イエス様と老婆

おばあさま、おばあさま、今夜もよいお天気です。
おばあさま、今日もイエス様のお話しをしてください。
ミカエルはこの村で最初の捨て子。
あの老婆に近づく者はミカエルだけ。
荒れ果てたごみのなかに、生きた屍(しかばね)。
ミカエルは今夜も、朝に起きて、戸をトントン叩く。
おばあさま、おばあさま、今夜もよいお天気です。
ミカエル、おまえはほんとうにカエルに似ている。
おばあさま、何回も何回も、同じことを言っているけれど、ぼくはカエルでなくて人間です。
おばあさま、おばあさま、今夜もぼくに、イエス様のお話しを聴かせてください。
ミカエルは、おばあさまのそばにちょこんと座って、目を耀かせています。
朝なのに、ここは暗い。
暗いので、今は夜です。
おばあさま、おばあさま、イエス様のお話しをぼくに、聴かせてください。
老婆はいつも目の前に見つめ合うように置いている、イエス様の写真を見つめています。
エスが弟子たちと荒野を歩いていた。
おばあさま、こうや、とは、どんなところですか?
荒野とは、だだっぴろい、草や木が、ほとんど生えぬ乾いた地だよ。
エスは弟子たちと、もう何日も、ろくにものも食べず、飲まず、荒野を歩いていると、突然、風に乗って腐敗した臭いを嗅いだ。
おばあさま、なぜですか?
今から続きを話すから。
おばあさま、おばあさま、ふはいしたにおいとは、どんなにおいですか?
鼻がもげそうになる臭いだよ。
あんまりそうぞうが、つきません。
とにかく、尋常じゃない臭いで、嗅いでいられない臭いだよ。
おばあさま、おばあさま、それで、イエス様と弟子たちはどうなったのですか?
弟子たちはぎょっとした顔で、鼻を着ていた衣で覆い、臭いの在りかを、振り返り見た。
するとそこには、
おばあさま、おばあさま、何があったのですか?
だから続きを話すから。
おばあさま、続きがたいへん、楽しみです。
するとそこには、
何があったのですか?
するとそこには、
なんですか?
そこには、あわれにも、朽ちながらも生々しい、腐敗した者がの垂れ死んでいた。
だれですか?
弟子たちは、遠くから顔を歪め、その者に目を凝らし、こう言った。
ああこれは…!なんという不吉なめぐり合わせであろう。馬の屍に遭遇するなんて…。
おばあさま、おばあさま、なぜ、馬の死骸に出会(でくわ)すと、運が悪いと弟子たちは言ったのですか?
もう何日も、飲まず食わずで日の照りつける、休む日陰もない荒れた野を、歩き続けてきた。
想像しなさい。どれほどつらく、どれほど疲労して、どれほど救いを求めて歩いてきたか。
どうしてイエス様は、弟子たちをお救いになられないのですか?
エスの救いと、弟子たちの求む救いが、まるで違うからだよ。
おばあさま、おばあさま、続きがとっても、気になります。
弟子たちは、顔を歪めて死んで腐乱し、うじの湧いたその屍を、睨み付け、まるで呪詛を吐くように言い捨てた。
いったいこの馬は、我々に何の恨みがあって、我々の行く道先に死んでいるのか…!
その時、
エス様は?
弟子たちが遠ざけ、近寄るまいとしているその腐乱した馬に、イエスはすたすたと歩いて近づき、屍を見つめながら、こう言った。
なんと言いましたか?
なんと言ったと想う?
うーん、「なんてきしょく悪い馬だろう!」と言いましたか?
弟子と同じように顔を歪め?
うん。そして、イエス様は言い捨てました。「なんて臭い馬だろう!これじゃ食べられない!」
正解ですか?おばあさま。
では続きを話そう。
おばあさま、おばあさま、とっても、とっても、たいへん楽しみです。
エスは、
エス様は?
固まり、立ち尽くす弟子たちの間をイエスは縫って、腐敗し尽くした馬の屍にすたすたと歩き寄ると、それを見つめながらこう言った。
「なんと美しい白い歯だろう!」

 

 

おばあさま、おばあさま、このお写真は、イエス様のこのお写真は、ほんとうは、おばあさまの恋人のお写真ですか?
とても優しそうに微笑んで、眼鏡をかけています。
おばあさまを、ずっとずっとずっと、ずっと、微笑みながら見つめています。
おばあさまが死んで、朽ちてゆく、そのお姿を。