ベンジャミンと先生 「擬態」

今日は学校はお休み。

先生のおうちにベンジャミンは昼前にやってきました。

ピンポーン。

先生がドアを開けるとベンジャミンがいつもの屁を少し我慢しているような顔で突っ立っている。

「お、ベンジャミンか、なんの用だ」先生があくびをしながらそう言うとベンジャミンは眼鏡が若干ずり落ちたままこう言い放った。

「先生!ぼく、今日すごい夢見ちゃったんだ。先生、どんな夢か知りたい?」

「おお、それは聞きたいね。しかしその話を聞く前に先生は腹が減ったから先に朝食にしよう。さあ上がりなさい」

ベンジャミンは今すぐに話したいのに先生は僕の話よりも食欲を優先する、そんな先生に大いに不満を持つがそれでもぼくはそんなことを先生に気遣って顔に出さないかといえばそんなことはなくぼくはとっても純粋な少年だから素直に顔に出すんです。そんなぼくのことが先生も好きですよね?という顔でベンジャミンは先生の顔を見た。

先生はそんなベンジャミンの顔を一瞥してふぅ。と一息ついてから朝食を作り出しにキッチンへ向かった。

先生が朝食作ってる間に夢の話を忘れちゃったらどうしよう。という不安な顔でベンジャミンは先生の側をうろちょろをした。

先生は実にそんなベンジャミンが邪魔で何度も身体がぶつかっては「ったくこの三月ほどで見る見るうちにでっかくなって邪魔で仕方ない」と思ったがそんなことは言ってもすぐにベンジャミンから眼鏡をくっと中指で持ち上げ「自然の掟ですからね」と返されるのがわかっているのでいちいち口には出さないが、図体のでっかくなっていく生徒たちに囲まれて先生の心はどんよりとしていくばかりだった。

 

先生は菜食なので朝食はどんな色とりどりの野菜が並ぶだろうとベンジャミンは予想したが先生が出来上がったのをテーブルに置いたものを見てベンジャミンは唖然とした。

なんだかきちゃない黄土色のどろどろな物体がそのままボウルの中に詰め込まれていたのだった。

「先生、なにこれ?」とベンジャミンが問うと先生は

「なにって、シッチューじゃないか、鼻と目の感覚器官でもってこれがなにかすぐにわからんのか」と言った。

「こんなきちゃない感じのシッチューなんて見たことないよ」

「うるさいよ、おまえの話を早く聴くために材料を刻む代わりにフードプロセッサーに全部かけたのに、それはないだろう。さあ早く座りなさい。お祈りをしよう」

ベンジャミンはそそくさと椅子に座ると先生と一緒に目を瞑って手を組み食事の前のお祈りをした。

確かに匂いはクリームシッチューで朝食は2時間前に済ませたが食欲が沸いてきたのでベンジャミンはどろどろなシッチューをたくさん食べた。

「先生はあれだよね。見た目に反して味は結構イケル料理を作るのが得意だよね」

「そうだな。そういうおまえは褒められてんだか貶されてんだかわからないようなことを言うのがベンジャミンは得意だよな」

「うん。ってなんで最初に”おまえ”ってぼくを指していったのにもっかい”ベンジャミンは”って二回同じ意味を言ったの?」

「知らないよ。おまえはまったく細かすぎるんだ。ベンジャミン」

「ほらまた言ったよ」

「ほら夢の話を忘れてしまうぞ。早く話しなさい」

ベンジャミンはハッとして「そうだった!」と言った。

「ええっと、あっ、そうそう、こんな夢だったんだよ先生!」

「どんな夢だ」

「ええとね先生、ほんとにすごい夢なんだ。ええと、こんな夢だよ!ぼくはね、ぼくは、そこにいる。そして何かに視線を向けているんだ。それは、ミノムシなんだ。それは遠いような近いようなところに中空からぶら下がってるんだ。けっこう大きなミノムシだよ。で、そのミノムシの中がねぼくには見えるんだ。中の様子をぼくは離れてるような近づいているような場所から見ている。するとね、そのミノムシは普通と違うんだよ。とても…きもちわるいんだ。なんでかっていうとね、そのミノムシは一匹のミノムシじゃなかったんだ。何匹も何匹もの小さなミノムシかどうかもわからない虫たちが寄り集まってそのミノムシの形を作っていたんだよ」

「ほう、擬態だったわけか」

「先生、ぼくより先にこの話の一番の肝心な言葉を言わないでよ」

「悪かったな、続けなさい」

「その小さな虫たちがうようよと動くものだからそれが見えてるぼくと兄は「ちょっと気持ち悪いね」って言ったんだ。言い忘れてたけど、側にはぼくの兄がいたんだ。そして、その小さな虫たちが形成しているミノムシは千切れて下に落っこちちゃうんだよ。普通は虫の身体が真っ二つに千切れるなんてとてもグロテスクな光景のはずなんだけど、ぼくらはそれがただの小さな虫たちの分離に見えているから、グロテスクには思わないんだ。で、そのあと何故か視界は一変して大きなカバが上から落ちて下にある岩に伸ばした前足と後足をべったーんってなって、すごく痛そうで可愛そうな場面に切り替わって夢から覚めたんだ」

「なんで虫からいきなりカバになったんだ」

「わからないよ先生。夢はいつでもへんてこなんだもの」

「そうだな。ベンジャミンは人の倍へんてこな夢を見てるだろう」

「そんなことないよ先生。先生はエロい夢ばかり見てるよね」

「見てないわ。先生を侮辱して恥辱を与えるんじゃない」

「汚辱ならいい?」

「だめだ。屈辱もだめだ」

「次ぎ言おうと思ったのに」

「ははは。さあ夢の話に戻るぞ。その夢は本当に面白い夢だベンジャミン。その夢はまさに真理を表している。さすが俺の教え続けてきた愛弟子といったところだろう」

「なにがどう真理なの先生?」

「ってわからんのか。俺の教え子ベンジャミン。真理そのものだよ、それは」

「擬態が真理なの先生?」

「そう、擬態だ。この世の全てが擬態だ。そしてその夢が真理をうまく表現できているのはその擬態はミノムシの殻のようなものによって隠されているからだよ。真理は隠されているんだ。人間が目にしているのはミノムシの殻か、または中の幼虫だろう。しかし本当はその幼虫は存在しない。それは違うものの集合体によっての擬態だからだ。その集合体を人間はミノムシという生物と呼んでいるに過ぎない。この世に存在するあらゆるすべてがそうなんだよベンジャミン。目に見えるすべてから目には見えがたい全てまで。おまえがいつも無意識で吸っているこの空気すら、ほんとうは存在しないんだ。すべてが原子の集まりによってできている。原子とは物質の最小単位の言葉だ。最も小さい物質を表す。ほかにも分子や素粒子などという言葉を作り出しその物質を人間は捉えようとしているが、そんな区別は先生の中では必要ない。もっともちいさな物質を原初の子として原子とするのがわかりやすいから先生も一番小さな物質を原子と呼んでいる。目には見えないものもこの原子からできている。原子の集合体であるすべては擬態であるからその原子が離れてしまえばすべては存在しないものになる。おまえを形成している原子が崩れ落ちればおまえはたちまち消えてしまう」

「先生、それが死なの?死ねば生物は塵となるよ。小さな物質になってその塵はまた何かを形成するの?」

「そうだ。でも塵でさえ、原子よりもずっと大きな物質で形成している。原子たちが離れてしまえば塵も消える。塵もこの世には存在していない」

「それじゃこの世には原子だけが存在してるの?」

「原子はただの人間が想像している一番小さな物質体のことだよ。その原子は何で作られているかを考えたらいい」

「原子は何で…?それは、物質じゃないもので作られているの?」

「そうだ。一番小さな物質よりさらに小さくするには物質でなくならねばならない。もはやそれは物質ではない。ではなにか。この世の全てが物質でできているのに、物質でないものとは一体なんだろうベンジャミン」

「う~ん。存在しないもの…?この世で無が一番小さいよ、ゼロなんだもの、ほんとうの0」

「そのとおりだベンジャミン。数学が真理を表しているな。ゼロが一番小さな形態だ」

「何もないのに形態なの?」

「ああそうだ。ゼロという形態。人間に理解し得る”無”や”空”といったもののことだよ」

「物質でもないし、なんにもないのに無という形があるなんて面白いね先生」

「本当に、この世界は考えると腹の底が気持ち悪くなってくる。考えるよりは感覚で捉えなくてはならない」

「でも無なんて先生、存在しないんでしょう?」

「そうだ。ベンジャミン。先生の教えがしっかりと根付いているな。無はないんだよ。無は存在しない。なんにも無いのだから」

「本当にこの世界にはなんにもないんだね。無ですら無いなんて」

「ああ実にさっぱりとした世界だよ。究極のすっからかんだ」

「それなのに、この地球上はなんだかごちゃごちゃとしまくってるね」

「そう見えるだけだよベンジャミン。それはすべておまえが見ているホログラムなのだよ」

「この世の全てはホログラムなの?」

「ああそうだ。幻想とホログラム。同じものだよ。それはおまえの心のすべてもそうだ。もちろん先生の心もだ」

「ぼくの心も先生の心もホログラムなの?」

「そうだよ。それは存在していない。最も小さなゼロという存在しないものの集合体で現れているだけのもの。人間の感情や意識もすべて存在しないものによる擬態なんだ」

「でもどうして存在しないものが集まるといろいろな形になったり意識になったりするようになるの先生?」

「さあそれは先生もわからない。そういう仕組みだとしか言えない」

「本当に不思議だ。あっ、ぼくの夢からの教訓で言いたかったこと。この世の全てのグロテスクなものは実はグロテスクさを装った擬態であるってこと」

「そうだな、もともとはグロテスクでもなんでもない。すべての不快なものからすべての美しいものまで、それはただ擬態によって装っているだけに過ぎない」

「無が擬態をするんだね」

「そうだな。無は擬態を行う仕組みになっている」

「先生。ぼくはとてもグロテスクなものが苦手なんだ。それは生物の苦しみの象徴だから。でもグロテスクさを装うには何か理由があるのかな」

「理由があるかどうかは、おまえ自身が決めればいいんだよ。本来は理由も意味も無いところから始まっている。なんにもないところにまずは額縁を持ってきて、ひとつもピースが置かれていない真っ白な額の中にひとつずつおまえが自分の好きなピースを置いていけばいい、そしてそれを組み合わせていけばいいんだよ」

「ぼく以外のところには理由も意味もないの?」

「そうだ。この世界はおまえ自身が神になるしかない。おまえが想像して作り上げる創造世界なんだ」

「ぼくはみんなが幸福になるような世界を創造したい」

「真に良い願いだな。その願いは叶うだろうベンジャミン」

「先生、今日先生が作った得体の知れない物体のシッチューもなんにもないものの集合体で擬態なんだと思えば全然平気に感じられるようになったよ」

「さすがグロテスクなものが苦手な俺の教え子ベンジャミンの導き出した希望溢れる光ある思考だ」