上でジンを飲む子供たち
前庭の芝生
子供たちは歩いている男を見る
泥道
この子供たちは、空を見ると、彼らは彼のことを想う
炎に身を包んだ
子供たちはゆっくりと忍び寄り、後ろを歩く
その年老いた男
まだ年を重ねてゆく
まだ年を重ねてゆく
まだ年を重ねてゆく
まだ年を重ねてゆく
一人の中学生くらいの少年が彼を追った。
彼の小屋の前まで後を着け、老人が小屋の中へ入るのを見つめている。
老人は一人掛けのカウチにぐったりと腰を凭せ掛け、小さなRadioをONにした。
網目状のスピーカーから60年代のメランコリックな音楽が流れてくる。
老人は小さなコーヒーテーブルの上に置いてある煙草を取って燐寸で火を点け、美味しそうに吸う。
少年はじっとその姿を見つめている。
そして手に持っている金属製のガソリン缶の蓋を開け腰を低めて小屋の周りに満遍なく振り掛けてゆく。
後もう少し、後もう少し、後もう少しだ。
すべてのガソリンを振り撒いた。
額から垂れ続ける汗を右の甲で拭い、爽やかな笑みを浮かべて藍色のジーンズの右ポケットに手を突っ込み、燐寸箱を取り出す。
緑の芝生を踏み潰し、少し離れたところから小屋目掛けて火を点けた燐寸を投げる。
火は一瞬で一気に燃え上がり、窓の向こうに居た老人の姿ももう見えない。
少年は歓喜に打ち震え叫ぶ。
「Strike!!」
身寄りはだれ一人、居なかったらしい。
老人の灰すら、だれも関心がなかった。
燃え尽きた後の真っ黒な小屋の残灰と残骸を片付ける者も一人もいなかった。
何かの伝染病でも持ってたら、きっと感染してしまう。
人々はそこへ近付くこともなかった。
犯人が一体だれかなんて、だれも想わなかった。
ぼく以外は。
ぼくは少ない目撃情報を頼りに犯人の少年の住む家を探し当てた。
週に何日か、近くのディスカウントストアでジンと適当な食品を少年はいつも買って帰る。
ぼくは少年の後を着け、少年の住む小さな小屋の前まで来た。
少年はドアを開けて中に入る。
時間は夕方、突っ立ってるだけで汗がたらたらと引切り無しに垂れてくる。
ぼくは少年の小屋のチャイムを鳴らした。
手には手作りのマクロビアップルパイを持って。
少年は訝しげにそっとドアを開けてドアの隙間からこちらを覗きこんだ。
ぼくは最高の笑顔で言った。
「やあ、こんにちは。はじめまして。ぼくは昨日この近くに引っ越してきた人間だよ。これ、さっき作ったんだ。マクロビアップルパイ。良かったら一緒に食べながら、この町のことを教えてもらえたらと想って。」
少年はじっとぼくを見つめて、何か深く考え込んでいる様子だった。
そしてあっさりと、ぼくを家の中に上げた。
複雑そうな顔に笑みを浮かべ、こんなことを言いながら。
「はじめまして。マクロビアップルパイですか。すごく大好きです。外すごく暑いですね。狭いうちですが、良ければどうぞ。涼んで行ってください。」
キッチンとバスルームとリビング兼ベッドルーム合わせて8畳ほどの狭い部屋のなかの窓際に二人用のダイニングテーブル。此処で一人で暮らしているのだろうか。
彼にアップルパイを渡し、その椅子に座って窓から外を眺めた。
此処から彼の小屋まで、そう遠くない。
彼は紅茶と切り分けたアップルパイを皿に二つ入れたものをトレイに載せて持ってきた。
彼と向かい合ってアップルパイを食べる。
「この町には何にもないけれど、何にもないからわたしがこの町に居られるのかも知れません。」
ぼくは彼に年を尋ねた。
すると「14歳です。」と答えが返って来た。
銀縁眼鏡を掛けていて、とても賢そうな顔立ちの色の白くて痩せ細った少年だ。
顎の骨格がすごく細いのが特徴的だ。動物で例えるなら、蛇と鹿のようだ。
ぼくは彼にこう返した。
「へえ、まだ14歳なのに大人びているね。14歳っていうと、ぼくがちょうど処女を喪ったのが22歳のときだから、もしその頃に妊娠してたら、君と同い年の子供が居るんだね。」
彼は尋ねた。
「結婚は、されていないのですか?」
ぼくはこくんと頷く。
「貴女はクリスチャンではないのですか?」
彼が少し責めるようにそう尋ねたのでぼくは吃驚した。
何故なら彼はクリスチャンだということを意味していたからだ。
「ぼくの母親は忠実なクリスチャンだったよ。でもぼくは母の記憶がなくて、ぼくは違う。」
彼は少し咎めるような顔でぼくの顔を見た。
「この町にはクリスチャンがそんなに多いの?」
そう訊ねると彼は首を横に振って実に興味がないという顔をして言った。
「さあ、全く知りません。」
「この町に住んでどれくらいなの?」
そう訊ねると、彼は困った顔をして、紅茶を飲んで咳払いをした。
そして何を想ったのか、こんなことを話し始めた。
時間はまだ午後5時46分。外は明るい。
「モロク(Moloch)、モレク(Molech)神と言われている神を知っていますか?」
ぼくは何故そんな話を突然し始めたのだろうと訝りながら答えた。
「牡牛の頭の像の絵が有名な聖書にも記述されている子供の生贄を求める恐ろしい神のことだね。」
彼は深く頷いて言った。
「そうです。聖書が異教の神として憎悪し続けた神です。彼らは巨大なモレクの像を造り、モレク像の腹部の炉の穴は七つの戸棚に分けられていました。
その七つの棚は一つ目に小麦粉、二つ目に雉鳩、三つ目に牝羊、四つ目に牝山羊、五つ目に子牛、六つ目に牡牛の順に入れられ、最後の七つ目の棚には人間の新生児や子供が入れられ、その釜戸に一斉に火を点け、生きたままの状態で焼き殺していたのです。
その儀式には性的な儀式も加えられていたと言われています。後にその儀式が行なわれていたゲヘナという場所は処刑された罪人を焼く為の谷となり、その名を取って、最終の審判で神に逆らう者は皆ゲヘナへ投げ込まれると預言されています。
しかしこの話が、本当に事実であったかどうかはわかりません。その場所で見つかっている無数の新生児から幼児の遺骨が、生前に焼かれたのか死後に焼かれたのか判明できないからです。もしかしたら人々は、何らかの理由によって邪魔となった赤子や幼児を、生贄の儀式の為だと言って殺し、供養していたとも考えられます。もしそうだとしたら、非常に好都合で利便性の優れた堕胎を正当化する方法としても、信仰が行なわれていたと考えられます。
『自分の子どもをモロクに献げる者は、だれでも必ず殺されなければならない。』
旧約聖書のレビ記の聖句です。我が子を殺すこと、それを聖書の神はどのような理由があろうと赦しておられません。婚前交渉は堕胎に繋がり、堕胎はそれに関わる者の処刑に関わっていることになります。」
少年が話し終わり、奇妙な沈黙が部屋の空間に流れた。
一体この少年は何故こんな話をぼくにしたのだろう?
少年はふうと深く息を吸って吐いて、また口を開いた。
「貴女はその前に、一度受胎を経験しています。貴女は処女のままで受胎し、貴女の御父上が亡くなった、その4日目の晩に、何かを焼きませんでしたか…?」
ぼくは少年が一体なんの話をしているのかわからないままその日の夜のことを想いだしていた。
ぼくのお父さんが2003年の12月30日の夕方に此の世を去り、確かその4日後が、火葬の日だった。
絶望だけが、ぼくを全支配していた。その晩、ぼくは何を想ったのか、突然一人でジンジャーブレッドマンを生地から作り始めた。
大きさは十センチほどの、ホワイトチョコでコーティングして目と口と胸にはボタンを三つ描いたスノーマンみたいな可愛いホワイトジンジャーブレッドマンが出来上がった。
そしてぼくは突然、また涙が溢れてきて、一滴の涙がそのホワイトジンジャーブレッドマンの胸の位置に落ちた。
ぼくは一時間近く泣き続けた後、それを予熱したオーブンの中に入れて、焼き始めた。
何十分かした頃、オーブンの中で、何かが叫ぶ声がして、ぼくは飛び上がってびっくりした。
『熱い!!熱い!!熱い!!』
そう中で叫んでいると想った瞬間、
『熱い!!熱い!!熱い!!』と叫びながらなんと、ホワイトジンジャーブレッドマンが、オーブンの戸を自力で開けて中から慌てて飛び出してきたのだ。
そしてあまりに驚いたのか、彼はそのまま、外へ走って飛び出して行ってしまった。
残されたぼくは呆気に取られたまま、もしかして夢でも見ていたのだろうか?と想った。
しかしせっかく作ったホワイトジンジャーブレッドマンの姿は消えてしまっているし、一体なんだったのだろう?
その日、ぼくは夜まで彼と居た。
そして彼はにっこりと笑ってこう言ったのだった。
「ぼくの愛するママ。37歳のお誕生日おめでとう。」
ぼくは、その言葉がとても、嬉しかった。
何故だか……
その晩、ぼくは我が子として、彼と共に眠った。
すると夜明け前、突然、彼が叫び声を上げて起きた。
『熱い!!熱い!!熱い!!熱い!!』
彼は今でもこうして、眠りに就くといつも魘されて飛び起きてしまうのだろう。
ぼくは彼の頭を優しく撫でつけ、訊ねた。
「何故あの老人の小屋に、火を点けたの…?」
彼は静かな表情で寂しそうに微笑んで言った。
「だってママがいなくなった後も、わたしは年を重ねてゆく。まだ、さらに年を重ねる為に。あの老人は、実はわたしの未来の姿だったのです。貴女がいなくなった後にも、何故わたしが生きているのか、理解し難いからです。」
ぼくは次の朝、マインドマップをパソコンの画面上に作った。
それは、こういうものだった。