カメラは白い空間をしか映してはくれませんでしたが、携帯がすぐ側にあるからか音はとても明瞭で音量を上げればシーツや衣類の擦れるような音、甘いキスを交わしているであろうリップ音、男の荒くなってくる呼吸の音までもが私の耳に届いてきました。今から二人の間に始まるであろう事が何であるか誰でも容易に予想がつくだろう事が起ころうとしているのでした。彼女の喘ぐ声と男の喘ぐ声が混ざり合い、だんだん体液と体液が接触しては融合し、浸透し合っているであろう音までもがはっきりと聞き取れました。私はその時既に血の気が引ききって、真っ青な絶望的な時間の中に、同時に酷く欲情している自分に気づきました。私は冷たい脂汗をたらたらと流しながら初めて味わう感覚を崩れ落ちていく感覚と共に味わい、彼女たちの生々しい性の営みを肌で感じ取るその同じ時間の中に私の存在がいかにあぶく以下の虚しい存在であるということにようやく気づき、その瞬間、私は全てを失いました。
これで全てが終わったとそうなんの疑いもなく理解できたので、私は彼女の男が彼女の部屋を出るまで監視を続けるとすぐさまパソコンの電源を切り、何事もなかったかのように車で家路に就いて、自分の部屋に着いたらすぐにウィスキーを瓶飲みしてそのままぶっ倒れるように眠りました。
そして次の日、二日酔いの激しい頭痛の中いつも通りに出勤してまたもや残業だと装い部屋にひとり居残って彼女の監視を開始しました。
部屋を真っ暗にして、監視システムをONにすると、昨日と同じ男の声が聞こえました。
いつも私から彼女にメールを送って、それから会っていたので、私からのメールが届かないことに心配したのか昨夜に彼女からメールが届いていましたが、返信するつもりはありませんでした。
私はまるで仕事のように彼女を監視し続けることにしたのです。そうする思いつく理由といえば、この地獄から逃れられる場所がどこにもないと知った自分はもうどこで何をしていようが同じ苦しみの中にしかいられなかったので、変な話、彼女の監視を仕事のように割り切らせるように自分を麻痺させ、一種の狂気的な楽を幻想できないかと一縷の救いにすがるように試したかったのかもしれません。
勿論、ごく人間的な狂いそうな嫉妬の感情を私は感じ続けていましたが、ほかに方法が思いつかなかったのです。
しかしこの方法こそ、人間の最も陥る方法ではないかとも考えました。地獄の苦しみを和らげる唯一つの方法が地獄をひたすら直視し続けること以外にあり得るだろうかと。
私は自分のやっていることの罪深さによる苦しみもこの地獄の表層を塗り固めていることを知りながら、これ以上苦しむことが嫌で、とにかく楽になりたかったのです。
しかし二日目の監視の最中、ある展開に来たときに私は本当にこれを私はやらなくてはならないのかと悶え打つ感情の中に自分に対して責め苛むように疑問を掲げざるを得ませんでした。
彼女はもしかしたら、私が監視していることを感づいたか、既に知っていたのかもしれません。
それは二日目に彼女の携帯のカメラが偶然に起こり得たとは思えない、そのちょうど良い位置に設置されたかのごとく、上手く二人の行為をポルノビデオかと見まがうほど全体が見えるアングルで映し始めたからです。
たぶん彼女は携帯を立たせる充電器に設置したのだと思いますが、なぜ事を始める段階にそれを行ったかと私は訝り、この悪夢のフィルムをライヴ中継で見続けなくてはならない罰をあえて自分に下した自分自身を呪いました。
私の目の前の画面の中で薄く淡いオレンジ色のランプの灯りの中に、白い生身と白い生身が絡まり始めました。
男は私と年が違わないか少し年下のように見えました。特にこれといって何の特徴もないような、無精髭を生やしたどこにでもいそうな私とさほど大差ないような男に思えましたが、男の彼女を喜ばせるための動作はとても柔らかく、ひょっとすると私以上の繊細さがあるかもしれないと、私はデスクの下に隠しておいたウィスキーを飲み、また下の半身を鈍痛に陥らせながら二人の交わりの一部始終を静かにじっと凝視し続けました。
繋がり合った彼女の存在と、男の存在がとても静かに私の目の前で私に聞き取れない囁きを交し合う時間が、私の一番苦しい時間でした。
自分の罪がこの苦しみに値するものなのだと私は知ることができました。
私のこの苦しみが彼女自身が望んだものであることも。
私のこの、10年間のあなたへの信頼を、あなたの何かによって返してくださいと、一体どの顔をして私が彼女に言えるでしょう。

彼女の細い指が男の身体に触れるその触れ方すべてが彼女が男を私以上に愛していることを物語っていると感じました。
いつまで続くのかと思えるほど長い行いのあとに二人は絶頂に達し、あどけなく互いに微笑み、疲れ果てた身体で優しい口づけを何度と交わしながらその後も二時間以上は私に聞こえない言葉でシーツに包まったまま囁き合っていました。
私はアルコールのおかげでなんとか吐き気の中にも耐えて表情を失った顔で椅子にずり落ちそうな姿勢で浅く腰をもたせながらそれを見続け、また肉欲の渇きに全身がうずくのを抑えることができませんでした。
もし目にしているものが彼女が拒み続け男の酷い暴力のうちに行われているような強姦まがいのシーンであったほうが、私はどれだけ青褪めた顔で興奮しながらもその心は救われたことだろうと思いました。
彼女と男が愛し合う姿を目にすることは彼女が強姦される姿を目にすることより苦しいものだったと私はあなたに告白します。
そしてその最も目にしたくないものを見ながら私がいつも絶頂に達する勢いで鼻息を荒くさせていたことも。
私という男がどれだけみじめな男であるかあなたはきっと想像もしたくないだろうと思います。
私という存在は誰かがつまらないと言って飽きてほったらかしにしたまだ人間の形にすらなっていない粘土の醜い重いばかりの塊でそれが息をして何か考え事をしているといった存在なのだということを今ようやく知ったのだろうと自分を少しでも慰みでもするなら醜い自分が振り返り気分は悪くなる一方だとわかっていたので私は自分という存在をどうすればうまく見捨てられるか、その方法を探し求め始めました。
ひとつひとつ、自分から何かを奪い、じわじわと追い込んでいく方法はどういう方法だろうかと考えたのです。
こんなことを言うと私が極度のマゾヒストであると思われるかもしれませんが、これはすべて私が救われたかったからであり、私はどうしてもどのような方法を取っても自分を楽にさせたかったからであるということに他ありません。
言い方を変えるなら、私はどのようにしてでも赦されたかったのです。
醜い限りの粘土である自分は最早自殺などをしても赦されることはないと思ったからです。
別の方法を探すしかないと思ったのです。
とりあえず、ひとつひとつ、自分から奪えそうなものが浮かぶならそのすべてを奪っていこうと考えました。
考え始めたのは、その日二日目の彼女たちの監視を終え、重い身体を引き摺るようにしてタクシーで自分の部屋に帰ったあとのことです。
ベッドで横になりながら朦朧とする中、私は考えました。
まず奪えるものといえば、私のこの職だと思いました。
職を失うとは生きていくための収入を失うことですが、私には仮に飲める限りの酒やドラッグ、暴食、あらゆる快楽ごとをやり続ける生活をこれからしたとしても最低10年は暮らせるだけの貯蓄があると判断しました。退職金などは一切なくてもです。
私はこの悪銭を、大事に使っていこうと思います。
次に奪うものをより良く奪い取るために。
私は次に、盗めるだけの機密文書をNSAから盗み出し、第二のスノーデンごとくリークしようと決意しました。
自分の存在を明るみに出すのは、自分がそんなに素早く逮捕されるか、暗殺されないようにする為にです。
何年と経った後に、「あれ、あいつ生きてるのか、あれ死んでたのか、何かの病気で?まあどうでもいいか」そんなことを言われるために、私は自分の正体を知らせる必要があると、そう判断しました。

一つここでスノーデンのリークした機密文書について、私の見解を述べます。
スノーデンがリークした政府の機密内容は、すべて実際に私自身も目にした内容ばかりでした。
彼は嘘の文書を本物であるかのようにリークはしていないということです。
しかし重要なのは、それが本当にこの世界の真実であるかということです。
もし、政府の人間たち、権力者たちがある程度の明敏な智力を持っているのであれば、いつか盗まれリークされたときの為に、それがいかにも疑わしい内容のリークと混ぜこぜであるほうが、人々はそのリークした人間を信ずることが難しくなるであろうことを予想するはずです。
つまり政府は、いくつもの嘘の機密を創作しており、私たちNSAとCIAの人間たちすべてにも嘘の真実を信じ込ませようとしている可能性は高いということです。
彼は本当に純粋で素直な人間であったので、そこまで頭が回らなかったのか、それとも、何か彼なりの魂胆が隠れているのかは私には知り得ません。
ですから私は確かに政府が隠している機密文書の実物のコピーを添付しましたが、そのすべてを私自身はあまり信用していません。信用はしないし、あまり興味を持てません。
実物である可能性の判断はあなたに任せたいと思います。
そしてもし良かったら私のこの気儘な見解を是非公表してください。
政府や権力者という人間たちがいかに私たちを騙すことにおいて訳もないほど優れた能力を持ち、自在に人類を操ることのできる可能性があることについて私たちが真面目に考慮するに値するであろう賢い存在であるということを。

私はスノーデンのように国家に対する幻想はもともとないに等しい人間だったのですが、同時に大統領や、国民をあらゆる危害から擁護するための機関や組織に対する尊重と尊敬を今でも変わりなく持ち続けています。
どのように馬鹿げまくったものがあろうとも、何故か変わらないのです。
相手に何一つ期待しないことで、相手が何をやらかそうと関心を持たず、相変わらず尊重できるという状態の中に私はいると言ったらあなたは疑うでしょう。
何故尊重しながらリークするのかと。
しかしスノーデンも政府や組織の人間を尊重することをやめたのでリークしたわけではないはずです。
むしろ真摯に向き合うにはリークすることが不可欠だったと、そう思います。
でもそれは政府や組織に対してではなくて、自分に対してだと思います。
自分に向き合うために相手の不正の秘密を漏洩させるという行為は、卑怯だと思われることになんら疑問を持ちません。
私が自分を追い込むために二つ目に選んだものが、まさにこれだからです。
私は私が救われるためには私を追い込むことが必要であると解り、その為に自分にこれまで以上に向き合うことがどうしても必要だったのです。
告発という行いは自分の罪はさて置いて相手を告発できる行為ではあり得ないと、私は彼を眺めているとつくづく感じました。
告発という行為は、想像以上に重く、自分に対する告発と、相手に対する告発をまったく同等の重さにすることでしか果たし得ないことなのだと、私は自分の行為を通して実感することができました。
告発とは、自分の罪の告白であり、自分の罪の赦しを乞う懺悔でしかないのです。
だから自分の命を懸けてまでも告白する必要があったと、私は自分に関してあなたに言います。
可笑しな話、他者を断罪するというこの告発の行為をすることによっての自分への罪を自分に対して同じように私が断罪することになるのです。
告発をした人間が、人を断罪した人間が、実際光の中を生きていくことはできると思いますか。
他者の中に罪を見つけた人間が、自分の中には同じ罪は存在しないと信じて生きていくことができ得るのか、私は素直に疑問を感じます。
スノーデンは「彼らが恐れるのは光です」と言いました。私はそれを読んですぐ、ああ彼自身が恐れているものが光であるということに、当時はなんとなしに納得しましたが、今では涙さえ出てきそうな想いで、彼を親しみ深く感じることができます。
私たちは、光を恐れる存在として成り果てた存在になったのです。
何故ここまで黒光りするような闇の淵に落ちたのか、それは私の場合、ただたんに本当に苦しいものを目にしたからという、それだけではないだろうと思いました。
私はその前に、最も愛する存在である彼女を疑ってしまった自分に対して、自分を赦す可能性を持つ自分自身を、とても暴力的に殺し、殺しても殺しても蘇ってくる自分をそれからずっと殺し続けているからなのだと、そう感じてならないからです。
私はまるで彼女が私のお金欲しさに身体を売る目掛け情婦なのではないかとふと疑いましたが、それはそっくり私の自分に対する疑いと嫌悪そのものだったのです。
不正行為をするその褒美として、政府から高額の報酬を貰っている自分への不信そのままを彼女に映し込み、愚かにも彼女に嫌疑をかけたわけです。
これがどんなに馬鹿げた疑いであるか、この馬鹿げた疑いによって起きている悪夢のような現実をまったく馬鹿げたことに私は一ヶ月以上続けました。彼女の監視をです。
そうする以外まったく身動きが取れなかったのです。この悪夢を私に見せたがっているのは明らかに彼女自身だと感じました。彼女による制裁は異常なものでしたが、理解できるものでもありました。
馬鹿げたこの罪は馬鹿げた罰によって罰されるべきとでもいうように私は彼女の監視を約一ヶ月以上は続けた頃、自由を愛する彼女もついに辛抱が切れたのか、「今重要で難解な仕事を抱えているから、これが解決するまで会うのをやめたい」とメールを送ったにも関わらず、彼女は私の家に夜遅くにやってきました。
彼女はこれまでずっと冷静な交渉によって解決させることを好む人だったのですが、私が今晩もアルコールに頼って気持ちの悪さを抱えつつ重い身体を起こして部屋のドアを開けると、泣き腫らした目をした彼女が私に突っ掛かってきました。
正常ではない彼女を部屋まで引っ張っていき、水を飲ませました。
彼女は駄々をこねる幼児のように私の身体に縋りつきながら泣き喚いていました。
私は彼女に引っ張られながら彼女の言わんとしていることを必死に聴き取ろうと黙っていました。
するとようやく彼女が何を叫んでいるかを聴き取れました。
彼女はずっと私に、私をどうか赦して欲しいということをひたすら叫んでいたのです。
私はなんで彼女がそんなことを言う必要があるのか理解できず、君は何も悪くないということを言いました。
すると彼女はお願いだから私を捨てないで欲しいということをしっきりなしに私に言いました。
私はその時ようやく思い出したのですが、昨夜そういえば決定的なメールを彼女に出したことをすっかり忘れていたのです。NSA局員であることを黙っていたということから、すべての私の見たもの、馬鹿げた疑いを持ったことに対する彼女への謝罪、そしてもう二度と私たちが戻れないところに来てしまったことを長いメールで送ったことを思い出しました。
彼女はあの相手の男に対してなんの感情も持ち合わせていないこと、私の疑いによる彼女の苦しみを表現して、私に見せて自分の苦しみを解って欲しかったのだということ、男には金を払って、熱演を頼み込んだのだということ、自分の愛は何も変わらないということを涙を流しながら必死に私に話しました。
私はその話を、どれもとてもじゃないけれど信じられませんでした。
彼女は嘘をついていると、それも全部嘘であると、そう感じました。
私は気を失いそうな感覚の中で薄ら笑いがこみ上げてきてしょうがありませんでした。
全てが演技、彼女の男を触る指の滑らせる動きの速さも、恍惚な表情を浮かべて上げる甘い熱を帯びたロリ声も、男の舌と絡み合わせたあの舌の引き攣りかけそうな曲線も全て、演技だとでも言うのだろうかと、私は信じたくありませんでした。彼女を一生失ってでも。
私は彼女の私の腕を強く掴む手を力ずくでひっぺ剥がし、ベッドの脇に転がっていたウォッカのボトルに口をつけて残りを全て飲み干すと彼女の前で声を出して笑いました。
そして笑いながら「絶対に戻れない、戻るつもりはない」そう彼女に告げました。
そして座って彼女を引き寄せて強く抱き締めたあと、涙を流しながら「ぼくは君に感謝する。さよなら」と言いました。
彼女は絶望的な表情を浮かべながら何十分間か、じっとしていましたが、ふいに立ち上がると静かにドアを閉め、私の前から立ち去りました。
私はまた自分への疑いを増やし、卑屈な笑いの中に彼女も彼女自身を疑ったことに気づきました。
唯一つ違うのは彼女はそれでも私(彼女)を信じようとしましたが、私は最後の最後まで私(彼女)を信じることはできなかったということです。
自分(相手)を信じることが光であり、信じられない私は闇に属し、私がこの闇のみなもに自分の罪を浮かび上がらせたとき、やはり光を恐れました。まだほんの序の口しか罰されてはいないであろうこの罪が光によって明るみに出ることが恐ろしくてなりませんでした。私はこの罪のすべてが罰され尽くすまで、光を恐れ続けるでしょう。
しかし光だけが私の罪を罰することができるので私は恐れると同時に光を求め続け、私の罪が明るみに出るように、私は告発します。

次の日から、約一週間かけて盗める限りの不正で秘密主義な政府による機密情報を読み取ってUSBメモリに保存し終えた明くる日に、国家安全保障局に私は退職願を出し、今まで世話になったことを感謝する意を伝えました。
可愛がってくれた上司が私の身を心配して、「行くあてはあるのか、なんならいくつか大手企業を紹介するが」と言ってくれました。
私は上司に向かってでき得る限りの元気な表情を見せてこう応えました。
「御気持ちをあり難く頂きます。しかし行くあては、もう既に決まっています。ここの、すぐ近くです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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