インダとガラメ

 何かに餓えきっている。何かに。餓えて飢えて渇くどころか潤いすぎて溢れてしまっているよ。餓えているのに。何かに。溢れて止まらないものがある。
 ここに親に捨てられた子供と親を殺した子供がいる。さて、どうしたらこの子供は自分を肯定し得るのか。観てみよう。
 わたしは親に捨てられた子供の守護霊だ。
 わたしは親を殺した子供の守護霊だ。
 二人は隣の星星から光りやわらかい雲に肘を着いて見下ろしていた、その子供たちを。
 親に捨てられた子供と親を殺した子供が学校へ通う。席が隣同士だ。ここは犯罪を犯した子供たちが通う学校。もっとも親に捨てられた子供の犯した犯罪とは犯罪と呼べないものであったものの、ほかに入れる学校がなかったためにここに入っただけのことだ。親に捨てられた子供は自分を殺そうとしたからだ。
親に捨てられた子供は名前をインダと言った。
親を殺した子供は名前をガラメと言った。
インダはガラメが嫌いだった。ガラメは心が優しいときと心が意地悪なときがあった。
ガラメはインダが好きだった。インダは心がとても純粋でいつでも綺麗なままだった。
ガラメの守護霊はインダの守護霊に言った。
「俺は最近とってもイライラとするんだ、叫びだしたくなるんだよ、これはガラメの魂が俺に伝わってきてるからにちがいない、ああガラメ、断食はどうした」
インダの守護霊はガラメの守護霊に言った。
「独り言をわたしに言うなよ。ってか言わなくても聞こえるがね。わたしの心だってそうは変わらないさ、なんてったって、二人は似ているからね、インダとガラメ、今ガメラって言いそうになっちゃった、ごめんごめん、ははははは」
「おい、守護霊がそんなことでいいと思っているのか?いいわけがないだろう、雑念が多いよ、君、インダを見習えよ、今はアイスのことしか頭にないようだ、実に純潔だ」
「なんでもいいが、ガラメは最近低級な電波に押し流されて苦しんでおるね、まあ身から出た錆ですけども、ね」
「おい、それが守護霊様の言うことか?そんなことは言われなくてもわかっている、低周波がびんびん届いてくるからね」
 ガラメは最近吸血鬼にまたまたハマッていた。吸血鬼ってかっこいいな、吸血鬼の恋人欲しいな、欲しい世欲しい世欲しい、吸血鬼なら堂々と家に引篭もっていられるのにな。吸血鬼って本当にいるのかな、暗黒組織、黒魔術、レプティリアンとかって本当にいるのかな、地下世界ってあるのかな、僕は何もわからないことばかりだ、ああ、苦しいよ、僕の脳内の干渉が悪魔を創り出しそうだ。呪いのオーロラが僕を鼓舞させる、嬉しいことだ、それは嬉しいことじゃないのかしら。
悪魔崇拝するなよ」
 虚ろな目の青白い顔をしたインダは授業中にそうぶつぶつと喋っている黒光りする目のガラメに向ってそう言った。インダを透かして西日の眩しい、僕はきっと吸血鬼に近くなってきてるはず。
「なんだよ、そんなのおめえに言う権利あんのかよ、資格あんのかよ、親に捨てられた親に必要とされなかった子供の癖に」そう言ったあとガラメは後悔した。
 インダは気にせずという顔をして前を見て授業の続きを聞いた。
 ガラメはいたたまれなくなって「先生」と手を挙げた。先生は「どうしたガラメ」と返したのでガラメは立ち上がって言った。
「先生、レプティリアンって本当にいるんですか」
 先生は顔色一つ変えずに即答した。
「いないよ」
 ガラメは剥きになって返した。
「なんでそんなこと言えるんですか、なんでわからないことをわからないと先生はおっしゃってくださらないんですか」
 先生は表情を微塵も崩さずまた即答した。
「あのなぁ、わからないことをわからないということが偉いことじゃないぞ、偉いのは、居て欲しくない存在はきっぱりと居ないと否定できる心の強さだ、いいか、わかるか、それがおまえに」
 ガラメは歯をギリギリいわして悔しそうな顔で言った。
「そんなの強さじゃないですよ、強さってそうゆうのじゃない、そんなのちっとも偉くない先生はきっと実際レプティリアンに遭遇しても、居ないって否定するんだ、きっとそうだ、先生はこの世界を信じていないんだ、目に見える世界を信じられないんだ、それが偉いって思ってるけれど、良く考えてみてくださいよ、そんなのってレプティリアンたちに失礼じゃありませんか、自分の見たくない世界は存在させてもあげないんですか、そんなのってレプティリアンたちが可哀相だ、彼らは、彼らが居て欲しいと願う人たちによって創造されたんです、現に、創造する、創造したい人間が居る以上彼らは居るんです、彼らは願われて存在するようになったんです、これは無からの創造です、先生は無からの創造を否定するのですか」
 すると先生は右の眉をヒクと微かに動かせて言った。
「先生は否定した物事がこの世に存在していないなどとは言っていない、だが、居てほしいと願いそれらを創り上げる存在が居て、居て欲しくないと願いそれらを殲滅する存在が居るのだよ、先生はただの後者に今在る、というだけだ、つまり先生の世界にはレプティリアンは存在しないよ、ということだ」
ガラメは悲しい顔をして言った。
「そんなのって卑怯だ卑怯だ卑怯だ、逃避だ逃避だ逃避だ、先生の世界は僕の世界でも在るんだ、僕の世界を独り占めするな、僕の世界を横取りするな、僕から世界を奪うなんて許せない許せない許せないよ、先生の馬鹿馬鹿馬鹿、僕の世界から先生を居なくしてやる、居なくなれ、僕の世界から、いなくなれいなくなれいなくなれ」
 ガラメは瞳孔を全開して口から泡を蟹のようにぶくぶく吹き出し獣のように叫んだ。先生は落ち着いた顔でガラメのもとへ走り寄るとガラメを負んぶして何もいわずに教室を走って出て行った。
 ガラメは先生の頭をこつこつ叩いた。骨の音がした。きっと先生の頭は空っぽなんだ、だからあんなこと言うんだ、先生の脳みそは枯れきってしまっているんだ、きっと振ったらしゃらしゃらと砂の流れる音がするんだ、ガラメはそう思いながら先生の頭を何度も何度も叩いた。先生は黙ったままガラメを負ぶって外を走り回った。
 いつまで走り回るのかと不安になったガラメは先生にたずねた。
「先生何故僕を背負いずっと走ってるのですか、僕は疲れてしまいました」
 疲れを知らないような先生はさわやかな息切れの合間に返事した。
「ガラメの世界から先生がいなくなるまで先生は走り続けるんだ、先生がいなくなればガラメは自分の足で歩くことができるぞ、さあ先生をほんとうにガラメの世界から消してしまいなさい」
 ガラメは先生の首筋に涙を落とした。ガラメは泣きながら「ごめんなさい」と言った。
「先生がいなくなったら嫌だよ」
 先生は大回りをして走り、教室へガラメを負ぶったまま戻った。ガラメの嬉しそうなけろっとした顔を見てインダは頭の後ろ側に冷たい闇が広がっていくのを感じた。胸が痛い、ガラメ、君は僕の欲しいものすべて壊しても笑ってる、何故なんだ、耳が篭る、死人の内臓を抱えて何故僕が生きてゆかなくてはならないのか、苦しいよ、生前に棄てられたかった。インダの心が余所行きから普段着に変わったとき、突如青い闇が夢からこぼれてきてインダの指先を青く染めた。インダはほかに救いを求めることが苦手な子供だった。為す術がなくインダはガタッと席を立ち上がると先生の顔を指差して堂々と言った。
レプティリアンがいたぞ!」教室内はざわざわとどよめきが起こった。何よりびっくりしたのはガラメだった。インダがとうとう狂っちまったぜ、ガラメはそう思っても先生ならいつものようになんとかできるに違いない、ガラメは隣に立っている先生の顔を見上げた。すると先生はいつもの先生らしくない狼狽した様子が見えた。まさか、先生がレプティリアン、そんな馬鹿な、ガラメは一瞬焦ったが気を取り直して冷静な表情を作りインダに向って言った。
「インダ、それって証拠とかあるのか、何を根拠にそう言えるんだ」
インダは自信満々の笑みをたたえて言った。
「僕、昨日の晩バンシェリ公園で見たんだ、先生が恐竜の目をして野良猫をとっつかまえて貪り食ってるところを!」
 教室内は悲鳴と歓喜の雄叫びの渦に巻き込まれ何人かは恐怖のあまり教室を出て行った。
 ガラメはびくびくとしながらもう一度先生の顔を見上げた。すると先生の顔は青ざめてまるで本当のレプティリアンのように緑がかってるようにも見えた。もともと細く吊り上った目は眼鏡の奥でもっと細められレプティリアンの赤い目を隠そうとしてるように感ぜられた。ガラメは信じられない思いで恐怖に怯えた。先生がレプティリアンだなんて、そんなこと、信じたくないよ、違うと否定してよ先生、そう思っても怖くて声が出なかった。
 そのときである、先生は突然大笑いをした、奈落の底から聞こえてくるような恐ろしい響きであった。そしていかにもレプティリアンのような爬虫類系の恐ろしいぎこちのない怪しい動きをして教卓の前までサササッと歩いてまた笑った。
「ガラメ、インダ、席に着きなさい」
そうかと思うと先生はぱっと顔を変えていつもの調子に戻ってそう言った。ガラメは血の気を引かせながらも席に戻り、立っていたインダも席に着いた。
「インダ、先生はそれを否定しない。何故なら先生は昨日の晩はひどく疲れていてずっと眠っていたんだよ、先生は自分では本当に覚えていないのだが、どうやら夢遊病らしい、昨日の晩も目が覚めると体中泥だらけでね、どこかを眠りながらさ迷い歩いていたのだろう。だから先生は否定しない。しかし記憶にないものだから肯定もしない、泥だらけではあったが、口の周りや寝巻きや手に血など付いていなかったよ、あとはみんなでよく考えて決めたらいいことだ、ははははははははっ」
 先生はとても楽観的な人なので、そう不気味にさわやかにも笑うと「さ、次の期末テストまでもう日がないから、要点だけ抑えておこうか」と言って授業にさくっと戻ってしまった。ガラメが窓際のインダを観るとその首はがくんとうな垂れ頭の頂点が机に引っ付きそうだった。誰よりも心の純粋なインダ、君の見たもの、僕は信じるよ、それに先生がレプティリアンだなんてなんだかすごいじゃないか、かっこいいよ絶対、僕は先生の言ったとおり信じたいものを信じることにするんだ、今日から、ああ、先生がどうかレプティリアンでありますように、愛情と慈悲深きレプティリアン先生であるように、ガラメは先生が黒板に何か書いてるときにそう手を組んで神に祈った。
 この様子を天におられる二人の守護霊たちはヒヤヒヤして見守っていた。
〈ぼくはいんだのいうことしんじるよ、ぼくもせんせいがれぷてぃりあんだとおもうよ、ううん、ぜったいそうさ、さっきめっちゃあおくなってみどりがかってもいたし、きみはだからうそをいってないよ〉ガラメはそうノートの端くれに書いて破ってインダの机の上にそっと置いた。インダはそれを読んで照れているのか、ガラメのほうを観ずに何か必死にノートに書き殴っていた。インダはガラメのことがますます大嫌いになった、もうぶっころしてやりたい気持ちにさえなった。ガラメはこれでインダは少し僕のこと好きになっちゃうんだろうな、と思ってにやにやとしていた。

 その晩、先生は寝る前に天におられる守護霊に祈った。まさかわたしがレプティリアンだなどと、そんなことはありませんよね、守護霊よ、わたしは恐ろしいのです、記憶にない時間、自分がどこを歩き、何をしているのか、わからないのです、皆目見当がつかない、一体どうしようか、もし、わたしがレプティリアンであったとしたらば、大変に大変です、野放しにしておけない、困ったことだな、誰かわたしを見張ってくれる人はおらないだろうかな、ああ困った、困ったぞ。天におられる先生の守護霊はそんな様子の先生を見守り、インダの守護霊に超感覚伝達法によって心の声を飛ばした。
「おい、インダの守護霊よ、ちょっといいですか」
 インダの守護霊はすぐさま返事した。
「はいはい、なんですかベルズィーの守護霊よ」
「あのさ、今日インダがあんなこと言ったじゃないですか、それでうちのベルズィーが恐ろしがってね、自分を見張ってくれる人を探してるんですよ、それでここはインダをその見張り役にしたらどうかと思うんですよ」
「いや、そんなこと言われなくともやります、ってかそうなりますよ、ご覧になってください、ほら、インダもう先生のうちへ向っている」
「あ、ほんとだ、インダはあれですね、第六感けっこう発達してますね、じゃあ見守るとしましょう」
「まあ地獄に毎日いるようなものですからね、嫌でも発達しますね、ええおとなしく見守りましょう」
 天高くから二人の守護霊が見護る中、インダは夜中にてくてくとその小さな足を運ばせ、先生の家に向って歩いていた。暗いものだから手持ちランプを持って来るべきだったのに忘れてしまい、何度も躓いて膝小僧を赤く擦り剥かせた。黒い物影に勢いよくぶつかったインダは地面に転びチカチカと瞬いているのは夜空の星たちか脳天の星たちか一瞬見紛うた。インダは起き上がり、いったい何とぶつかったのか暗闇のなか目を凝らしてじっと見た。するとそれは驚いたことに、今から会いにいこうとしていた先生その人の眠っているものだった。インダは恐ろしさを感じた。なにか得体の知れない亡霊と同じような存在に思えたからである。だって、本人は今ここを歩いているとわかっていない、では何が歩いているのか、何が先生を歩かせているのか、考えると身体は震え上がり、もう帰って寝たい気持ちに駆られた。しかし、今日の午後、インダ自身が発した言葉、あの言葉の真相を掴むまで居ても立ってもいられない。インダは何故じぶんが今日あんなことを言ったのかまるでわからなかった、思ってもいない言葉が口をつく、ということがあれのことか、とインダは思った。思っても見ないことが突然じぶんの口から発せられたのである。なんて恐ろしいのだろう。インダはそれだから余計に自分の目で見た以上に、その言葉が真実を物語っているように思えてならなかった。先生は本当にレプティリアンではないのか、そういう気持ちがふつふつうじゃうじゃと湧いて頭がレプティリアンでいっぱいになってしまった。寝ていられない、寝付けないのはいつものことだが、今夜はずっと何か違う、恐ろしくてならない、先生が寝ている僕を襲いに来るかもしれない、だからこうして寝ている先生を見張っていたほうがずっといいだろうと思ったのである。しかし実際眠ったまま闇のなかをさまよっている先生の姿をこの目で見、怖気がぞわぞわと上がって、インダは泣きそうな顔で見えない手に歩かされている先生の後を着けた。
 すると、ああ、なんてことだろう、バンシェリ公園にゆらゆらと入っていくではないか、インダは生唾をごくりと飲み恐怖を越えた好奇が芽を出し目をギラつかせて後を追った。
 先生は公園の奥深い茂みの中へと入っていった。インダも入っていき静かな月光が白く先生を照らしたときである。先生が寝巻きの懐から光るものを取り出した。インダの目にはそれが明らかに刃物であると映った。しかもその刃物で何かを跪いてガシガシとやっている、猫を殺しているのか?!やっぱりだ!先生はレプティリアンだったんだ、ここで夜な夜な野良猫を襲い食べていたんだ、なんてこった、僕たちみんな冷血残忍のレプティリアンを先生と敬っていたんだ。みんな騙されてる、僕たちもいつしか食べられてしまうぞ、えらいこっちゃ、みんなに知らせなくっちゃ、インダは一目散に走ってガラメの家に向った。
 ガラメの家はズタボロオンボロ家で、そのあまりの臭さと異様な外観から目をつぶってても匂いと低い波動でわかる。インダはガラメの家の戸を叩いた。ドンドンドンッ、ガラメッ、ガラメッ。少しして戸が気味の悪い音をたてて開いた。そこにはふやけたような顔のガラメが寝巻き姿で立っていた。
「インダ、インダじゃないか、どうしたのこんな夜更けに」
 ガラメは寝起きでよくわからなかったが、きっとインダは愛の告白を僕にしにきたんだ、と夢心地に思った。こんなに頬を恋する少女のように紅潮させている。
 インダを部屋の中に入れたガラメはそこでかくがくしかじかの話を聞いた。ガラメはそれを聞いて頭を悩ました。ってか、僕は、僕はそんな事実どうだっていいんだ、僕は事実関係なくインダのいうことを信じると言ってインダの心を僕のものにしようと企んでいるのに、どうしてわかってくれないんだインダ、真実がどうであっても僕が信じると言えば、それは真実以外の何物でもないんだ、もう先生はレプティリアンなんだよ、確実に、僕がそう決めたんだもの、誰にも口答えさせない、僕が信じるものだけが僕の世界に存在していて、あとは何一つ存在してなどいないんだ、そうゆう世界なんだよ、ここはインダ、ああなんっつったらいいんだ、これ、難しいなぁ。ガラメはじぶんが考えていることがあまりに複雑で言葉にすることの難しさをおぼえなんと説明したらよいのか困り果てた。先生にならあんなにきっちり言えたはずなのに何故インダの前だと僕は何も言えなくなるのだろう。これが愛なのか?
「なあガラメ、どうする?先生を、どうする?」
 インダはそう驚きのあまり黙りこくっていると見たガラメに向って目をきらきら耀かせて言った。
「どうするって、別にどうもしないけども、なに、インダは先生をどうにかしたいわけ?」
「あったりめえだろう、どうにかしなくっちゃ僕たち全員食べられちゃうんだぞ、いいの?食べられても」
 ガラメはうーんと唸って考えた。食べられたくはないけど、でも先生がレプティリアンなのは僕とインダの世界だけの話だからな、よその世界では先生はただの人間のはず、どうにかするってどうできると言うんだろう。
「インダはどうしたい?先生を」
インダはガラメが言い終わる前に嬉しそうに言った。
「殺すしかないよ!」
 ガラメは深刻な気持ちで思った、僕はたとえ先生が本当にレプティリアンであったとしても、殺したくないよ。愛しい人間を殺すのは、懲り懲りだよ。
「インダ、何故先生を殺すんだい」
 インダは拍子抜けした顔をして言った。
「何故って、だって先生を殺さなくては、僕たち食べられちゃうんだ、食べられたくはないよ、ガラメもそうだろう?」
 ガラメは腹の中にガスが溜まっているような顔をして「うう」と唸って言った。
「確かに食べられたくはないよ、僕だって、でも、でも先生のこと僕好きなんだ、インダは?」
 インダは悲しい顔をして言った。
「僕が好きなのは、僕を捨てたお父さんとお母さんだけ、一番大事な人が僕を好きじゃないのに、僕がほかの人を好きになれると思うかい?」
 ガラメは心の中が真っ白になった。ってことは僕のことも好きじゃないのか、なんだ、僕の早とちり馬鹿、糞野郎、僕の、この、死にぞこないめ。ガラメは自分への憎しみが募り、またイライラとしてきた。
「へえ、だったら話は早い、僕は先生を殺すものか、馬鹿、言っとくけど、先生はレプティリアンなんかじゃない、先生は歴としたヒトという生物だ、僕が証明してやるよ」
 インダはこのガラメの豹変振りには慣れっこでいたが、何度食わされても腹が立つ、そう言うならおまえらの世界に侮辱と恥辱と汚辱を御見舞いしてやる、そう思いクールな顔で言った。
「あ、そう、わかったよ、むしゃむしゃ食われてても絶対助けを呼んでやらないからね、それで全員食われて先生を僕が殺して僕だけ助かってやる、それで思う存分自分を思いっきし殺してやるんだ、いい気味だ」
 ガラメは歯軋りをギシギシしながら考えた。こうなった以上、明日から先生を見張って先生が絶対レプティリアンじゃないことをインダに見せ付けてやろう。漲る気力、ガラメはとても元気の湧いてくることに歓び、そして睡魔に襲われインダを家から追い出すと汚いベッドに倒れこんだ。
 インダは豚小屋みたいな家からそそくさと遠ざかるとがっかりしてガラメに呪いを馳せた。ガラメのすっとこどっこいを少しでも信用した僕が馬鹿だった、二度とこんな過ちは冒すものか。インダは今からでも先生のところへ戻って真偽のほどを確かめたかったが、ガラメと同様とんでもない眠りの魔に襲われ家に帰ってぐっすりと眠った。

 次の朝、目を覚ますとまたもや寝巻きがどろどろになっているのを見て先生は戦慄した。いくら楽観性を具えたわたしといえど、これはいかんともしがたい、昨夜は見張りが必要だと考えている間に気絶して眠ってしまったのか、なんたる手抜かり、今晩までに必ず見張り役を探そう。
 ガラメの守護霊はぐったりとして綿菓子状の雲に顎を乗せインダの守護霊に言った。
「ガラメの波動が突然変わったのでとてもしんどいんだ、当のガラメはあんなに元気にやっているというのに、どうしたことか、これは今までにない強烈な波動だ、バランスが悪い、しんどいなぁ」
 インダの守護霊はいつになく目を潤ませて言った。
「万事うまくゆく、ああ、わたしは嬉しいぞ、インダがあんなに生き生きと苦しんでおる、これで当分自決の心配はない」
 いつもの朝のように先生は温和で落ち着いている。インダには先生がレプティリアンにしか見えない。ガラメは今夜が待ち遠しくてならない、そわそわしすぎて貧乏揺すりが止まらない。インダは先生が本当にレプティリアンでみんな食べられちゃえばいいんだと思った。僕だけは食べられたくないけれども。先生はレプティリアン、僕がそう信じれば、先生はレプティリアンになる、僕が先生をレプティリアンにする、してみせる、そうだ、どっちが勝利するかだ、これは、僕の信じた世界が勝利するか、ガラメが信じた世界が勝利するか、どっちにしろ僕は死ぬけどな、だってどっちにしたって僕の苦しみは変わらないじゃないか。ガラメはそれをわかっちゃいないんだ、先生も。わからないことってなんて不潔で愚劣なんだ。わからないことが僕を絶望させるんだ、なんで親が僕を捨てたのかわからないことが、わかっていたなら、もうとっくに僕は死んでるのかもな、わからないことで今まで生きてたなんて、それでわからないことと一緒に死ぬって言うのか、嫌だいやだいやだ、わからないものと一緒に死ぬなんて、誰とも一緒になんて死にたくないのに、僕ひとりで死ねないのか、だから生きてるのか、なんでわからないんだ、わかってればわかってるものと一緒に死ぬだけじゃないか、どっちも反吐が出るぞ!先生がレプティリアンで僕を食い殺すにしても、なんで先生がレプティリアンなのかわからないんじゃ、わからないものに殺されるのもわからないものと一緒に死ぬのもたいして変わらないな、ああ気が狂いそうだ、いつものことだけど、わからなくもあるしわかることでもあることはないのか、気持ち悪いよそんなこと!くそっ、そうめん、くそもうしりとり終わった!頭の中にヘビがとぐろ巻いてるぞ。
「先生、インダが痙攣しています」
ガラメがそう言うと先生はインダのところに走ってきてインダを負ぶって何も言わずに教室から出て行こうとした。インダは先生の背中で痙攣しながらガラメを見て顎でくいっとやって「来い」という仕草をした。ガラメは先生に気づかれないように少し距離を置いて後を追った。
「先生、僕昨日の晩見ちゃったんだ、先生が眠りながら歩いてってバンシェリ公園に入って、そこでナイフで猫をザクザク切ってたんだよ、先生やっぱレプティリアンだよね」
 インダは痙攣が治まったのと同時にゆっくりと歩き出した先生の背中のぬくもりを感じながらそう言った。先生は少し間を置いて静かに言った。
「インダ、先生は信じたいものだけを信じると言ったのを憶えているか」
「はい、先生憶えています」
「先生は自分がレプティリアンだとは信じたくない、だから先生の世界では先生はレプティリアンではないよ、しかし大切なのはそこじゃなく、先生は別にレプティリアンでもいいんだ、人も動物も殺さないこの温和で慈悲深い優しい先生と同じ性格ならね、先生が信じたくないのは先生が猫を殺して食べているということだ、先生は菜食だから、それは断じて信じたくないことなんだ、だから先生は猫を殺していないという自分を信じる以外にない、よって先生の世界では先生は猫を殺して食べていない、どうだ、インダ」
 インダは先生のお日様のような白いシャツの匂いをくんくん嗅ぎながら言った。
「おっしゃりたいことはよくわかっています。僕もそのまま先生にお返ししたいのです。僕は先生が猫を殺す残虐なレプティリアンでなくてはならないと信じて、その世界を創ったのが僕ですから、先生はレプティリアン以外の何者でもないのです」
 すると先生は「そうだな」とあっさりと言ったっきり黙ってしまった。
 インダは先生が黙ってしまったことが寂しかった。あっさりとレプティリアンだと認めたようでつまらなかったし自分への無関心がそこにあるのではないかと疑った。
 インダは振り返るとそこにはガラメが阿呆面を下げてへこへこ歩いて着いて来ていた。インダはもっとガラメのときのようにとことん議論を続けて相手を否定し続ける姿勢を先生に望んだ。インダは自分を捨てた父親もこんな温かくて大きな背中をしていたのかと思い先生の背中に涙のしみを作った。
 先生の心はくずおれそうだった。先生は好きでこの仕事をやってはいなかった。先生は人間が苦手であり、また子供はもっと苦手だった。先生がこの仕事をやっているのは天におられる守護霊が先生にやれと言ったからにほかなかった。先生は好きな女に振り向いてもらえずヤケクソでこの仕事をやっていた。クラスの中で一番の純真なインダに自分がレプティリアンであると信じると言われ、議論好きの先生が脊髄を抜かれたような心持ちがしてその場に崩れそうになった。傷つきやすい子供と向き合うのは骨が折れる、自殺願望が強烈にある子供に言葉という自殺幇助をしかねない。そのとき先生を猛烈な逃避願望が襲った。
 インダはたくさん泣いて少しすっきりしていると先生から象のいびきみたいな音が聞こえてきて吃驚した。もしかして眠っている?そんなことってあるのだろうか、しかし頭はうな垂れて僕を支えている手も力がなくなっている。インダは振り返ってまだ阿呆面をしたままのガラメに向ってクイっと顎を動かし「近くに来い」のジェスチャーを行った。
 ガラメはハッとした表情になりキリッとした顔に戻って走ってきた。ガラメは鼾をかいている先生に驚いて、そおっと先生の顔を覗き込んだ。先生は目をつぶって歩いていた。ガラメは慌てふためいてジェスチャーで先生に指差して自分の目を瞑って、目をつむってる、というのをインダに伝えた。インダはこしょこしょ話をするように音の出ていない息だけの声でガラメに言った。
「よし、このままどこへいくのか、いっしょにいくぞ」
 ガラメは目を大きくしばたたかせ、うんうんうんっと首だけで頷いた。
 目も開いていないのによく歩けるものだ、先生はもしかして目ではない場所で見ているのだろうか、先生は普通に道路を渡るときは赤信号で止まり青信号で歩き出し、いくつもの角を曲がって先生の家の中へと入っていった。先生はインダを負ぶったまま、まず洗面所で手を洗い顔も洗い、便所へ入って用を足し、ベッドに座って煙草を一服した。それらをすべて鼾をかきながら行っているのだから恐ろしい。そしてベッドサイドテーブルに乗っかっていたノートをひらけるとペンを持って、何かを書くのかと思えば、止まったままで、少しして「インダ痙攣する、ガラメが知らせ、インダを負ぶって町の中を歩く」と書いた。その日あったことを忘れないように記してあるのだろうか、とインダとガラメは顔を見合わせて思った。先生がノートをテーブルに置くとガラメはそのノートを手にとって他のページを覗いてみた。そこには学校のことだけではなくその日帰りに何を買ったのか、とか、何を作って食べた、とか、何の映画を観て何の本を少し読んだ、など、どうでもいいような感想とともに事細かに記されていた。なんでこんなことをいちいち書き記しているのだろう、とガラメも首を伸ばして読んでいるインダも思った、すべてのページを隈なく読んで「猫を惨殺して食った、やっぱ雉猫の肉は美味い気がする」とかは何処にも書かれていなかった。先生はテーブルに肘を着いて少し止まっていると突然動き出して台所に立ち、ニンニクとピーマンとキャロットとオニオンを切って炒め、同時に湯を沸かしてパスタを放り込み、ケチャップと塩コショウと顆粒の昆布ダシで味付けしたナポリタンを作りテレビジョンをつけると目を瞑って鼾をかきながらそれを食べた。インダとガラメも横からフォークを持ってきてつまみ食いをした。先生は食べ終わって後片付けをするとまたベッドに座り、することがないなというふうにテーブルに肘を付いたりノートをまた開いては過去の日記を読んだりしていた。
「なあインダ、別にもう負ぶさってなくていいんじゃないの、先生重いだろう、降りろよ」
 そうガラメはこそこそ話をするように言った。インダは真顔で「だってこのほうが楽なんだもん」と甘えたがきんちょのように言った。インダはこの温かさをかつて味わったことがあるような気がして懐かしくて離れたくなかったのだった。
 天におられる三人の守護霊たちはこの様子を黙って観ていた。
 インダの守護霊とガラメの守護霊はベルズィーの守護霊に言った。
夢遊病
夢遊病、ね」
 ベルズィーの守護霊は黙っていた。
 先生は今度は聖書を静かに鼾をかきながら読み出したりと、いつまで経っても外へ出る気配がない、とうとうインダもガラメも疲れて先生のベッドに横になり「きっと出てくのは夜になってからだよ、夜じゃないと人がいて見つかるとヤバイだろう、だから今のうちに眠っておいたほうがいいな」とインダのその提案にそのままガラメは何気なく賛成して二人とも眠ってしまった。
 すると間もなくして先生は目を覚まし、眠っている二人を眺め、二人にタオルケットをかけてやると家を出てまた学校へ戻った。
 授業を終えると帰宅途中にスーパーに寄って食材と猫缶を三つ買って家に帰った。
 家に帰るとまだ二人はすやすやと眠っていた。先生はシャワーを浴びると大量の豆腐ハンバーグを作り始めた。そして出来上がると二人を揺り起こし言った。
「ご飯ができたぞ、さあ顔を洗ってから食べなさい」二人は顔を見合し驚いた。二人は顔を洗って席に着くと「いただきます」と言って豆腐ハンバーグを食べ始めた。
「先生、今日」とインダが言いかけると先生はすかさず言った。
「今日は二人とも泊まって行きなさい、先生は地べたにマットを敷いて寝るから、明日は学校休みだしな、先生もぐっすり眠りたいよ」
 さっきぐっすり寝てたけど・・・・・・とインダは思ったが言わなかった。寝てるのに身体は行動してるって疲れるのかなと思った。
 ガラメはまたインダの横で眠れると思うとにやにやが止まらなかったが、そうだ、僕は先生がレプティリアンじゃないってことをインダに証明することをするために今日の僕がいるんだった、と思い出し、顔を引き締めて豆腐バーグを頬張った。先生はビールをたくさん飲んでご機嫌だった。
「先生は酔ったぞ、先生寝るけど、風呂に入るなりなんなり好きにしなさい、眠れないなら映画でも観るか、いろいろあるから、そこ、その戸棚の中な、15禁から20禁のやつは観るなよ、裏にちゃんと書いてあるから、んじゃおやすみ」
「おやすみなさい先生」
「それってイヤラシイ・・・あ、おやすみなさい先生」
 インダとガラメに見守られて先生はまた鼾をかいて眠った。
 二人は早速戸棚の中から20禁のものだけを選び抜き、風呂は後回しにして何を最初に見るか話し合った。
 二本立ての二本目の中盤あたりで疲労を感じた二人はベッドにごろんと横になった。先生まだ動き出さないね、今日は昼間に夢遊したから夜中は寝っぱなしかもな、そうガラメが言うとインダも「うん」と言って難しい映画の内容が頭に入ってこなくなった。
「眠いよガラメ、少し寝たい」インダがそう言うとガラメは「いいよ」と返事した。
「僕が見張ってるよ、起き上がれば起こすから寝てなよ」
 インダは甘えて「うん、僕が起きたらガラメが寝ていいから、交互に見張ろう」と言うと目を瞑った。
 ガラメはコーヒーを淹れて映画をだいぶ巻き戻して観た。
 時計の針が3時を回った頃、先生は起き出した。目をつぶって鼾をかいたままだ、夢遊状態、ガラメは急いでインダを揺さぶって起こした。
 先生は眠っているというのに銀縁眼鏡をかけ、かけた眼鏡を置いて洗面所へ行って顔を洗い出した。便所へ行ってから、寝巻きを脱いで白いシャツとカーキ色のカーゴパンツに着替えだした。そしてインダとガラメははっきりと見た。先生が折りたたみナイフと猫缶を三つカーゴパンツのでかいポケットに仕舞うのを。先生は外へ出た、その後ろをインダとガラメは着けた。
 先生は脇目も振らずにまっすぐにバンシェリ公園へと向かい、その中へと入っていった。二人は無言だった。雑木の暗がりの中を先生は頭を垂れて歩いてゆく。そして月明かりが先生の手元を明るく照らす。先生は背を丸めてその場に蹲ると折りたたみナイフをポケットから出してそれで猫缶の蓋をザクザクと切って蓋を開けた。野良猫たちがニャアと鳴いて馴れ馴れしく先生のところへ寄ってきた。先生は猫缶を猫たちに与えている。そして隙を狙って猫をナイフで一突き、フギャアと叫んだ猫の腹を切り裂き内臓から貪り食らう。ほら見ろよ、先生、レプティリアンだったろ、って世界は誰も信じなかった。誰一人その世界を信じなかったから、その世界が何処にも存在しなかった。インダの目には先生はただ猫缶を与えていた腹を空かした野良猫たちに、ガラメの目には先生は好きな女にも相手にしてもらえず一人で暮らすのが寂しいから野良猫をああしておびき寄せて隙あらば連れて帰ろうとしているとしか映らない、先生は、先生は眠っている、眠っているから何もわからないし知らないんだ、先生の目が見開いて真っ赤だとか、先生は本当はレプティリアンじゃなくて吸血鬼だったとか、そんなことも誰も信じないから、存在しないよ、誰の中にも。だって僕ら見たいものしか見えないんだ、そうだよねガラメ。
 インダ、僕の信じたいインダ、僕の信じたいインダがそう言っている。それ以外の世界が何処にも存在しない。他の世界では、インダは先生に向ってって先生に食い殺されて、でも吸血鬼となって生き返り、インダは僕を今度は食い殺し、僕も吸血鬼になったなんて世界があるかもしれないね、でも僕はそんな世界信じていないから、僕の世界じゃないよ、僕が信じるこの実在の世界では明日からも毎日僕とインダはただのヒトである先生の居る学校に通う、何故ならここは信じない以上実在しないという世界だから、幻を信じるなんて、馬鹿げているだろう?僕が創りだした世界を僕は信じない。幻を信じないなんて、馬鹿げているだろう?信じた世界しか信じないなんて、馬鹿げているさ。そうだろうインダ。
 ああほんとだ、僕は先生も自分も殺さずに済んだ、血が欲しいよ、ただ、生き血が欲しいよ、ガラメ。
 僕もだインダ、でもなんにも信じちゃいないんだ。この欲望も感触も。絶望も希望も。何一つ、ここには存在していないんだ。
 ふと光を負った闇は曇り空で、何処にも存在しない世界が三人の前にあった。