バルティモアの夜

「嵐の最中、避雷針にくくりつけられているのに、何も起こりはしないと信じきって生きている、そんな感じの毎日だった。」(コルタサル短篇集「追い求める男」P121)

 

激しい運動や普通の性行為などでも心臓発作のリスクが大変高く死の危険性がある為、死にたくなければ、避けてください。
そうわたしが医者に警告されたのは二十歳の春の日の午後でした。
それが原因なのかどうかもわかりませんが、二十歳を過ぎても女性との性行為自体に願望を持つことがありませんでした。
性欲は普通にあったものの、医者に警告された”性行為”には当然、一人で行なう性行為も入っている為、自ら性欲を処理するということもなくなりました。
下着の不快な浸潤の感覚で目が覚める度、わたしは想うのでした。
例え死ぬとしてもセックスしたいと想えるほど愛する女性が一人もいないこの世界は、絶望的であると。
ほんの些細な出来事でも激しく鼓動を打ち続け、胸が痛くなるほどのこの弱い心臓で生き延びることは緩やかな死であることを感じて生きてきました。
そしてわたしにとって女性との性行為は、”完全なる死”を意味していました。
しかし例え本当に死にたくなったときでも、腹上死を自らしようなどとは想わないでしょう。
ましてや愛する女性との行為の最中に死ぬことは、何よりの恐怖でした。
その恐怖を初めて覚えたのは、わたしが三十歳を過ぎた春の日の午後でした。

あの日の夜、わたしは偶然にか必然にか手に入れたジャズコンサートのチケットを持って、地下鉄に乗り、バルティモアで降りて、小さなパリの田舎の芝居小屋のようなライヴハウスの中にいました。
脂肪をまるで今まで経験してきた絶望のように蓄えた黒人の男が、一心不乱に汗を飛び散らせながらサックスを演奏していました。
耳を傾けるコンサートというよりも、一人の男の存在としての苦労をこれでもかと言わんばかりに見せ付けられて目を離そうにも離すことが苦しくなるといったライヴで、時間を忘れ、わたしは忙然と聴衆たちのなかで突っ立っていました。
自分の苦労は、目の前の男の演奏を観続けていると、些細なことのように想えてきて、それは解放よりも苦痛の感覚であり、それでいて嫉妬よりも憧れに似た賞賛を男に向けることでどうにか救われようとしました。
どれくらい時間が経ったかもわからず、狭い小屋に観衆の群れの異様な熱気も続いて朦朧としていた時、わたしの左手を、冷たく濡れた生身が握ったのです。
わたしは倒れるかもしれないというくらいの半覚醒な中に、その生身を振り返ることなくじっと目を瞑って夢想しました。
冷たく汗ばんだわたしの左手を握り緊めるその小さな手は、彼女の手だろう。
その小さな手は握り締めたあとにわたしの指の間に細い指を絡ませてきました。
そのあとには酷く焦燥的な動きでわたしの左掌のなかを汗で粘膜の分泌液を伴ったぬるついた掌や指で擦るように絡み付いてくるのでした。
わたしは我を忘れるほど欲情して興奮し、これはまるで、彼女の右手という女性器とわたしの左手という男性器が粘液を分泌しながら擦れ合っているような、手と手だけで完全なセックスを行なっているようだとどうにもならない底のない真っ暗な穴の中から溢れ出て止まらない存在の疼きを激しく感じて、わたしはつい、目を開けてわたしの左に突っ立っていた彼女の手をそのまま強く引っ張って、外の薄暗い廊下に出ました。
わたしは廊下で彼女を”彼女”であると確かめる瞬間に、激しくキスをしようと身体で要求しましたが彼女はそれを拒んで落ち着いた顔でわたしに言いました。
「ぼくの勝ちだ。きみが今夜必ずここに来るって、賭けてたんだ」
わたしはその言葉と、彼女の冷静な素振りにショックを受け、言葉が出ませんでした。
”あれ”は確かにわたしにとって、彼女との性行為以外の何ものでもなく、わたしは死ぬ覚悟で彼女の手と手だけのセックスの欲求に応えたのです。
しかし彼女の目をよく見ると、その目は焦点が定まらないほどに酔い潰れているだろうことがわかり、彼女のことが心配になって応えました。
「あなたが置き忘れて行ったチケットは、わたしへの誘いだったのですか?」
三日前の夜のことだった。彼女はわたしがウェイターとして働くカフェのいつもの席のテーブルの上に、未完成の詩が書かれた紙片一つと今夜のジャズコンサートのチケットを置き忘れて帰った。
それは詩なのか、わたしへの問いなのか、わからない言葉だった。

きみは希望をあてにして生きる男だとはぼくは想わない
でもきみは希望をあてにしてその希望に縋る男だろうか
春に芽吹いた芽は秋に地に落ちて実をつけることもしない
それでも神は最初から最期まで心をときめかせている
ぼくは希望をあてにして生きる男など全く惹かれない
ぼくは次にあの店に入ったならば、必ず長芋を
買って帰るだろうそしてムチンと共にフコイダンもあてに
水雲(もずく)もきっと買って帰るのだろう
でもそれをきみに…

という詩のような続きの気になる言葉を書き連ねた紙片と一緒に。
彼女は少しの間のあとに、わたしにこう返しました。
「言っただろう?試したんだ。きみを。きみがもしここへ来たなら、きみを誘惑して、きみがどう出るか知ろうと想った」
わたしは彼女が泥酔しているからふざけてこんな想ってもいないことをわたしに言うのか、それとも普段からの冷静な計画であったのかを知りたいと感じました。
「ともかく、あなたは酷く酔っているようなので、どこかで休んだほうが良いです」
わたしがそう言うと彼女は薄く笑みを浮かべてこう応えました。
「もしかしてもう冷めた?さっきまであんなに興奮してたのに。良かったら、ここのトイレかグラウンドでしない?」
わたしは興奮がまたよみがえってきて彼女の目の奥を見つめ、また馬鹿にされているのだろうかと訝りました。
「トイレかグラウンドで…一体何をするのですか?」
彼女は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてはにかんで言いました。
「きみが求めていることだよ」

わたしはあのとき彼女のように酔ってもいなかったのに、興奮でまた我を忘れたのかその後の記憶が錯綜して、空間的なものをはっきりと想いだすことができません。
わたしは実際にトイレか、グラウンドの真ん中か、どちらで彼女を抱いたかを想いだせないのです。
どちらも妄想してみると、とても現実的に想えてきます。
もしかすると「トイレ」と「グラウンド」の両方で彼女を抱きたい願望に押し流されるようにしてわたしは両方の場所で彼女を求めたのかもしれません。
はっきりと憶えていることは、わたしは特にあの瞬間、本当に”死”を感じながら彼女の内部にわたしのすべてを吐き出したような感覚になったことです。
彼女は星空の下でわたしの死を受け取ったのかもしれませんし、無機質な冷たく狭い空間のなかでわたしの死を感じたかもしれません。
わたしはあのとき隠していることが苦しくて素直に彼女に言ったのです。
「貴女とのセックスの最中に、わたしは死ぬかもしれません」と。
彼女はわたしの心臓の弱さを心配しましたが、わたしが死ぬとしても、彼女はわたしを拒みはしなかった。
わたしが死ぬとしても、彼女はわたしとのセックスを優先してくれたのです。
わたしはそのことが、わたしにとってどのようなことであり、彼女にとってどのようなことであるのか、未だにわかりません。
彼女は何度と、わたしに求め、わたしも何度と彼女に”死に至る危険性のある行為”を狂おしいほど求め続けてきました。
わたしは彼女が、わたしに求めるとき、それはわたしの死を求めているのか、わたしが彼女に求めるときそれはわたしがわたしの死を求めての欲求であるのか、わからなくなることがよくありました。
彼女は確かにあの夜、わたしに言ったのです。
互いに頂点に達しそうになったとき、彼女はわたしに確かに言いました。
「きみといなくなってしまいたい。全宇宙から、きみといなくなりたい。きみもぼくといなくなりたい?」
わたしはそのとき、彼女にはっきりと応えました。
「わたしも貴女と、すべての宇宙からいなくなってしまいたいです。このまま、貴女だけといなくなりたい」
彼女は本当に酩酊状態にあったため、その夜に言った言葉を憶えていません。
でもわたしは本当のことをあの夜、彼女に言ったのです。
あの言葉が、わたしの死と、彼女への愛であることを確信して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い液体と白い気体

他に好きな男ができたんだ。
だからきみとは、...別れたい。
携帯から女は想わず、耳を離した。
何か、堪えがたい声が、声を失ってそこに、その向こうに震えているのが見えた。
電話口の向こうから、穏やかないつもの男の声が聴こえた。
会って、話が...今から会えませんか。
女は生唾を飲み込み、携帯を握る手には汗の水滴が見てとれた。
もう、きみには会えない。
ぼくの気持ちを...わかってほしい。
きみの未練を早く断ち切るために、もう会うことはできない。
電話口の向こうで、苦しそうに静かに喘いでいる。
彼の弱い心臓は、持つだろうか。
たった一週間程まえだった。
女が男の弱い心臓も労らない激しいセックスを求め、男を殺しかけないほどに快楽を与えてやったのは。
でも今では、女は男の籠った独特な汗の匂いしか未練がない。
女は自分の手のひらの汗の水滴を見つめながら、男の腋の毛についたいくつもの小さな水滴を想いだし、残念に想った。
男はもう一度、ゆっくりと声を発した。その声は明瞭で余裕の感じられる声でありながら、話し方は気が重くなるような空気の底に蟠る闇の中からの声のように想えた。
貴女にきっと会えば、わたしは諦められるはずです。
しかしこのまま会えないのであれば...わたしは死ぬ迄、自分を呪いつづける気がします。
だから会ってください。
会って、話をするだけでいいですから。
女は貧血を感じながら、軽く吐き気も起こった。
この男の執念は、特に何でもない普通の恋人の別れ際に発せられる台詞のようでありながら、何か普通でない恐ろしさがあることを否定する強さが、女にはなかった。
男がいつも女のなかに達した瞬間の男の表情を、女はそこにだけある男のなかの答えを、探し求めた。
何故、そんなに寂しそうな表情をするのか、女は男に何度も訪ねた。
女はこの時も、男に訪ねた。
男の戸惑いは電話の向こうからでもよく伝わってくる。
五分ほどの沈黙のあと、男は落ち着いた低い声で答えた。
今日の午後七時、いつものカフェのいつもの席で、貴女に最後に、それを伝えてわたしは去ります。
女は男に折れ、返事をして電話を切った。
待ち合わせの時間まで、あと二時間もある。
午後七時、いつも女と男があのカフェで、待ち合わせをしたあと二時間近く話して、女は男の家に向かっていた。
午後六時半に、女はカフェに着いた日がある。
そこには既に、男は椅子に座って本を読んでいる。
女はすたすたと歩き寄り、俯いている男に声を掛ける。
いつから待ってるの?
男は顔を上げて眼鏡のずれを人差し指だけで直し女を見上げた。
あの瞬間の表情と、よく似ている。
それまでなんでもない表情で女を待っていた男は、女を見上げる瞬間だけ、とても寂しそうな表情をする。
女が軽く微笑み、男は寂しそうな表情のまま微笑み返す。
何も言わず女が椅子に座り男と向き合う。
いつからでしょう。今日は早く仕事が終わったんです。
そう。女は着ていたジャケットの胸元を叩いて煙草が入っているのを確かめると履いているジーンズのポケットからマッチを取りだし、煙草に火を点けた。
口から煙を勢いよく、右に顔を向けて吐き出す。
男はじっとその様子を眼鏡の奥のちいさな眼から眺めている。
女はウェイターを引き留め、赤ワインのグラスを二つ頼んだ。
今日は良いだろう?女は強張った顔で男に言った。
構いません。一緒に飲みましょう。
男はいつものように優しく微笑みながらそう言った。
何読んでたの?
女がそう訪ねると男は本の背表紙を見せて答えた。
コルタサル短篇集ですよ。
男と女が、別れる話は残念ながらこの本にはないようです。
探してみたの?
ええ。
いつ?
貴女が電話を切ってから。
女はウェイターの持ってきた赤ワインのグラスを一気に飲み干した。
いい加減にして。
女は空のグラスを見つめながら小さく言った。
男は赤ワインを一口飲むと女のグラス越しの口許を見て口を開いた。
どんな男性ですか?貴女の新しく愛した男性は。
女はもう一本煙草を吸うと今度は後ろを振り向いて煙を吐いた。
普通の人だよ。特にこれといって惹かれる要素があるわけじゃない。
セックスが良いとか、そういうことでもない。
きみよりずっと、垢抜けない感じの、野暮ったい人だよ。
男がまたワインを一口飲む。
女はウェイターを呼び止め、ボトルの赤ワインを頼んだ。
ぼくは見ての通り、地味で老けた田舎の売れない詩人の女。
きっとぼくとあの男が街を並んで歩いていたら、かなり悲惨なカップルに見えることだろう。
愛している人を、何故そんな風に言うのですか?
女は既に、男と目を合わすこともできず、目をテーブルの一点に合わせて瞬きもしない。
何故って、愛してるから言えるんだよ。
女の視界の端で、男の身体がとても微細に震えているのが見えた。
女が瞬きをするなら、きっとその瞬間に粉々になるのだろう。
そして粉々となった男の粒たちが、女を見上げてこう言う。
わたしのたった一粒でも、貴女に愛されることは、できませんか。
女はボトルワインのワインを男のグラスに注ぐため男のグラスに手を伸ばし、残ったワインを飲み干した。
男はその様子をじっと眺めながら言った。
わたしを酔わせてしまいたいですか。
女は悲しみのあまり、男を見て笑い、このまま男の家に行き、最後の虚しい行為を求めたなら、男はどんな顔をするだろうと想った。
そうだ。一人で酔うのは、堪えられない。
きみも楽になるだろうから、飲んでくれないか。
男は女を哀れむ顔をしてグラスを手に取った。
女は男のグラスに、濃い赤色のワインを並々と注いだ。
そのグラスの縁すれすれのワインの量に、男は女を見て無邪気に笑った。
男はそのままグラスに口を寄せて、赤い液体を飲んだ。
女はその男のグラスのなかに、煙草の煙を吐いた。
そしてコースターで蓋をした。
女と男が向き合うそのテーブルの上に、奇妙なオブジェのごとくそれができあがり、最初それは交じり合いそうにはないものに見えた。
赤い液体と白い気体が、ちいさなガラスの容れ物のなかに閉じ込められている。
白い気体は、赤い液体に交じり生きていけるだろうか?
では赤い液体は、白い気体のなかで、生きていけるでしょうか。
男はウェイターの制服のベストの内側からちいさな箱を取りだし、その箱を開けて二つのちいさな金属のシルバー色の輪を、自分と女の指にはめた。
そしてコースターを右手で押さえ、左手でグラスを持ち上げると勢いよく、上下に振り、コースターを外して中の液体を女と自分の輪をはめたほうの手を重ねた上に注いで言った。
これがわたしと貴女の最高のセックスと、別れの約束です。
一人のウェイターが閉店のあと、このテーブルの上に、深いキスをした。
赤い液体は気化し、白い気体は液化していることを、このウェイターの男は確信した。
自らの、涙と涎によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ママといっしょ

ママはほんまにもう、おまえのせいで死ぬかもしれんわ。
死んじゃいややママ。やないねん。そんな可愛い甘えた声でゆうてもなんの意味もない。
おまえはなんべんゆうてもそうやってママに愛着し、依存し、執着し、お乳が欲しいておまえ何歳やねん。
ふたつと、6ちゃい。ちゃーうー、2歳半ちゅえばええねん。おまえはもう2歳と半年も生きてきた。
立派な大人やんか。おまえの年頃でママのお乳から離れられた人類は仰山おんねん。
なんで他のあほそうなサルみたいな顔した奴らにできて、おまえにできひんの?
おまえにだって絶対にできるねん。ただ遣ってみようと挑戦すらしてへんだけ。
ママにいつまでも甘えてたいだけ。ママは、はっきりゆうて、そんな子、いりまへん。
あほそうなんは顔だけにしてくれ。知能の成長が、おまえは遅すぎる。
ママはおまえをそんなあほな子に育てた覚えはない。
もう、ええ加減、限界やな。来週までに、おまえを他に預ける。
いや!ママといっしょ、ずっと、おる。じゃかあしいわ。
ママがおまえとおったら書きたい小説もろくに書けへんゆうてるやろ。
おまえが小猿かコアラの赤ちゃんみたいにへばりついてくるから。
おまえがそれをやめてくれたらええだけ、あとやんやとうるさく話しかけてきてママが仕事してる最中にも抱っことかせがんでこんかったらええだけやねん。でもおまえはなんべんゆうてもそれがわからない、ほんまもんのあほな子供やから。しゃあない。致し方ないよ。もう。おまえはもう来週から、他人の子や。
ママはもう、おまえのママやない。
おまえはもうママにとって、不要物やねん。わかってくれ。すべておまえが悪い。
おまえがじぶんのことしか考えられんあほやから。
泣くな。泣いて鼻水を絨毯に垂らしても問題はないと言わんばかりに泣き続けて涙の訴えをするな。
おまえの鼻水がかぴかぴなった絨毯を掃除せなならんのはママやねん。
一人で鼻をかんでゴミ箱にちゃんと棄てろ。
そう。遣ればできるやん。おまえはそこまでのあほやないねん。
抱っこ。やないねん。何ちょっと褒められただけでさっきまで怒られてたこともすっかりと忘れ去って甘えくさってんねん。
しばいたろか?いやや。やない。ママがどれほどおまえに苦しめられてきたか。
どれほど精神が不安になって、酒に溺れ、人に悪態をつき、人との関係を終らせてきたか。
全部おまえのせいや。おまえのせいで多分2週間くらい風呂にも入る元気がないから、ほれ、
ママのこの腋を匂ってみろ。くちゃい。くちゃいやないねん。おまえのせいでママの腋臭がすごいねん。
もうこのままいくとおまえは毎日ママの腋臭を嗅ぎ続けたことが将来の性的嗜好となって
とにかく腋臭のすごい女性に性的興奮を覚えるような男になってまうから、手遅れになるまえに
おまえは里子に出します。もう決めました。おまえは別の家で違う名前で呼ばれ、
ママとおまえが再会することはもうないやろう。
うーわーん。やないねん。全部おまえの行為が招いた結果や。これを因果因縁と言うんや。
この世で最も大事な法則やから覚えとくように。
ママはもう来週から、おまえとは他人になる。
ただのそこら辺におるアホ面の糞餓鬼といっしょやおまえも。
猿みたいにきーきー鳴いてうるさいばっかり。
もう絶対にいっしょには暮らさない。
おまえを抱き上げることも二度としない。
おまえに乳を飲ませることなど死んでもしない。
その因果をおまえが被るに値するほどおまえは自分勝手に自己中心的にママを散々苦しめ続け、
ママがなんぼやめてくれゆうても聴いてもくれんかった。
このままいくとママはほんまに精神的ストレスから脳梗塞心筋梗塞脳出血かなんかで突然死する可能性が高い。
ママはおまえにとって死んだら困る存在だとゆうのなら、成長するか、里子に出てゆくか、どっちかができるはずなんや。
なのにどっちもできひんと我儘をゆうてママを困らせ続けママのストレスは限界値に来て脳髄の血管か細胞が日々プチプチ破裂して行っている。
ママはマジで、遣れん。
もうママが出てゆくわ。この世から。
そしたらおまえはやっとこさ、成長できるのではないか。
それともあれか。おまえは代わりのママを探して三十年。
ママによく似た女性に依存し、その女性に振られた腹いせに嫌がらせコメントの連投を続け、
しまいに「おまえに乳飲ますくらいなら死んだほうがマシ」って最後に言われてブロックされて
酒浸り、アルコール中毒症状のなかインスタントラーメンしか食べない日々を繰り返し、
四十年過ぎても後悔し続けるんか。
ママにおっぱいと抱っこ。ねだるん我慢しとけばよかったな。
そしたらママは、突然死せんかったし、ママが突然死したその側で、
ボクもそのままママのおっぱいにしがみついてママに抱きついて、
ママのおっぱいに吸い付きながら餓死してゆくこともなかったのに。
嗚呼しかしママの最後のおっぱいの味、あれが血の味なのだろうか。
里子に出されるくらいなら、ママといっしょに腐って行けたことが、
本当に幸せだったと、だれに言えるだろう。
ボクとママはけっして離れることが、できなかった。
腐乱死体を片付ける為、母子が死んで腐っているその居間に上がると、
二体であるはずのその死体が、確かに一体と化していたのである。
俺はその情景を元に、この小話「ママといっしょ」を書いて、
未だに俺を去って行ったママを、探している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紙魚

気持ち悪いと言えば、最近、寝ていたら耳のなかで突如、ごそごそ言い出して、しまったあ!虫が耳のなかに入った!って想ってもなかなか出てこなくて、ずっとなかでごそごそゆうてるんですよ。
それで身体を起こしたらやっと耳から出てきて足の上に虫が落ちてきて、紙魚と書いてシミっていう虫で、うちで異常繁殖してるので、とうとう耳のなかにまで入って来たんですね。
本当に、怖くて気持ちが悪い体験でした。

脳を侵されて、朝に起きたら巨大な紙魚になっていた。

とか、ならなくて良かったである。

ちなみにこの紙魚、実家では兄が"シルバーちゃん"と名付けていたのでわたしもそれからシルバーちゃんとずっと呼んでいます。
英語では 「Silverfish」 っていうみたいで、兄はその名前を知らずに、ただ色がシルバーだからそう呼んでたんです。
ちょっとそれ考えたら変な可笑しさが込み上げてきます。
シルバーちゃん、寿命が八年とかで、そんなずっと一緒にいたら、立派な同居虫だなとか想って、まあ同居してるのに、ムシされてる、みたいな。あ。
ピンポーゥン。とその時、チャイムが鳴った。
女は、「誰…こないな時間に…」と心身を恐怖に打ち震わせた。
時間は夜の23時35分。こんな時間に人が来るなんて、可笑しい。はははははってその可笑しいちゃうわいっ。
女は自ボケ自ツッコミをしたあと、ドアの前まで歩いていき、覗き穴からおそるおそる、覗いた。
すると、なんと、そこには、エドワード・スノーデン似の、白人男性が、突っ立っておるでは、ないか。
何故?ホワイッ?なんで?なんで?何故に、あたちの部屋に、来たの?しかもこんな夜遅く。
女は訝りながらも、興奮してドアを開けた。
ドアの間から、男は顔を覗かせ、穏やかにこう言った。
「どうも、今晩は。貴女と一緒に同棲していた、シルバーちゃんです。今朝、貴女がゴミを捨てに行くのを、つい、着いていきたくなって、着いていったら、貴女がわたしを部屋に入れる前に、ドアを閉めてしまったので、それからずっと、一人で泣いていました。」
女は、それを聴いて、多分、この男は、何事かの尋常ではないことを経験し、頭がどうかしてしまったのだろうな。と想って、可哀想になり、人情と、欲情と、情愛と、婚活から、この素性もわからぬ白人の男を、部屋へと入れた。
「はあ、そないですか。まま、どうですか。一杯、お酒でも一緒に、遣りませんか。お酒、行ける口ですか?あ、さいですか。そら、よろしおまんな。ほな、ささ、なかへ、入ってくらはい。遠慮はいりまへん。これも何かの奇跡や御縁。ゆったりと、寛いでくろたら、ええですわ。ま、足の踏み場もあらへんけど、ははは。」
男はにっこりと、優しく笑みを浮かべ、女の部屋のなかに入った。
そして、褥の上にて一杯、酒を注ぎ合い、飲み交わして三時間。頃か、経った。
それまで女が他愛もない話をして、男はこれを黙って聴いておった。
しかし時間が、午前の三時半を過ぎた頃、男はポツリポツリと、話し出した。
「わたしはこの部屋で生まれ、それからずっと、貴女の御側で育ちました。貴女がわたしの為に買ってくださった古書は、大変美味で、食べる度に頬っぺが落っこちそうですが、それよりもわたしの好きなのは、貴女が一月頃に、寝ながら吐いて、その貴女の胃液と、胃の中の消化しかけたものが、飛び散り、そのままにして戴けている本に付着したままの、貴女のゲロです。わたしは貴女のゲロが、本当に、本当に、大好物です。もしや、わたしの為に、貴女はゲロりて下さったのでは無かろうか。そんな空想に想いを馳せ、毎晩、貴女の寝顔を見詰めながら、溜め息を着いていました。そうそう、こないだは、貴女のことが、あんまり愛おしくてならなくなり、貴女の耳が可愛らしくて、仕方無くなり、貴女の耳の穴のなかが、まるで子宮に想えたものですから、つい、奥まで入って行きたくなりまして、それで、貴女が眠っているかと想って、入ってみたのですが、貴女はいつものように、ただ空想の世界に、入っていただけで、わたしが入り込んだ瞬間、あまりの驚きに、わたしをふるい落とそうとしました。わたしはふるい落とされて、もし、貴女の下敷きにでもなれば、死んでしまいます。わたしは死に物狂いで、貴女の耳の穴の奥へと、逃げ込みました。其のときです。わたしは観たこともない世界を、貴女の耳の穴の奥に、観たのです。わたしは、その世界で、小さな貴女に、確かに会いました。貴女はまるで少女のように、わたしの手を引いて、"一緒に遊んでいよう"と、そう確かに言ったのです。わたしは小さな貴女と遊ぶか、大きな貴女の恐怖と気持ちの悪さを早くなくすために、貴女の耳の穴の中から死ぬ覚悟で飛び降りるか、死ぬほど悩みました。貴女を苦しめることが、わたしも苦しくてならなかったのです。わたしがいつも、物陰から貴女をずっと、眺めてこれまで生きて、成長してきたことを、貴女は知らなかったでしょう。本当に、貴女のことだけを、ずっと観て、生きてきたのです。その貴女が、わたしが耳の穴の中の子宮で眠りたい欲望を我慢しなかったばっかりに、苦しんでいる。わたしは涙を流しながら、小さな貴女の手を引き剥がし、貴女の耳の穴から、下へ、ダイブしました。幸い、貴女の太股に落ち、貴女は吃驚してわたしを捕まえようとしましたが、安心しました。何故なら貴女はこれまで、そのように故意に"わたしたち"を、殺したことはなかったからです。わたしは素早く、本と、布団のシーツの間に身を隠しました。わたしはそして、深い眠りに就いたようです。その夜、貴女の重みの下敷きとなり、押し潰され死んでしまう夢を見ましたが、そのとき、小さな貴女が、わたしを助けてくれたように想います。不思議なことに、貴女の耳の穴の中の世界に、貴女はわたしを連れていったのです。そしてその世界にも、貴女の部屋があり、貴女はゴミを捨てに、部屋から出ていったので、わたしは追い掛けました。どこまでも、どこまでも、追い掛けました。でも貴女の後ろ姿に、いつになっても辿り着けないのです。わたしは今も、貴女の耳の穴の中の世界を、貴女を追って、走っているところです。愛する貴女と、また一緒に、暮らすために。」

女が男の話の最中にうたた寝をし、目が覚めると、一匹の大きな紙魚が、女の下敷きになって、哀れにも潰され、息絶えておった。
女は、悲しみながらも、それを屑箱へ捨て、見えない男の腕枕で、眠る夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イエス様と老婆

おばあさま、おばあさま、今夜もよいお天気です。
おばあさま、今日もイエス様のお話しをしてください。
ミカエルはこの村で最初の捨て子。
あの老婆に近づく者はミカエルだけ。
荒れ果てたごみのなかに、生きた屍(しかばね)。
ミカエルは今夜も、朝に起きて、戸をトントン叩く。
おばあさま、おばあさま、今夜もよいお天気です。
ミカエル、おまえはほんとうにカエルに似ている。
おばあさま、何回も何回も、同じことを言っているけれど、ぼくはカエルでなくて人間です。
おばあさま、おばあさま、今夜もぼくに、イエス様のお話しを聴かせてください。
ミカエルは、おばあさまのそばにちょこんと座って、目を耀かせています。
朝なのに、ここは暗い。
暗いので、今は夜です。
おばあさま、おばあさま、イエス様のお話しをぼくに、聴かせてください。
老婆はいつも目の前に見つめ合うように置いている、イエス様の写真を見つめています。
エスが弟子たちと荒野を歩いていた。
おばあさま、こうや、とは、どんなところですか?
荒野とは、だだっぴろい、草や木が、ほとんど生えぬ乾いた地だよ。
エスは弟子たちと、もう何日も、ろくにものも食べず、飲まず、荒野を歩いていると、突然、風に乗って腐敗した臭いを嗅いだ。
おばあさま、なぜですか?
今から続きを話すから。
おばあさま、おばあさま、ふはいしたにおいとは、どんなにおいですか?
鼻がもげそうになる臭いだよ。
あんまりそうぞうが、つきません。
とにかく、尋常じゃない臭いで、嗅いでいられない臭いだよ。
おばあさま、おばあさま、それで、イエス様と弟子たちはどうなったのですか?
弟子たちはぎょっとした顔で、鼻を着ていた衣で覆い、臭いの在りかを、振り返り見た。
するとそこには、
おばあさま、おばあさま、何があったのですか?
だから続きを話すから。
おばあさま、続きがたいへん、楽しみです。
するとそこには、
何があったのですか?
するとそこには、
なんですか?
そこには、あわれにも、朽ちながらも生々しい、腐敗した者がの垂れ死んでいた。
だれですか?
弟子たちは、遠くから顔を歪め、その者に目を凝らし、こう言った。
ああこれは…!なんという不吉なめぐり合わせであろう。馬の屍に遭遇するなんて…。
おばあさま、おばあさま、なぜ、馬の死骸に出会(でくわ)すと、運が悪いと弟子たちは言ったのですか?
もう何日も、飲まず食わずで日の照りつける、休む日陰もない荒れた野を、歩き続けてきた。
想像しなさい。どれほどつらく、どれほど疲労して、どれほど救いを求めて歩いてきたか。
どうしてイエス様は、弟子たちをお救いになられないのですか?
エスの救いと、弟子たちの求む救いが、まるで違うからだよ。
おばあさま、おばあさま、続きがとっても、気になります。
弟子たちは、顔を歪めて死んで腐乱し、うじの湧いたその屍を、睨み付け、まるで呪詛を吐くように言い捨てた。
いったいこの馬は、我々に何の恨みがあって、我々の行く道先に死んでいるのか…!
その時、
エス様は?
弟子たちが遠ざけ、近寄るまいとしているその腐乱した馬に、イエスはすたすたと歩いて近づき、屍を見つめながら、こう言った。
なんと言いましたか?
なんと言ったと想う?
うーん、「なんてきしょく悪い馬だろう!」と言いましたか?
弟子と同じように顔を歪め?
うん。そして、イエス様は言い捨てました。「なんて臭い馬だろう!これじゃ食べられない!」
正解ですか?おばあさま。
では続きを話そう。
おばあさま、おばあさま、とっても、とっても、たいへん楽しみです。
エスは、
エス様は?
固まり、立ち尽くす弟子たちの間をイエスは縫って、腐敗し尽くした馬の屍にすたすたと歩き寄ると、それを見つめながらこう言った。
「なんと美しい白い歯だろう!」

 

 

おばあさま、おばあさま、このお写真は、イエス様のこのお写真は、ほんとうは、おばあさまの恋人のお写真ですか?
とても優しそうに微笑んで、眼鏡をかけています。
おばあさまを、ずっとずっとずっと、ずっと、微笑みながら見つめています。
おばあさまが死んで、朽ちてゆく、そのお姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライト・シープ

小さな少女、アミが夜明け前に浜辺にひとり座っていると、にわかに、後ろから声を掛けられました。

「いったい何故、貴女は此処に座っているのですか?まだ気温は低く、身体が冷え切ってしまいませんか。」

少女アミは振り返ると、得体の知れない大きな男に向って、こう答えました。

「なもん、知るかあ。ワレ、どこのだれやね。ここらじゃ見かけん顔やな。」

大きな男はアミに近づいて、隣に黙って座りました。そして言いました。

「わたしがだれか、こっそり貴女だけにお教えしましょう。わたしは”或る”星から遣ってきた、異星人です。名前は”イブキ”です。貴女のお名前は、”アミ”。ですね?」

アミは、大きな異星人イブキの顔と身体を見渡し、悲しみのなか言いました。

「嗚呼きっと、ぼくを連れ去りに来たんだね。ぼくが地球にいたって、何の役にもたちゃぁしねえから、ぼくをワレの星に連れ帰り、性奴隷として想う存分利用しようと想ったんだね。ぱはは。おほほ。ええよ、別に。好きにしたら、エエサァ。」

そう言い捨てアミは夜の海を眺めて涙を一粒、零しました。

大きな異星人イブキは、ふっと小さな息吹を吐いたあと、こう答えました。

「べつにそんなこと、考えちゃいません。でも貴女をずっと、監視していました。」

アミは、「ほれ、みってん。」という目で、すこし恐怖も感じながらイブキの目を見ました。

大きな異星人イブキは、自分の住む星が、どれほど素晴らしいかをアミに聴かせてあげました。

そして自分の星に比べて、この地球という星に住む人類はどれほど残虐で冷酷な人が多いかを教えてあげました。

アミは、まるで自慢話を聴かされた挙句に見下されているような心地がして、不快でならなくなりました。

大きな異星人イブキに、悪意はまったくありませんでしたが、イブキはテレパシーによって、アミの心境を感じ取り、話すのをつと、やめました。

アミは、どうすれば、この地球に住む人類たちが皆、イブキの星のように「自分のしてほしいことだけを他者にもする」星になるのか、訊ねました。

イブキは、顎の髭を触り、長い髪を搔き揚げながら答えました。

「わたしに考えが、ひとつだけ有ります。この星の人類を、洗脳するのです。Mind Controlと言っても、ネガティブなものではありません。神によるマインドコントロールは、光のマインドコントロールであり、何よりも深い本当の愛による支配です。この星の人類は、実はアダムとエヴァが神に背いた瞬間から、野放し(自由)にされているのです。だから神から離れてどこまでも遠くへ行って迷い続けている仔羊がいて、神は仔羊を連れ戻さねばならないのです。いつの日か、必ず連れ戻せる自信が神にあるからこそ、愛する仔羊たちを野放しにしているのです。神は我が仔羊たちを真に信じているからこそ自由にされているのです。しかしその中に、狭くて苦しく汚れて暗い檻の中が大好きな仔羊がいます。狭い檻の中で、無限の迷路をたった独りで楽しんでいる仔羊です。仔羊はどんなに苦しく窮屈で困難であろうとも、決してその檻から外へ出ようとはしないのです。何故なら、外はつまらないと仔羊は想っているからです。楽しく、心をうきうきわくわくさせてドキドキさせることが何一つ、外に見つけられないでいるからです。仔羊は、暗く、寂しい迷路を独りで迷い続け、いつも満たされずに泣いています。自分を連れ戻しに来る主を待ち侘びながら、主が絶対に入って来れないように檻の鍵をいつでも厳重に閉めています。主に連れ戻される日は、きっと自分が自由でなくなる日だと、どこかで信じているからです。仔羊は、自由でいたいのです。不自由だと感じることが、堪えられないのです。仔羊にとって、狭く苦しく汚い孤独でたまらない薄暗い檻のなかに閉じこもり続けることが、一番の”自由”であると信じているからです。アミはそんな仔羊を、おそとへ出してあげたいですか?」

アミは黒い海をみつめたまま黙って答えませんでした。

イブキはアミに向って、小さな画面のついたミニパソコンとミニマウスをアミに渡し、囁くように言いました。

「もし本当に、アミがこの星を一瞬ですべての存在が”自分がしてほしいことだけを相手にもする”世界になってほしいと願うならば、そのちいさなマウスを、左クリックしてください。」

小さいと言っても、大きなイブキにとって小さいだけで、アミにとっては普通のいつも使っているパソコンの画面とマウスの大きさでした。

アミは、そんなに”簡単”なことなのかと、イブキに問いました。

イブキは白い砂を右手で掬い、さらさらと指の隙間から落としながら言いました。

「この砂が何故?下へ落ちるのか?人は難しい驚くべきことだとは想っていません。それと同じことです。アミが本当に信じて左クリックするなら、それはその通りに、当たり前のこととしてこの世界に”現実化”します。」

アミが見ているパソコンの画面は、真っ暗です。

イブキが、その画面に向かって息を吹きかけると、真っ暗だった画面に宇宙を背景にした地球の映像が映りました。

イブキはアミに向って言いました。

「アミが何を信じようと、本当に自由なのです。アミはすべてを叶えることができます。アミがそれを本当に信じるかどうかなのです。」

アミは、歯を食いしばって、青い星、地球の映像をみつめました。

本当に美しくて、なんの非もないように見えるこの星の内部が、何故こんなにも苦しく悲しいのでしょうか。

イブキは幼いアミを微笑ましく想いながら、その場から姿を消してしまいました。

アミはその晩も、独りで寂しく厳重に鍵を掛けて夜の浜辺で眠りに就きました。

闇の空に星が幾つも瞬き、流れて消えてゆく夢を見ながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Bibio - light seep

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Richard

専有面積56㎡半で一戸建ての二階、閑静な住宅地、ペット飼育可能、日当り良し、システムキッチン、サンルーム付き、風呂場はちと狭いが、最近リフォームしてるなこれは、結構綺麗だ。ウォシュレット、エアコン完備、TVモニターフォン、デパートとコンビニも近い、これで家賃、管理費無しの4万円。良いねえ。事故物件の可能性は大だが、わたしはこの家に、この度、引っ越すことと相成った。
まあそのうちわたしも、独りで腐乱死体になる結末は間違いなしの人間なもんで、ええやろ、も。慣れるよ、すぐに。
いやね、生活保護受けてても引っ越せるんだっつうことを知らなかったんだよね。わたしの隣は事故(自死)物件だし、もうこの際ね、事故物件に引っ越そうと想ったんだよね。
アホらしいでしょ、だって、隣が事故物件なのに、家賃が4万7千円ですよ、狭いし壁は隣の咳払いが普通に聞えるほどの激薄だしで、コンドームかよ、此処は、コンドーム壁かよ。
わたしはストレスが限界値に来たのもあるが、何よりも、”飼いたいもの”が新たにできて、それで引っ越すことと相成った。
わたしは引越し作業も一段落して、ほっと一息つく前に、”そいつ”を買い取りに行った。
ペットショップで、”そいつ”はわたしを見上げて、一声、鳴いてみせた。
「ピヨ」
店長のマルハゲの親父が、わたしに向かって言った。
「お客さん、御目が高いね。こいつァ最後の売れ残りでェ、今晩までに売れなかったら、オイラの今晩の酒の当てに焼いて喰おうかとでも想ってたんだ、ヘヘヘ。お客さん、べっぴんさんだから、半額にしますよ。買ってって、おくんなせェ」
わたしは店の親父に、「っちゃッ、おやっさん、商売、ウマイねえ」と言ってにやにやして5千円を払い、そいつを新居に連れ帰った。
家に連れ帰るまで、そいつは静かだった。
家に着いて、居間に座って箱を開けて見ると、部屋の温度は暖かいのに、そいつは何故だか、打ち震えていた。
可哀想に想い、わたしは小さなそいつを抱き上げると、わたしの小さな痩せきった胸に宛がい、温めてやった。
するとそいつは、また「ピヨ」と細い小さき声でわたしを見上げて鳴いた。
わたしはその瞬間、閃いた。
「よし、決めたよ。おまえの名は、今日から”リチャード”だ。おまえにぴったしだよ」
リチャードは、ぷるぷるぷるるるるぅんとちいちゃな二つの羽根をぱたつかせ、わたしの胸に顔をうずめた。
ひどく寂しがり屋でほんの数分でも独りにさせれば「ピヨピヨ」とリチャードは鳴き続けていた。
わたしはリチャードに、毎日此の世の地獄(現実)を教え込んだ。
「おまえはそうやって、いつも鳴いたりしては不満げな様子をしているが、おまえの仲間たちが日々どんな目に合っているかを、わたしが教えてあげよう。見ろ、リチャード」
そう言ってわたしはリチャードにパソコン画面の中に映る映像をいくつも見せた。
「ほら、見えるか?あれはおまえの仲間たちだよ。ここはな採卵用の鶏の雛を雄と雌に鑑別する工場だ、ああしてベルトコンベアーの上で選別され、雄のひよこはすべて、食肉用に育てるほうが金がかかるってんで、ああやってすぐに生きたまま攪拌機によってミンチにされて処分されるんだ。知らなかったろ?
ほら、この言葉をよく憶えているんだよ。『生まれた瞬間からはじまる恐ろしい運命
おまえの仲間たちの運命を、おまえは決して忘れるな。
でもな、リチャード。おまえは運が良い。おまえは生きたままミンチにされる運命はきっとないだろう。
おまえは何故なら、わたしの家族だ」
リチャードはわけがわかっとるのか、わかっとらんのんか、「ピヨヨ」と言ってはまたわたしの胸に顔をこすりつけ、ぬくもりを強く欲した。
しいろく、きいろっぽいほわついた羽毛を着たリチャードは、”ひよこ”と呼ばれるあまりに弱き奴だったが、約一ヵ月後には、わたしを見下ろすほどにまで立派に成長した。
リチャードは何故だか、真っ赤な鶏冠(とさか)を今までのようにわたしの胸にこすりつけてくるほど未だに甘えん坊なのだが、それでもわたしを見るときはいつでも、首を後ろに若干反らせた体勢で、上から見下ろすような感じでギロついた目でわたしをじっと見詰めるのだった。
「確かにわたしは、おまえの仲間たちを散々、夥しい数を殺して喰うてきたし、おまえの仲間たちが死に行くことにもほとんど関心がなかった。でもな、もう鶏肉は6年も喰うてはいないし、鶏卵だってもう確か2016年の4月頃から一切食してないよ。それでもおまえは、わたしにまるで怒ってるみたいな目でいつも見下ろし加減に見詰めてくるけど、何故なんだ?って訊いても、おまえは鶏だから、クックドゥードゥルドゥー(cock-a-doodle-doo)か、コケッ、とくらいしか喋られないから口惜しいこと甚だしいな。嗚呼、おまえが、おまえが、もし人間の言葉を話せるならば、この苦しきもどかしさはなくなるであろうに」
わたしがリチャードを抱っこしたままそう嘆くと、リチャードは鶏冠をわたしの胸につんつんしてはまたわたしを睨むように頭を後ろに反らしてからわたしを見詰め、「クック・ドゥー・ドゥル・ドゥー」と低く唸るような声で何度と鳴いた。
わたしは苦しく息をし、リチャードに言った。
「ごめんな。リチャード。わたしはおまえに、嫁はんを飼ってやるつもりはない。何故ならば、大変やねん。色々と。家族がもう一人増えるとな。おまえはわたしが少しでも独りぽっちにさせると、ずっとずっと鳴いてるな。さっきまで、寝ていたかと想えば起きてまるで恐ろしい夢でも見たかのように激しく啼くやんか。どうしてなんだ。リチャード。この暮らしが、そんなに、それほどまでに不満か?わたしは昨夜もおまえの鳴き声によるストレスから、寝かせてはもらえなかった」
わたしは気付けば、つぅと涙が頬を伝っていた。
リチャードは、わたしの泣き顔を首を反らせたままギロリと見詰め続けて「クッ・ドゥー・クッ・ドゥルドゥルルゥ」と呻るように鳴いた。
わたしはその日、寝不足から夕方過ぎにやっと眠りに就けて、目を覚ませば午前3時過ぎであった。
一階に下りて、キッチンで水を一杯飲み、トイレに行ってから一階にあるリチャードの小屋の中を覗いた。
本当は寝るときも側に置いてやりたかったのだが、何しろ頻繁に起きては鳴きだし、うるさくて眠れないので、仕方なく一階の小屋に寝かせることになったのだ。
一畳半ものリチャードのサークルの中に、リチャードはいなかった。
まさか飛んで外へ逃げたか?わたしは不安になって家の中を探し回った。
「リチャード」
「リチャード!」
「どこや?まさかわたしのことが嫌んなって、出て行ったとか、ちゃうよなあっ」
「リチャード…そんなに、そんなにもつらかったの?わたしと二人で暮らすことが…?」
わたしは何時間と家中どこを探しても見つからず二階の居間にへたり込んでこれまでのリチャードに対する接し方に今更、後悔し打ちひしがれては頭(こうべ)を垂れて泣くことしかできなかった。
その時、停電が起きたのか、すべての電気が一斉に落ちた。
窓はカーテンを閉めていたので月明りも入って来ず、真っ暗な部屋の中でわたしはまだ鼻を啜って泣いていた。
静かな何も見えない部屋で泣き続けた。
するとわたしの後ろの方で、喉を低く鳴らすような音が聞えた。
「クック・ドゥー・ドゥル・ドゥル・ォゥルルル・ルルゥ」と続いて喉を鳴らしながら鳴く声が聞えた。
リチャード!
わたしは心の底からほっとして、涙で濡れた唇を舐めて後ろを振り返ろうと床に右手を着いた。
その瞬間、何か硬いものが後ろからわたしの首筋に触れ、荒い息遣いが耳元に掛かった。
そしてわたしの腹回りに、腕を回され後ろから強く抱き締められた。
このような状況は、普通に考えられるならば、強盗か強姦魔が、わたしを襲う為に後ろから首元に凶器を宛がいながら何かを要求していると考えられる。
しかしどう考えてもおかしいのは、太く低い声でわたしの耳の側で、「クック・ドゥル・ドゥル・ルルルルルゥ」と聞えてくることである。
一体どういうことが起きているのかが解らないが、くんくんすると、後ろからリチャードのいつもの仄かな愛おしい獣臭もしてくる。
さらにはリチャードの高い体温が、羽根の感触と共に首筋にすりすりと擦り付けられているのを感じるのだった。
それで、呻り声と共にぐいぐいと尻の辺りに、何か硬いものを後ろから当ててくる。
これはつまり、普通に、自然的に考えるならば、こういうことが今、この居間で起きていると考えられる。
どうしたことだか、わたしの飼い鶏リチャードは、突如、半人半獣の姿と化してしまった。
リチャードは自分でも何故だかわかんねえが、”頭部”以外は、多分、人間なんである。
その頭部は人間の頭部の大きさにでっかくなっている。
頭部と言えば、これは”脳内”も勿論、含まれているであろう。
その証拠に、リチャードは人間の言語を話さないで、鶏の言語を使ってわたしに何か話しかけている。
だが頭部以外は、人間となってしまったので、その証拠に、わたしの腹には今、人間の男の、逞しき筋肉質な腕がぐるりと回されていて、わたしは後ろからがっしりと締め付けられている状態だ。
下半身も人間の男性となってしまったので、今リチャードは、酷く発情して欲情しているのであろうその人間の生殖器を、わたしのケツに宛がい、どうにか交尾をしようと奮闘していると、こういう具合であろう。
だからリチャード自身、まったく意味は解ってはいないが、リチャードは別に変なことを遣っているつもりもなければ、平常心であるだろうし、リチャードはその上、小屋から出て、等身大のわたしという”雌”を自分のものにできると想って興奮し歓喜しているに違いあるまい。
だが、わたしはここで、愛するリチャードと、もし交尾に及んだならば、果してどういった、卵をわたしは産むのかあ、っておい、リチャード、わたしは卵を産むのか?
わたしは後ろから抱き着いてすりすりと鶏冠を摺り寄せてくる半分人間で半分鶏のままのリチャードに、問うてみた。
「リチャード、わたしはおまえの卵を産めるのだろうか?」
彼は低く喉を鳴らしながら、ゆっくりと、こう答えた。
「クック・ドゥー・ドゥー・ドゥル・クックゥ・ドゥルルゥ・クッドゥ」
「そうか」
わたしはリチャードに向き合い、全身に返り血を浴びた彼を想い切り、抱き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:otoneru:20180312195127p:plain

我が愛するRichardへ捧ぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Hotline Miami 2 OST: Mega Drive - Slum Lord