これを犯したのは、だれなのか

深夜零時半、ひとりの少女が、人けのない路肩を歩いている。

この少女は、何を考えているのか。

その顔は、何かに怯えているようにも見える。

その顔は、何かを待ち望んでいるようにも見える。

ほんの一瞬、目を離した隙に、少女が味わったものを。

それは目の前で今起きている。

誰かが糸を切ったんだ。

天から繋がれた糸を、誰かが切ったんだ。

脚が頭の上に載って腕は胴体の下にある。

それらは六つの個の生物のように地面の上でのたうっている。

断末魔の苦しみにたった独りで、誰もいないこの場所で。

少女は見開いた目で涎を垂らし、自分を包む闇を見つめている。

此処に、自分以外の誰もいないことを知る。

数日間の後、 少女は自分の切断された頭を切断された両腕で抱いて死ぬ。

遠くまで、独りでのたうった胴体の性器からは、血が流れている。

両脚は暗い森のなかに走り去り、見えなくなる。

それらはすぐに死んで腐敗し、数十年の後、 みずから永遠に忘れ去られる地として、封印する。

それから、数千年後。

一人の母が、この地に辿り着く。

この時初めて、母は此処に起きたことを知る。

それは今、此処に自分の目の前で起きている。

母は自分を産み落とす前に殺した娘に向かって、 呪うような低い声で喘ぎながら一つの言葉を吐き捨てる。

『これを犯したのは、だれなのか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肉塊

俺はこの先も、人間を愛するだろう。

愛するほど、その者を殺したくなるだろう。

俺は目に見える。

正面に美しい君がいてその顏面にショットガンの銃口を突きつける。

真っ赤な蓮の花のように散らばる肉片、醜い肉の塊。

それが君のすべてであるし俺のすべてなんだ。

これ以上の美しさなど、どこにもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Gang Gang Dance - Lotus (Official Audio)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灰の馬

そこには神が燃えていた。

だがよく見ると、それは街であった。

暗黒の夜に静かに、街が燃えていた。

煌々と燃え盛る炎のなかで、馬の嘶く声が聴こえていた。

馬は蒼褪め、死者のような色をして街の広場で燃えていた。

傍には涸れたみずうみがあった。

この近くの教会で式を挙げた夫婦が翌朝、この水辺で死んでいた。

真っ白な婚礼衣装が真っ赤に染まってゆく過程を堕ちた者が眺めた。

白布の裂け目から、息子は降りて行った。

壁も床も椅子も幕も血の様に赤い劇場で今夜の劇が始まる。

息子は黒い帽子と黒いマントを脱いで正面の中央に座った。

幕が静かに開くと一人の老人が真ん中に立ち、複雑な表情でこちらを見詰めている。

舞台の奥には、一つの街が燃えている。

息子は煙草を一つ吹かすと足を組み、膝に頬杖をついて目を瞑る。

すると一頭の馬の嘶く声が聴こえてくる。

嘶いたあと、馬は凍ったみずうみの上を駆ける。

白い、まだ若い馬だ。

息子は目を閉じながら、両手両脚で馬の駆ける真似をする。

そして馬のように嘶き、煙草をもう一本口に咥えると頭を勢いよく振り両手を高く上げて背を反らし、両脚で立ち上がった。

そっと目を開ける。

老人の姿は消えて舞台の奥に涸れたみずうみがある。

息子はもう一度目を閉じる。

涸れたみずうみの真ん中に一本の巨大な水柱が湧き立ち、その天辺に火がともる。

火はろうそくの蝋のように垂れ落ち、涸れた地を伝って家々に火をつけてゆく。

息子は目を見開き煙草を渇いた地に打ち棄てると狂喜乱舞して火の街のなかを馬のように駆けてゆく。

燃え盛る息子の目のなかに、一頭の蒼褪めた馬が子を亡くした親のように首を垂れて、ただそこに立っている。

すべてが燃え尽きるまで、ただそこに立ち尽くしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エリヤの火

右の手にはイエス、左の手には洗礼者ヨハネが立つ。
どちらが本物の救世主、エリヤだと想う?
天はかしら。
爪先は温泉に浸かっている。
腹には死が宿っている。
彼女が産むのは誰なのか。
産みの聖母よ、貴女は誰の子を産むつもりか。
子宮のような洞窟で、男が詩を読んでいる。
医者から持ってあと半年だと言われ、この地に遣ってきた。
男は誰かに話し掛けるように話し出す。
子が、親の年までも生きないで死ぬのは、どれ程の罪か、考えたことはあるかい?
死者を救う方法は一つしかない。
我が魂を灰と見なし、これに火をつけて燃え上がらせる。
これを心から信じ続ける者だけが死者を救える。
その魂だけが、燃え尽きることはない。
その魂は燃え続け、そして太陽となった。
彼がいなかったなら、この世は永遠に闇のなかだった。
だれのことも、人は愛せなかっただろう。
彼はこの世を救ったと想うかい?
彼がいなければ、すべての生命は凍え続けて生きなければならなかった。
生まれてから死ぬまで、ずっと拷問の日々さ。
彼は、真にこの世を救った。
今もずっとずっと燃え続け、燃え尽きる日まで、彼はぼくたちを照らしてくれる。
そして彼が燃え尽きたあとには灰の雪が降り続け、生命は彼の灰を食べて生きていかなくてはならないだろう。
何故ならそれしか、ぼくたちが生きてゆく方法は最早ないからだ。
彼はエリヤだった。
再び、この地を救うため、彼は一本の小さなろうそくを手に、此処へ降り立つ。
洞窟のなかはあまりに寒く、男は読んでいた詩集を一枚一枚破ってそれを燃やす。
神は燃え上がり、言葉は灰となる。
だが男はすべての詩を、憶えている。
何度も何度も、同じことを繰り返し、その都度、苦しみ、悲しみ嘆いて来たからだ。
エスは母の水のなかで、豆粒のように小さかったときから受難の日について想い煩う。
このときから、イエスはずっと父に祈り続ける。
どうか堪えられるものだけをわたしにお与えください。
堪えられないのならば、どうかこの杯をわたしのまえから去らせてください。
エスは洗礼を受ける日、洗礼者ヨハネに尋ねた。
あなたはエリヤではありませんか?
ヨハネはイエスに答えた。
いいえ、わたしはエリヤではありません。
男は火から、ちょうどよく離れた場所でその暖かさに微睡んでいる。
ほんのすこし近づけば燃えるように熱く、ほんのすこし離れれば凍えるように寒い。
エスはすこし呆れた顔をしてヨハネに言った。
あなたはエリヤです。
あなたこそが、エリヤなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

nostalgia

男は洞窟のなかで酒の入ったカップを手に、一人の幼い少女に話し掛ける。
季節は真冬だというのに足は脛まで水に浸かりながら。

聴いてくれ。
一人の愚かな男が、たった一つの救いをそこに見つける。
なんだと想う?
男は見つけたんだ。やっとそれを。
泥沼のなかにね。
男は一人の男を助ける。
彼は泥沼のなかで、苦痛の表情に顔を歪めていた。
今すぐ助けが必要なんだ。
でもこれは命懸けだぞ。
男は自分に問い掛ける。
いいのか。
俺はこれで死ぬかも知れない。
泥沼の底で、息もできなくて男と共に死んでしまうかも知れない。
失敗は許されない。
だが男がそんなことを考えている間に目の前の男は今にも死にそうな顔をしている。
嗚呼、これはまったく、時間がない...
目の前でこの男は、まるで俺を呪うかのように死んでゆこうとしている。
此処で俺が助けなかったら、間違いなくこの男は俺の目の前で死ぬだろう。
そしてそれから俺はどうするだろうか。
想像もできない。
俺はそんなのは堪えられない。
『何故助けなかった?』という呪詛が一秒毎にこの頭蓋の底に鳴り響く日々を死ぬまで生きなくてはならない人生など。
だから俺はこの男を助ける以外に方法はないということだ。
男は笑った。そうと決まれば...
そして泥沼のなかへと足を踏入れ、男を肩に担いで岸辺まで無事に上がってきた。
息も絶え絶えさ。
二人の男は岸辺に倒れ込み、暗がりのなかに身動き一つしなかった。
夜が明けようとする頃、一人の男が言った。
何の真似だ?
男は怒りに打ち震え、涙を流しながら言った。
俺はお前を助けようとしたんだぞ。
命懸けで。
なのにお前は...お前は...

一人の男はそこから立ち上がると男を置いて暗がりに見えなくなった。
残された男は美しい一羽の白い鳩の姿となり、天に向かって飛び去った。
彼は天のみ使いだったんだ。
男はそしてまた泥沼に舞い戻ってきた。
泥沼のみなもから、いつものように地上を眺め続ける。
今度こそ、今度こそ、必ず、俺は人を助ける。
命を棄てて...
だが男を助けようとする者は天使ばかりだった。
男はだれひとり救えず、独りでこの沼底で死ぬんだ。
天使以外の誰も、この男の死を悲しまなかった。
ずっと泥沼のなかで暮らしてきたからさ。
誰も知らなかったんだ。
この男の存在を。
この男は死んだあとも今でもずっと夢を見ている。
自分の魂を捨ててでも、人を救う夢を。
自分を救おうとする者が、自分が救う者であるのだと今も決して疑わない。
でも天使は知っている。
この男を命を懸けてでも救おうとする者は、既に救われているのだと。
彼はだれひとり救えない。
一人の男が今夜も、この真っ暗な沼底を眺めている。
そして呟く。
必ず、お前を救ってやるから、待ってろ。
そうさお前の為ならこの魂だって、惜しくない。
二人の男はそうして見つめあっている。
誰もが、自分を犠牲にしてでも見知らぬ相手を本当に助けようとする瞬間、白い鳩となって羽ばたく。
終末が見えるんだ。
すべてが白い鳩となって羽ばたいてゆく。

天から降ってきた一つの羽毛の羽根を一人の男が拾い、それをコートのポケットに入れる。
男は死が近い。
だから今こうして、男は母親に向かってこんな話をしているんだ。
なんだかとりとめもない話だとは想わないかい?

男はそう言うと、悲しげな顔で微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」に寄せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノスタルジア

男は微笑み、そこに見える幼い少女に向かって話し掛ける。
面白い話をしてあげよう。
独りの死に至る病の男が、或る夜、 酒に酔って泥沼のなかにはまってその底で眠ってしまう。
すると一人の孤独な悲しい女がその男を見つけ、助けようとする。
沼の岸辺で力尽き、 女が苦しんで息をしていると男が眠りから目を醒ましてこう言う。
これは一体何の真似だ?
ぼくは沼底にずっと住んでいたんだ。
男は言い終わると同時に声を出して笑い始めた。
男は笑いながら続けた。
ぼくを救うとはすなわち、 ぼくをまた地獄へと舞い戻すということか。
止してくれ。
男は急にまともな顔をする。
ぼくはやっと此処に、この故郷に辿り着いたんだ。
このまま、ぼくは此処で死ぬだろう。
女はそんな男を絶え絶えの息で見つめることしかしない。
男は酔いからすこし醒め、女にこう言う。
悪いが水を一杯汲んできてくれないか。
泥まみれの女は重いからだを起こし、 そして立ち上がると男を見下ろし言う。
今すぐ汲んできますから、待っていてください。
男は力なく答えて目を瞑る。
悪い。
だが女がその場から離れようとすると男は荒い息を吐きながら叫ぶ 。
待ってくれ!
ぼくはもうすぐ死ぬ。
此処で独りで死ぬんだ。
だれもいなくなったこの故郷の沼の底で。
だれが、だれが此処に居たと想う?
ぼくをほんとうの独りに。
だから此処へ帰ってきた。
何故わかる?
ほんとうに帰る家があるとでも?
それはぼくが居る場所か。
置いて行かないでくれ...
ぼくが堪えられるのならば、行って、 二度と戻って来ないと約束してほしい。
これ以上の、独りになるのは、信じがたい。
彼はぼくに教えてはくれない。
老いた牛のように、水辺に立ち、それはぼくを見つめる。
助ける方法は知っている。
だが決して助けてはならない。
彼の苦しみに比べれば、ぼくの苦しみはないに等しい。
ぼくの家は、遥かに遠い。
では此処は何処なのか。
ほくを憐れむ者はもはや消え去り、過去を望む者もいない。
彼女はその家で飼っていた鳥を家から出し、足を切り、 鳥は飛び続けることしかできない。
死の淵に降り立つことさえ叶わず、死も越え、 どこまでも飛び続ける。
暗い、だれもいない安らげる洞窟を見つける。
でもそこで羽根を休めることもできない。
この中を、廻り続けて飛び続けるなら、 いつの日か目を回して墜落し、 もう二度と目を覚まさないことがあるだろうか。
廻り続けるうち、陽の光がどんなものであったかを忘れる。
暖かさを忘れ、冷たさを忘れ、それを想いだそうともしない。
そうださっきまで、ぼくは酷く喉が渇いていたはずなのに、 今はそれを想いだすこともない。
苦しみを忘れ去り、安らかなるすべてを忘れ去り、 如何なる死も幻想も、此処から立ち去った。
彼女は我が子を家から追い出し、子は悲しみに足を切り、地の底にみずから堕ちる。
地の底を這うように、飛び続ける。
霧が深く、顔が見えない。
自分の顔も。
忘れてしまった。
ひとつ残らず、羽根は折れ、骨はその身体中に突き刺さり、 それでも飛び続ける。
これでこの地の底に、白い羽毛の雪は降り止むことはないだろう。
彼女は安心し、 落下するように降り続ける我が子たちを愛で続ける。
我がノスタルジア
そこへ降り立つ。
我が故郷に、それは降り止むことはない。
それが降り立つ日まで。

 

 

 

 

 

 


我が愛するアンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』に寄せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜明け前の声

今日で父が死んでから15年が過ぎた。

毎年、この命日に父に対する想いを綴ってきた。

人間が、最愛の人を喪った悲しみが時間と共に癒えてゆくというのはどうやら嘘であるようだ。

時間が過ぎて、父を喪った日から遠ざかってゆくほど喪失感は深まり、この世界はどんどん悲しい世界として沈んでゆく。

それはわたしがだんだん孤立して孤独になって来ているからかもしれない。

父の死と向き合う余裕さえないほど、日々は悲しく苦しい。

ここ最近毎晩、赤ワインを必ずグラスに6杯以上寝床に倒れ込むまで飲んで寝る。

胃腸の具合も最悪で歯もぼろぼろになって来ている。

こんな状態を続けていたら母の享年44歳までも生きられそうもない。

亡き最愛の父に対して、特に今は言いたいことは何もない。

もし父に再会できないのなら、わたしはまったく生きている意味も価値もない。

もしできることなら、タイムスリップしてこの気持ちを父に伝えて父を悲しませられるならどんなに喜ばしいだろうと想う。

父はわたしの為にもっと悲しむべきだった。

わたしがどれほどお父さんの為に悲しんできたか、それをお父さんは知るべきだ。

今も必ずどこかで生きているはずなのだから。

父は突然容態が急変した死ぬ一週間前に麻酔を打たれて眠らされた。

麻酔が打たれ、集中治療室のドアが開かれて、そこで眠っていた父の姿は、生きている人だとはとても想えなかった。

無理矢理人工呼吸器を喉の奥につける為、歯が何本と折れ、口の周りには血がついていた。

あとで折れた何本かの歯は肺に入ったと半笑いで若い女医から聞かされた。

喉には穴が開けられそこに人工呼吸器が取り付けられ、眼は半開きで髪はぼさぼさの状態でベッドの上に父は寝ていた。

無機質な白い空間のなかで冷たい器具に囲まれ、父は何度もそれから死ぬまでの一週間、肺から痰を吸引する時に鼻から管を通す際、必ず麻酔から少し醒めては苦しそうに呼吸した。

それでも一度も意思疎通はできずにそのまま父はあっけなく死んだ。

その間の父の肉体的苦痛と死を想っては、わたしは精神的な地獄のなかにいた。

もしかしたらあの一週間の間、拷問的な苦痛が父を襲っていたのかもしれない。

でもわたしたちは側にいても何もしてやれなかった。

姉と交代で集中治療室の父の側で眠る日々の絶望的な地獄の時間を想いだす。

父が側で拷問を受けているかもしれないのに、わたしはそれをやめろとも言えなかった。

ただ側で眺めて、苦しんで涙を流すしかできなかった。

一週間後に死ぬことがわかっていたなら、あんな苦しい目に合わせずに済んだと。

後悔してもしきれない。

何のために父があれほど苦しまねばならなかったのか。

何のために母は全身を癌に冒され死んでゆかねばならなかったのか。

今ではそんな疑問も持つことはない。

わたしたち人間のほとんどは、それを与えられるに値する罪びとだとわかってからは。

言い訳をすることすらできない。

いったい神に対してどんな言い訳ができるだろう?

何年か前に見た映像の屠殺された後の牛の血だらけの頭が、父に見えてしまったことは本当なんだ。

何故わたしたち人間は、それを回避できるだろう?

何故わたしたち人間は、安らかな死を許されるだろう?

何故わたしたち家族は、この死ぬ迄消えない苦しみについて、神に対して苦情を申し立てることができるだろう?

わたしたちのほとんどはまるで幼子の様に善悪を分別することすらできていない。

人類に耐え難い苦しみが終らないのは、人類が動物たちに耐え難い苦しみを与え続けているからなんだ。

堪えられる苦痛ならば、自ら命を絶つ必要もない。

堪えられないから自ら命を絶った人たちのすべてがわたしたちの犠牲者なんだ。

何故わたしたちがのうのうと楽に生きて死んでゆくことが許されるだろう?

神が存在するのならば、わたしたちのすべてはすべての存在の為に犠牲となって死ぬ世界であるはずだ。

安楽の人生と安楽の死を求めることをやめてほしい。

きっと求めるほど、罪は重くなり地獄に突き落とされるからだ。

楽園を求める者、弥勒の世を求める者は今すぐ耐え難い者たちを救う為に立ち上がって欲しい。

最早、父の死を悲しんでもいられないほど、深刻な時代だ。

ナチスホロコーストが、20年以内に日本でも起きるかもしれない。

数10年以内に、肉食という大罪により、人類は第三次世界大戦と世界的な飢餓と水不足と大量殺戮と人肉食と大量絶滅を経験するかもしれない。

人類はいつまでも幼子でいるわけには行かない。

夜明け前はもっとも暗い。

わたしたちはすべて、受難への道を進んでいる。

それがどれほど苦しいことなのか、想像することもできない。

世界の家畜頭数はFAOの2014年データによると、

  • 世界の人口は73億人
  • 牛は14.7億頭
  • 豚は9.9億頭
  • 羊は12.0億頭
  • 山羊は10.1億頭
  • 水牛、馬、ロバ、ラバ、ラクダなど大きな家畜を含めると合計して50.0億頭
  • 鶏は214.1億羽

世界の人口の4分の1は15歳未満の子供であるので、世界全体で、だいたい大人1人当たり、約1頭家畜を飼っていることとなる。

また鶏は採卵鶏あるいはブロイラー等として214.1億羽飼養されているので、人口1人当たりでは、2.9羽飼っていることとなる。

鶏以外のすべての四肢動物は人間の3歳児ほどの知能があり、同じほどの痛覚を持っているとされている。

3歳児の痛覚と、成人の痛覚はどれほど違うものなのだろうか?

 

すべての人類の罪を、すべての人類によって分けて償ってゆく必要がある。

楽園は存在しない。

でも救いは必ず存在する。

殺されゆくすべての動物たちはわたしの父であり、母である。

夜明け前、わたしは一本の蝋燭に火をつけ、寝椅子に座り目を瞑った。

そして禁じられた夢の最中にわたしの名を呼ぶ大きく響く声で目が醒めた。

『こず恵』

その声はお父さんとお母さんの声の合わさった声だった。