2015/4/27

過酷な生涯を生きた人、過酷な死に方で死んだ人、そんな人たち、そんな生き物たちすべてが犠牲者だと僕は思う。

だから可哀相と思うんじゃなくて、僕もその道を選んで誰かのために犠牲となって死にますと誓う。ほうがいい。

今度は僕が犠牲となりますと犠牲となった人たち、生き物たちに向かって言えることが大事だな。

どんな犯罪者も僕たちの犠牲者なんだと思う。

そう思うとあらゆるキチガイと言われてる人はものすごい犠牲の上に生きることを選んだ人なんだと思えてくる。

キチガイはたいがい生きることが苦しいから。

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見沢知廉の「囚人狂時代」を読んでると、つくづく犯罪者の人たちはみな犠牲者なんだと思えてくる。

それは幾人もの犯罪者達と接して冷静に観察しているこれの著者である見沢知廉のこともそう思う。

苦しい人生の先の苦しい死。

これが犠牲でなくてなんだろう。

犠牲はいつでも、誰かの苦しみのためにある。

誰かを救うために犠牲がある。

どんなに残酷な犯罪を犯した人であっても優しさで接し続ければ優しさで返してくれるのではないか。

自分よりも苦しい人生を生きている、それだけでも敬意に値する人間だ。

どんな犯罪者であっても。

この世のすべての犠牲者のことを思うと可哀相だという気持が何度も沸き起こったが、可哀相と思うより、自分はどれだけの犠牲を払って死ねるかを僕は考えていこう。

 

 

最近、なかなか調子がいいようだ。といっても外に出る元気まではまだない。

日が変わる20分前だ、急いで今日の欝チッっキングと行こう。

 

2015年4月27日(月)

月齢 8.3 (小潮) 大安(癸酉)

月齢 8.710
8.335

 

  • 朝の歯磨き、洗顔:◎
  • 恋人と元気よく会話:◎
  • 読書:◎
  • 入浴:◎
  • 精神科へ行く:×
  • みちた(うさぎ)を(´・ω・`)ヾ(・ω・。)ヨシヨシ:◎
  • 就寝前の歯磨き:◎

 

明日こそ×を◎と書きたいものだが、なんか僕は見沢知廉氏と似てて反抗囚的な性格があるのか、頑なに意味のあるように思えない精神科へ通うという規則に反抗したいようだ。結局あとあと自分がしんどいことになるのに。

 

この世から死刑と大人数が肯定する殺害(家畜の屠殺も含む)が一秒でも早くなくなるように。