祝福

今日であなたが死んで十三年が過ぎました。

 

お父さん。
わたしは死ぬまで苦しみたいのです。
わたしがあなたを死なせてしまったことを死ぬまで苦しんで悲しんでいたいのです。
だからどうか、わたしの苦しみを悲しまないでください。
わたしは自分でそう選んだのです。
わたしの悲しみと苦しみを、どうか悲観的に思わないでください。
むしろ、わたしが願ったものをわたしが受けつづけていることに共に喜んでください。
わたしは、毎日生きているという実感がありません。
毎日、亡霊のように夢の中を生きているような感覚でずっと生きています。
わたしはもう、此処に生きていないのかも知れません。
ではどこに、生きているのでしょう。
わからないのです。
でもわたしは日々、喜びや悲しみや苦痛を感じて生きていることは確かです。
もうどこにも存在しないのに、存在しない存在として生きているようです。
「わたしを抱きしめてください。天の父よ。」そうどのような顔でわたしは言えますか?
わたしは今でもあなたを変わらず愛しています。
だから苦しみつづけたいのです。
悲しみつづけたいのです。
自分しか愛せない者のように。
わたしを失う人はもうだれもいません。
わたしはすでに失われた者だからです。
わたしはきっと、あなたとは前世で恋人だったときがあったはずです。
あなたは今でもわたしの父であり、わたしの過去の恋人でした。
わたしは常に渇きます。
あなたの愛に。
今でもあなたがわたしを呼ぶ声が聞こえてきます。
「こず恵」
もうすぐあなたが息をしなくなった時間だ。
お父さんが苦しまないようにこず恵は静かにしています。
わたしはきっとあなたの傍へゆくにはあんまりまだ遠い。
時間が過ぎるのが恐ろしいのは時間だけが過ぎてもあなたに会えないことがわかっているからです。
まだまだわたしの苦しみが足りません。
あなたに再会するためのわたしの悲しみがまだぜんぜんたりません。
わたしは今でもあなたに愛されています。
確信できます。
もしあなたが、家畜に生まれていたなら、あなたをわたしは食べてしまったかもしれません。
罪悪のうちにあなたを味わい、あなたを消化し、あなたを排泄したかもしれません。
あなたを知らず知らずに拷問にかけ、あなたをわたしは殺したかもしれません。
わたしの罪は、きりがみえません。
きれめなく、わたしの罪がわたしをくるしめつづけることを望みつづけているからです。
どうかあなたの娘であるわたしと共にそれを喜んでください。
わたしの中にあなたは住んでいてあなたの中にわたしは住んでいます。
わたしは生きるほどに、あなたの記憶が霧の中へ消えていくようです。
わたしはあなたを、追いかけることもできません。
わたしはまだあなたに触れられないからです。
でもあなたはいつでもわたしに触れてください。
わたしを慰めてください。
あなたのおおきなあたたかい手をわたしは憶えています。
わたしが熱をだして寝ているとあなたが仕事から帰ってきて、わたしのおでこに手をあてたのです。
わたしはそれまでとても苦しかったのが嘘のように楽になったことを憶えています。
あなたは子を癒す力がありました。
今でもわたしを癒してください。
わたしはあなたがわたしを癒すことを知っているので好きなだけ苦しみつづけることができます。
もうあなたが静かに息を引きとった時間は過ぎた。
たった13年間でわたしはこんなに変化しました。
わたしの悲しみはますます深まってきています。
共に祝福してください。わたしの最愛であるお父さん。
この悲しみと苦しみはあなたのわたしへの愛の証です。
これからもどうかわたしを愛してください。
わたしがあなたをすっかり忘れてしまったあとも。
お父さん、わたしを愛してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベンジャミンと先生 「カシス海」

さあ今日は、いい天気だな。曇ってるけどな。あたたかい日だ。この昼下がりのこの眩い空、ひじょうに微睡みたいよ、先生はな。

では今日は、ベルギー最大の幻想文学作家ジャン・レーギリシャ世界の古代神を現代に甦らせた、愛と復讐の壮大なドラマとちまたで言われている「マルペイチュイ」を今から一緒に読もう。

読みたい人間は手を挙げなさい。

よし、ではベンジャミン、おまえから読みなさい。

 

「はい」

ベンジャミンは利口そうな顔で静かに立ち上がるとみんなの前で音読し始めた。

「マルペルチュイの館には何かがいる!屋根裏の罠に残されたハエほどの大きさの手、闇にうごめく、人間の形をした小さな生きもの。

ここ、マルペルチュイ館に住む一族は、かつて太古の神々を捕えたカッサーヴの呪われた末裔だった。復讐に狂う神々と大神ゼウスの天翔(てば)ける戦い……」

また帯の部分から読み出したんだなと先生は思いながらベンジャミンに言った。

「天翔(てば)けるではなく、天翔(あまが)ける、だな。あまり使わない言葉だが覚えておきなさい」

「はい先生。では続きをお読みしてもいいでしょうか」

「勿論だベンジャミン。さっそく幻想世界へと我々をいざなってくれ」

 

ベンジャミンは大きく息を吸って吐くと、囁くように緊迫する空気のなか、緊張をこめて音読し始めた。

「アナルカシスの幻」

先生は耳と耳を疑った。

しかしただ読み間違っただけだろうと思い、次の同じ箇所を読む瞬間を信じた。

ベンジャミンは霧がはれたような顔をして読みすすめた。

「霧がはれ、荒れ狂う波がその存在を遠くから告げていた島が、いま恐ろしい姿で現れた。水夫アナルカシスは舵柄(かじがら)にしがみついて、恐怖の叫び声をあげた。」

「舵柄(かじづか)だな。おいベンジャミン」

「はい先生」

「もうひとつ、さっきから間違えてるな。次は読み間違えないように」

「わかりました」

ベンジャミンは眉間にしわをよせながら口をちょっとだけ尖らせつつ感情を全身でこめて読みすすめた。

「小型帆船(こがたほぶね)フェナはもう何時間も前から、この怪物のような岩ののがれられぬ磁力に引きよせられて、破滅へ向かって走ってきたのだ。岸には鉛色の大波がぶちあたり、上方には稲妻が炎のように怒り狂っていた。

アナルカシスは叫んだ。」

「ベンジャミン」

「はい先生」

「もう、おまえはそこまででいい。座りなさい」

ベンジャミンは口に震える手を当てて、懇願するように言った。

「で、でも先生、ここからが、ぼくの、まさにぼくの読みたいところなんです。先生、読ませてください。ここだけは、ここだけは読ませてください」

「どこだ、それは」先生はページをめくり、ベンジャミンが読みたそうな箇所を探した。

「次のページの、14ページまでを、どうかぼくに読ませてください先生」

先生は眉毛をあからさまに八の字にして困った表情をしてみせると「しょうがないな。それじゃ次のページを読み終わったら即すわりなさい。わかったな」

「はい、ありがとうございます先生」

「ベンジャミン」

「はい」

「次のページまで名前は出てこないが、この章の題名は”アナカルシスの幻”だ。間違えないように」

「先生ぼくはなんて読み間違えてしまいましたか?」

「おまえは三度も、アナルカシスと読んだじゃないか」

教室じゅうに、妙な沈黙が流れた。空の雲が、重くなってきた。

「なんだこの沈黙は。ベンジャミン」

「はいなんですか先生」

「今日も放課後に、残りなさい」

「わかりました」

「では続けなさい」

「はい」

「逆風や奇妙な潮流のせいもあった。しかし、それよりむしろ、漂流と言ったほうがいい。船長は完全にコースをはずれてしまったことを了解した。この海域はもう何年も前からよく知っているはずなのに、こんな島を見た記憶はついぞなかった。

いまや間近に迫った死の島からはあの幾重にも呪われた草アナギレスのたまらない悪臭が漂ってくる。彼は、悪の霊が事件に関係していることを悟った。

島の笠石の上に現れたなにものかの形を見たときには、その確信はますます強くなった。それは人間の姿形をしていながらも見るもおそろしいものであり、その大部分は、比較を絶するほどの巨軀(きょたい)をしていた。

彼らのうちあるものは力強く、あるものは他に較べて比較的美しかったから、男女の性別があると見えた。背丈もひどくちぐはぐだった。普通の背丈のものは一人もいず、一部のものは小人で畸形であると見えた。もっとも距離の関係で、そのようなちぐはぐが出たのかもしれない。

彼らはみな身じろぎもせずに、荒れ狂う空を見上げ、恐ろしい絶望に凍りついていた。

『死体だ』と船長は泣き声で言った。『山のようにでっかい死体だ!』

中に一人、恐るべき静止の姿勢のうちにも、曰く言いがたい威厳を見せたものがいた。船長は、その相手から恐怖のあまり目を逸らした。

もう一人、宙に浮くかわりに岩にしばりつけられたものがいた。それは不安と超人的な苦痛とに身をよじり、脇腹には洞穴のように大きな穴があき、そこだけが、生命の恐るべき戦慄と動きとを保っているように見えた。その人物の上に覆いかぶさっていた黒い影がなにものであるか、ときおり流れる霧の帯のせいで、水夫には、はっきりとは見えなかった。」

ベンジャミンは14ページのすべてを読み終えると、先生の言ったとおりに席についた。

「よろしいベンジャミン。感情をうまく、これでもかといわんばかりに表現できていたな。高い評価に値するが、放課後残りなさい」

「ありがとうございます。わかりました先生」

 

今日の授業は午後の2時までであった。

「ベンジャミン」

先生は生徒たちがみんな帰ったあとの教室でベンジャミンを教卓の前に立たせた。

「先生ぼくは」ベンジャミンは何か思い悩んでいるというようにそのうつむく顔を翳らせた。

「なんだ、言いたいことをすべて、すべて、先生に言い尽くしてしまいなさい。その為に残らせたのだから」

「先生、ぼくは、先生の心奥(しんおう)を、今日も読んでしまいました。赦してください先生」

「ベンジャミン、先生とアナルカシスと、いったいなんの関係があるというんだ。言いなさい」

するとベンジャミンは顔を見せないようにして深くうつむき、沈黙した。

「だいたい、アナルとカシスってなんだ、アナルとカシスにいったいなんの繋がりがあるんだ。ベンジャミン」

ベンジャミンはその細い軀(からだ)をこまかに震わせながら、なにもこたえはしなかった。

「もうわかった。ベンジャミン。今日は先生はとってもよい気分なんだ。こんなにすきとおったにび色の天気だしな、どこかへ一緒に行こうじゃないか。ベンジャミン、顔をもうあげなさい。おまえがつねづね行きたがっているところとか、どこか今日行きたいところに先生は着いていってやろう」

するとベンジャミンの表情はぱぁっと無垢なものになり、すかさずこう応えた。

「先生ぼく前からずっと、先生と一緒に遊園地へ行きたかったのです。知っていますか?アミューズメントパークといういろんな子供と大人が遊ぶ遊具がたくさんあって、あらゆる種類の食品やグッズを売りさばく出店が出ているといううわさです。ぼく是非そこへ先生と行ってみたいんです」

「ベンジャミン、遊園地という人々が楽しむ場所へ先生は何度か行ったことがあるよ、最後に行ったのは10代のときだったと思うが、先生は憶えている。一世紀前には大変賑わっていたはずの遊園地が、その土地の過疎化によって退廃し、廃墟同然に客はおらず、何か独特な静寂が流れていて、そこにあるすべてはまだ動くものであったものの時間が止まっていたよ。客が少なくなるだけでああなってしまうものなんだと先生は感じて、その空気は先生にとても心地が良かったはずだったと想い出すが、じっさいはもっと、言い知れぬ悲しみがある想い出の場所だ。おまえはその悲しみを、先生に追憶させ、追想の苦しみのなかに立たせながら追懐にたえきれない時間を追蹤(ついしょう)させ、また回顧(かいこ)の記憶の呼び起こしに取り組ませてくれるというのか。それは真に、喜ばしいことだなベンジャミン。おまえが行きたがっている遊園地へ、今すぐに行こうじゃないか。今日は、そういう日なんだよ」

「ぼくが行きたい遊園地がどんな場所か、先生は知っているのですか?」

「先生はそれを知らないよ。そんな場所、いつ近くにできたんだ?先生は興味のないことにほんとうに無知であるから、近くにどんなものがあるかも知らない。しかしどんな場所でも先生は嬉しいはずだ。拷問遊園地とかでなければ」

「そんな場所にも行ったことがあるの?先生」

「ないよ」

「先生、行こう。閉館時間まであまり時間がない。きっと楽しいところだよ」

ベンジャミンはそう言うと先生の手を引っ張って、先生は極度の方向音痴のベンジャミンに何も言わずに着いていった。

 

 

 

 

ベンジャミン。ここはほんとうに、遊園地なのか。

ベンジャミンは慌てて青い制服のズボンのポケットの中から地図をとりだし、大きな銀縁眼鏡を中指でくっとあげると目を凝らして見た。

「まちがいないよ先生。ここがちまたで大変人気だという噂の遊園地のはず。あっ、ほらあすこ、遊具らしきものが見えます!行ってみましょう先生!」

先生とベンジャミンは背の高い枯れたアナギレス草の生えしげるなかを手でかきわけながら、その奥へとすすんだ。

「先生、アナギレス草と切れ痔という病は、何か関係があるのでしょうか」

「ないだろう、たぶん」

「そうかな。ぼくはきっと、約500万年前に、人類が最初に切れ痔という病に罹ったとき、研究博士たちが原因を辿ると、このアナギレス草で排泄の後、拭いたから、ということが解って、名前をアナギレス草にしようと偉い学者が命名したのだと思います」

「でも今の切れ痔とアナギレス草はなんの関係もないだろう」

「そう、それがとてもおかしい話なのです。何故なのかしら」

「ベンジャミン」先生が思索に耽っているベンジャミンに向かって言うと、ベンジャミンは現実に戻ってきたような顔をして先生に振り向いた。

ベンジャミンは目の前に広がる景色を眺めると、目を大きくして先生に向き合うと言った。

「先生、よかった。ここはまぎれもなく遊園地ですよ。ほら、あすこ、パンダの乗り物だってあるし、ピンクのうさぎだっている、あっ、あれはきっとホットドッグスという熱い犬というペットを売っている場所だ、すごく情熱的な気性の犬が買えるという話です。あっピンクのうさぎの着ぐるみの奥に見えるのは乗ると目を回して死ぬという飛行機の乗り物だ。回転木馬だってあるし、ジェットコースターもあるじゃないですか!間違いありません。ぼくらは遊園地へやってきました先生」

「ベンジャミン、そうは言うが、ここはなんだかおかしくないか」

「何がおかしいんです?先生」

先生は周りを見渡しながら、遊園地の中へと入っていった。

そしてある一つの小さな幼児の乗る蜂の乗り物を見下ろし、ベンジャミンに向かって言った。

「見なさいベンジャミン。この遊具を。これは明らかに普通じゃない」

ベンジャミンは先生の手が蜂の背中をなでるのを見ながら言った。その背中はざらついてささくれだっているのにすべすべともしている。

「先生、空が晴れてきましたね。西日がとても繊細だ。この遊具というか、この場所はきっと、時空が歪んでいるんですよ先生。ひどく新しいものとひどく古いものが同時に在る。遊園地ってそういう場所ではないのですか?」

「ベンジャミン、ここにあんまり長くいると、戻れるかどうか危険だ。長居するまえに先生と戻ろう」

先生がいい終わるまえにベンジャミンはまるで幼な子(おさなご)のようにはしゃいで走っていき、見つけるものにかたっぱしから触れて遊び、そこから先生を呼んだ。

先生はベンジャミンの乗るパンダの大きな乗り物のその後ろに横向きに乗ると煙草をシャツの内ポケットからとりだし、燐寸(まっち)で火をつけると吸い始めた。その瞬間、先生は、あれ、わたしは煙草をやめたはずなのだが、と思った。

 

 「先生は子供のとき、どんな子供だったんですか」

先生が無意識の境地に入りこんでいるとベンジャミンがそうたずね、先生の意識は戻された。

「ん、なんだって?」

「先生が子供のころはどんな子供だったのか訊いたんです」

「子供のころ、忘れたよ、先生は」

「たった20年前のことを忘れるなんて、先生らしくないです。先生はいつも、ぼくらに忘れていることを教えている人だもの。こういった遊園地とかって、きっと子供時分のことを想いだすために用意されているはずなんです。先生は、ほんとうに忘れてしまった大事なことを、今日想いだせるかもしれません。だから、想いだしてほしいんです。ぼくは知りたいんだ。先生の子供のときのことを」

「先生は忘れてしまったわけじゃないよ、忘れることにしたんだ。それは今を生きたいように生きたいがためだ、過去のすべては、先生にとって、たえきれないものばかりだ、じぶんで忘れようとしたのだから、すべてちゃんと憶えているよ。先生は心を殺す必要だってない。今日ずっとおまえのことを考えていたんだよ」

「なぜですか?ぼくが、アナルカシスなんて言ったからですか?」

「いや違うよ、先生はおまえの過去を、知らないんだよ」

ベンジャミンは黙りこむといつもの微妙な屁が5日間でないというような顔をした。

 「おい、あれ、船だろう。おまえせっかく来たのだから、あの船に乗ろうじゃないか」

先生が指さすほうをベンジャミンは望むと、そこには大きな船の船影(せんえい)のようなものが見えた。

 凛々しくほほえんで先生を見るとベンジャミンは言った。

「ぼくちょっとそのまえにポップコーンとレモンアイスクリームとアップルパイを買ってきます。先生は何を食べる?OK、ぼくが先生の食べたいものをよみとります。パインアップルソフトココナッツバージョンとコーヒーだね。それじゃちょっと待っててくださいね」

「ベンジャミン」 先生がベンジャミンに「これを持っていきなさい」と言って財布を渡すと、ベンジャミンは笑いながら「いらないよ先生、ここぜんぶ無料で買えるんだよ」と言ってまぶしい西日のなかに駆けていった。

大きなパラソルのついた白いテーブルの椅子に座って先生はベンジャミンのうしろすがたを眺めていた。

青いオーバーオールを着たピンクのうさぎの着ぐるみがベンジャミンにポップコーンを渡している。

あいつはまだうさぎだとわかるが、ほかの店員や風船を持ってうろついている者たちはほとんどが、ワニとカモノハシと鴨と駱駝と馬とカエルとトカゲとイモムシとカタツムリとゲンゴロウブナとクマとパンダと犬と猫などがキメラ化したようないったい何のキャラクターなのか意味のわからない着ぐるみを着ている。

ベンジャミンがすべてを買い終え、もどってきて先生と向かいあってすわるとレモンアイスクリームを食べながら言った。

「先生、あのポップコーンを売ってるピンクのうさぎが先生のこと知ってたよ」

「なんだって?先生は知らないよ、あんなやつ、何かの間違いだろう、平気で嘘をつきながら遺伝子組み換えのポップコーンを売りさばいているような顔をしているじゃないか」

「でも言ってたよ、あいつは確か、20年以上前に俺のポップコーンを買って金を払わなかった奴だって」

「そんな憶えはないぞ、しかしなんであいつはまたそんなことを未だに根に持って憶えているんだ」

「きっとすごく貧しくて苦労して生きてきたうさぎなんだよ。今その分を先生が払ってしまえば赦してくれるはずだよ。先生、さっきからなんでアイスとポップコーンを交互に食べてるんですか?」

「甘いんだよ、すごく、そして、冷たい。交互に食べるとちょうどいい」

先生は懐から財布をとりだすと161ルーブルをベンジャミンに「これをあいつに払ってきてくれるか」と言って渡した。

ベンジャミンはコインを指ではじいて落ちるコインを掴みとると「先生まかせてよ」と気前のよい顔をしてまたポップコーン屋に向かって走っていった。

ベンジャミンが戻ってきて息をはずませながら座ると言った。

「受け取ってくれたよ。でも素っ頓狂な顔をしてた。なんであいつはこんなちっぽけなことを気にしているんだ。こんなお金どうだっていいことなのに。って言ってたよ」

先生はまた無意識に煙草の箱を内ポケットからとりだすと一本抜いてテーブルに立ててとんとんと垂直に落としながら言った。

「おかしくないか?何故ほんとうにどうでもよいことだと思ってるなら、さっきベンジャミンにそのことをあいつは言ったんだ?」

「きっと、想いだしてほしかったんだよ、じぶんのことを」

「なんでだ?ただの他人になんで想いだしてほしいんだ?あのピンクのうさぎ男は何かを隠しているんじゃないのか。それに、あのうさぎ男の目はなんであんなに虚無なんだ?」

「先生、そんなに気になるならもう一回行ってきて、訊いてきましょうか。何かを隠していませんかって」

「いや駄目だ、そんなことをして、あいつがなにかを想いだしてみろ。この不安定な次元の時空がさらにゆがんで、戻れなくなるかもしれない。絶対に駄目だ。そっとしておこう」

「でもほんとうに何かを隠していた場合、あのうさぎ男は先生のことが気になって、これから先生のあとを着けるんじゃないかな」

「怖いことを言うのはやめなさい、ベンジャミン。いったいあのうさぎ男と先生にどんな因果関係があるというのだろう」

「先生、いま、あいつ先生のことじっと見てるよ、ほら」

「やめなさいベンジャミン、着ぐるみを着ているのだから、そんなことはわかるはずがない、って、あそうか、おまえは透視力があったな、先生を怖がらせるんじゃない。楽しむためにここにきたんだろう」

「先生ぼくとっても楽しいよ」

「おまえは真に、率直でよろしい、しかし先生はもう、気にしないことにするぞ、ほら早く、食べてしまいなさいそのアップルパイ」

「先生半分食べてよ、Lサイズのポップコーンでお腹がふくれちゃった」

ベンジャミンは大きなアップルパイを半分にちぎると先生に渡した。

先生は左斜め向かいのほうからうさぎ男の視線を感じながらアップルパイを食べた。

「ぼく喉かわいちゃった。ちょっとカシスソーダを買ってきますね」

そういうとベンジャミンはまたうさぎ男の店に向かって走っていった。

ベンジャミンにカシスソーダを手渡しながらうさぎ男がこっちを見ている気がして先生は目をそむけ、煙草を無意識で吸い始めた。

 ベンジャミンは戻ってくると、テーブルにひじをついてカシスソーダのストローに口をつけながらうさぎ男のほうをじろじろと見だした。

「ベンジャミン、あんまり見るのをやめなさい。彼は無実だし、先生も無実だ。憶えちゃいないんだからね。それはそうとおまえはカシスが好きなのか」

「好きだよ先生。味や色も好きだけれど、それよりも名前が好きなんだ。ぼくの好きな本に長野まゆみの”耳猫風信社”って本があるのですが、その話の中にカシスって名前の少年が出てくるんです。すごく面白いから先生も読んでみてください」

「それは面白そうだな、では今度授業でとりあげよう、おまえが最初に読みなさい」

「やった!すごくひさしぶりに読むから楽しみです」

西に傾いた陽は強くなったり、翳ったりをなんども繰りかえしていた。

 カシスソーダを一気に飲みほしたベンジャミンは立ち上がって先生の手をとると「先生、せっかくなんだから船は最後の砦にして、いまから回転木馬とジェットーコースターに乗ろうよ!」と言って先生の手を引っぱった。

 先生はのっそりと立ち上がりながら「最後の砦って、使い方間違ってないか」と言った。

「でも船に乗るのってなんだか、最後の砦って感じがするじゃないですか?」

「先生とベンジャミンはこの地を追われた亡命者というわけか」

「そういうわけです。あのうさぎ男がぼくたちを追ってるんです」

「だからずっとこっちを見ていたわけか」

「うん。今も見てます。何か恐ろしい凶器を持って追いかけてくるまえにここを離れましょう先生」

「そうしよう。ああいう子供の味方の振りをしたクリーチャーほど激しく手ごわい強敵だったりするものだ」

先生は先に走っていってしまったベンジャミンを追いながらうさぎ男から離れるにつれて心底ホッとするのだった。

回転木馬の前で律儀にも待っているベンジャミンに向かって先生は言った。

「ベンジャミン、すまないが先生は昨晩徹夜をしたおかげで急激にいま猛烈な睡魔に襲われている。ちょうどここに良さそうなベッドがあるので先生はここで一眠りをするから、おまえは自由に行動していなさい」

「ベッド?どこにそんなものがあるんですか?」

先生は回転木馬に近づいて階段を上ると、「ほらここに」と言って大きなかぼちゃの馬車の中に入って靴を脱いで横になってしまった。

ベンジャミンが中を覗くと、とてもふかふかとした寝心地の良さそうな場所に先生が膝を曲げて眠っていた。

外からは馬車があるなんて見えなかったし、それにまるで最初からここに寝心地の良さそうな馬車があると知っていたかように先生は言ったな。なぜかしら。とベンジャミンは不思議に思った。

するとそのとき、回転木馬が回り始めたので慌ててベンジャミンは馬車を引く白い馬の背中に乗った。

 馬の頭に耳をつけてベンジャミンは回る景色を眺めた。それは何かが遠ざかっていきながら近づいてくるような過去へさかのぼりながら未来へつきすすんでいくような景色だった。すべてが回っている。すべてが回っているということは終わりと始まりがない、ベンジャミンはなぜ人は途切れ目を探すんだろうと思った。途切れ目が人を幸福にするんだろうか。途切れ目を見つけさえしたなら納得してこの世界が回っていようと回ってなかろうとなんだってよくなるにちがいにない。なんのために回っているのか、きっと考えもしない。きっとそれが死というものなんだ。誕生の前、ぼくの生まれる前をぼくが見つけられないなんて。ぼくの過去を、ぼくが忘れてしまったなんて。先生には言えないよ。先生だけには。

ベンジャミンは何週か回って馬からおりるとかぼちゃの馬車の中をのぞいてズボンのポケットから携帯電話をとりだして先生のやさしい寝顔を写真におさめた。

向かいの椅子にベンジャミンも靴をぬいで膝を曲げて横たわると目をつむった。

目を閉じたまぶたからすこし涙がこぼれおちた。

 

 「くるしみっていうのはほんとうに、きりがない」

「かなしみっていうのはほんとうに、きりがないよ、ベンジャミン」

先生の声で目を醒ますと先生の姿がなくなっていた。

不安になったベンジャミンは先生の姿を探した。

もう日が暮れかけてきてあたりは薄暗い。

 ひょっとしてうさぎ男との因縁を思い出してけんかを吹っかけにでも行ったのだろうかとポップコーン屋に行ってみたが店はひとつ残らず閉店になっていて真っ暗だった。

その周りを探してみても先生の姿はどこにも見当たらない。

ベンジャミンは急に泣きたいような気持ちになってきた。

先生が言った「戻れなくなるかもしれない」という言葉がとてつもない恐怖と共によみがえり絶望的な気持ちになった。

こんなところで戻れなくなって死ぬまで過ごさなくちゃならなくなったらならぼくはどうしよう。

 絶体絶命だ。誰もいなくなったこの遊園地はまるで、死体のようじゃないか。

ベンジャミンは打ち震える心で叫んだ。

「死体だ!」

「山のようにでっかい死体だ!」

するとベンジャミンの右肩に誰かが手を載せた。

「うわああああああああっ」

ベンジャミンが悲鳴をあげて振り向くとそこには先生がぎょっとした顔をして突っ立っていた。

「どうしたんだいったい、何があったんだ?死体ってなんのことだ?」

「先生いったいどこに行ってたんだよ、ぼくを一人で置いていくなんてひどいじゃないですか」

ベンジャミンは心からホッと胸をなでおろして泣きそうな顔でそう言うと先生は微笑みながら返した。

「なんだなんだそれは悪かったよすまなかった。先生はベンジャミンを起こしてもなかなか起きないもんだからそこらをぶらっと散歩したついでにトイレを見つけたんでトイレに行ってたんだよ」

 ベンジャミンは先生の左腕をぐっと掴んで引っ張ると叫んだ。

「先生!はやくあの船に乗らないと!」

先生はそんなベンジャミンを制して立ち止まった。

「待ちなさいベンジャミン。今からあの船に乗るのはとても危険だ。船の中に着いたころにはもう真っ暗闇だ、灯りを持っていないから操船できないし、航海もできないぞ。この遊園地はもうとっくに閉館時間を過ぎている、今日のところは戻ることにしよう」

ベンジャミンは納得のいかない様子で海に浮かぶ山のようにでっかい船影のほうを見やった。

先生はベンジャミンの前へ回ると言った。

「ベンジャミン、先生が眠ってしまったせいで船に乗れなかったのだから、この借りは必ずおまえに先生は返す、次には一緒にあの船に乗るとおまえに先生は約束する。先生を信じてくれるか」

「でも先生いつも先生を信じるなって言うじゃないですか」

「それとこれとでは話が別だベンジャミン、先生が言ってるのは、おまえの大事なものを先生が借りた事実を先生がなにがなんでもおまえに返したい気持ちを信じて先生と一緒に戻ってほしいと頼んでるということだ」

「でも先生、この遊園地は次も来ることはできるんでしょうか」

「おまえがほんとうに望みつづけるならば必ず来れる。それは安心しなさい」

「わかりました先生、ぼくは先生のいうことを聴きます。そのためにぼくは先生の生徒であることを選んだのだもの」

「よし、では戻るぞ、ベンジャミン、帰り道に向かって先生を誘導しなさい」

「はい、あの蜂の遊具の近くが入り口と出口でしたから、あの場所へまずは戻りましょう先生」

二人は暗がりの遊園地の中をならんで歩きだした。

ベンジャミンはふと後ろを振り返って船影の向こうの海を見つめるとその濃い色の紫はその空とまったく同じ色であった。

向き直って少し歩いてゆくと先生が小さな声で言った。

「ベンジャミン、なにか後ろから足音のような音が聞こえないか」

「そういえば、何か足音っぽい音が聞こえてきますね、なにかしら先生」

「おまえさっき振り返ったとき何か見えなかったか」

「何も、カシス色をした海と空いがいは」

「もしかして、アナルカシスが着いてきてるんじゃないのか」

ベンジャミンは震える声で応えた。

「まさか、だってその名はぼくが作った名で、彼はどこにも存在していないのですから」

ベンジャミンはそう言いながら心の中でアナルカシスに謝り倒した。お願いだから化けて出てこないで。ぼくはふざけていたけれど、ふざけていたわけじゃないんだ。

「先生アナルカシスというのは漢字で書いたら穴のなかに流れるカシスと書いて”穴流カシス”なんです」

「いったいどういう意味なんだそれは」

「つまりそれは…大きな闇のような穴の中に濃い紫色の粒粒の実が流れ落ちていくという意味で、その濃い紫色の粒粒とはすべての闇の一歩手前のぼくたち生命を表していて、だから濃い紫色をしているんです、で、それが本物の闇の穴の中へ流れ込むというイメージと言いますか、すみません今考えました」

「なかなか面白いじゃないかベンジャミン、そういったひょんなイメージが真理を表現しているものなんだよ」

「でも先生、足音がおっきくなってきていませんか」

「気にするな、気にしだしたら余計に大きくなってくるぞ、あとを着いてきているのは存在しないものだ、さて、存在するものと存在しないもの、どちらが後を着けてくるほうが恐ろしいと思う?ベンジャミン」

 「先生どちらも怖いよ、だって存在しないものとイメージした瞬間、それは”存在しないもの”として存在してしまうような気がするじゃないですか」

「ははは、引っ掛け問題だよベンジャミン、気にした瞬間にそれはなんであろうと存在を感じるものとして人は恐怖する、だから気にせず忘れること以外にこの恐怖から逃れるすべはないぞ」

「でも気にしてはいけない、気にしてはいけないと思えば思うほど気になってしまうものです。先生はこの足音の正体はいったいなんだと思いますか?」

「ベンジャミン、目を閉じてよく聴いて御覧なさい」

ベンジャミンはそう言われて目を瞑ると足音だけに集中した。そして目を開けて先生に言った。

「先生ここは、ここは、ぼくらの願望と恐怖をほんのすこし後にこだまのように返してくる場所だったんだね、後ろからつけてくる足音の調子はぼくの踏む足音のリズムとまったく同じリズムと音だ、さっきまでは先生の足音も聴こえてきてたはずなのに、先生が気にしなくなったから先生の足音は消えてしまったんですね、そういえば恐怖という言葉を思い浮かべるだけで恐怖を感じます、なんの恐怖かもわからないのに」

「恐怖というもの自体が恐怖であることの証だよ、それにしてもベンジャミン、さっきから先生とおまえは同じところを何遍ぐるぐる回っているんだ?」

「だって蜂の遊具が見当たらないんです、これじゃ出口まで行き着けない、先生どうしよう」

「ベンジャミン落ち着きなさい、せっかく足音が消えたのに今度はまた新たな恐怖に恐怖しているぞ、おまえがここへ先生を連れてきたのだからおまえの戻る道でないと先生も帰れないんだ、蜂の遊具は小さいから見つけづらい、そのそばにパンダの大きな乗り物があったじゃないか、蜂はやめてパンダを探そう」

「パンダなんて、見なかったよ先生、なぜだろう。もしやあのうさぎ男の自家用車があのパンダの乗り物なんじゃ、きっとそうだ、そうに違いないですよ先生、乗って帰ってしまったんだ、ああどうしよう、目印が、大事な道標を、あいつは奪ったんだ、ピンクのうさぎは白と黒と前脚の先がじゃっかん茶色がかったパンダの背中に乗って竜宮城へと帰ってしまったんだ」

「ベンジャミンいいから落ち着くんだ、恐怖のあまり思考がちょっとした狂者風になっているぞ、しかしあのうさぎ男がパンダの乗り物に乗って家路に着くというのはまったく違和感がない話だな。もうここは致し方ない、先生は今からうさぎ男に電話をかけるから、あいつがやってきたらおまえは出口の場所を聞き出しなさい。お礼に次はLLサイズのポップコーンを買うと言えば教えてくれるはずだ」

「先生なんでうさぎ男の番号を知っているの?」

「当てずっぽうだよそんなものは」

先生はそう言うと携帯電話をどこからともなく取り出して番号をプッシュし、耳に当てて話し始めた。

「悪いが今すぐにここに来てくれ、勿論、礼は弾むよ、ありがとう。おまえの恩は絶対にたぶん忘れない」

電話を切ると先生はベンジャミンに向かって「すぐ来てくれるそうだ、これで安心だ、それまであの呪われた木が人間を羽交い絞めにしようとしているようなベンチにでも座って待っていよう」と言って大きな曲がりくねった呪われた魔女の木のベンチに向かって歩いていった。

ベンジャミンは左隣に座る先生の横顔をきょろきょろと眺めながら「先生うさぎ男ほんとうにやってくるの?」と訊いた。

「必ず来るさ、それくらいの能力がなくては先生は先生をやっていられない」

「それじゃ先生はこの遊園地の出口を見つけられないの?この場所を日が落ちてもあぶなくない場所にはできないの?先生は何故好きな女を自分のものにはできなかったの?」

「ベンジャミン、最後の質問だけ明らかに先生の傷口をえぐっている、やめなさい」

「だってそれくらいの能力は先生は持ってるんじゃないんですか?」

「先生はそれくらいは持ってるさ、だからこそ自ら叶えないものがたくさんある、先生は何を叶えるべきかを知っている、先生は好きな女の自由を奪うことなんて、したくなかった、先生は女を自由にできる魔法があるからこそ、女に嫌われて捨て去られるという人生を選んだんだ、先生は決して負け惜しみで言ってるわけじゃないぞ、おまえのことだって同じだ、おまえのほんとうに望むことと反対のものを先生はおまえに経験させたりはしない、だから先生の過去の女の話を持ち出して先生を意気消沈させることはやめなさい、いいね、ベンジャミン」

するとベンジャミンは右を指さして言った。

「先生、あすこのぬいぐるみが並んだショーウィンドウの影にいるのパンダに乗ったうさぎ男だよ!ほんとうにパンダが自家用車だったなんて、すごいや」

「ほんとうだ、さ、早くあいつのところに行って出口の場所を訊いてきなさいベンジャミン」

「うん!」

ベンジャミンがなにひとつ恐怖を抱かずに走っていったことに先生はホッとした。

交渉をし終えた様子でベンジャミンが息せき切って戻ってくると嬉しそうな顔で言った。

「先生うさぎ男が教えてくれたよ、出口の場所!」

「おおそれはよかった、で、どこだって?」

ベンジャミンは先生の頭上を指さした。

先生が頭上を見上げて言った。

「なんだこれは、先が真っ暗闇で見えないじゃないか、この大きな穴、ここが出口だって?」

「そうだよ先生!どんな感じ?」

ベンジャミンはベンチの上に立って先生の上を覆いかぶさるようにして垂れていた太い木の幹の真ん中にくり抜かれた深くて大きな穴の中を覗きこんだ。

「ほんとうに真っ暗だ先生、先生は先に入るの怖い?それならぼくが先に入るよ」

勇ましいベンジャミンに感動して先生は返した。

「では先にベンジャミン、おまえから入ってくれ、そして安全かどうかを先生に教えなさい、そしたら先生はおまえの後をゆくから」

「OK!なんだかドキドキするな、こんなに真っ暗な深い穴の中に入るのは初めてだよ先生」

ベンジャミンは木の穴のふちに手をかけるとよじ登って中へと入っていった。

ベンジャミンの姿がまったく見えなくなって不安を感じた先生は「ベンジャミン」と呼びかけた。

「どうだ、穴の中は?何か見えるか」

するとすこし経ってから返事が聴こえた。

「先生、まだすごく暗いよ、何かがあるように見えるんだけれど、何があるのかよく見えないんだ、でも危なくはないみたい、先へ進めそうだよ、先生もおいでよ」

先生は大きく声を張り上げて穴の中へ向かって返事を返した。

「今から先生も入るから、そこで待っていなさい」

「OK!先生を待ってるよ」

 

 

 

 

 

 

先生が静かに目を開けるとベンジャミンは目の前の椅子に座りながら眠っていた。

窓際の席から見える夜の空はよく晴れている。

ベンジャミンが風邪をひくといけないから小さな電気ストーブをつけたまま眠ったことを思いだす。

先生はベンジャミンの肩をつかんで小さく揺らした。

 ベンジャミンがゆっくりと瞼をひらけてゆく。

目の前に先生が安心したような顔をして座っていた。

ベンジャミンはあたたかい教室の中でとても心地がよかった。

そういえばこんなに夜遅くまで教室に先生と一緒にいるのは初めてだ。

ベンジャミンはふと左の窓を見た。

「先生、カシスの海と空だ、カシス海、Cassiskyだ」

そういうとベンジャミンは先生に向かってこぼれおちそうな顔で微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


DIIV - Earthboy

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ѦとСноw Wхите 第6話 〈イエス〉

イェスワは言った。

「求めつづけなさい。そうすれば、あたえられる」

「探しつづけなさい。そうすれば、見いだせる」

「叩きつづけなさい。そうすれば、ひらかれる」

 

「だれでも求めつづける者は受け,探しつづける者は見いだし,まただれでもたたきつづける者には開かれるのです」

 

「あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか」

「魚を求めるのに、へびを与える者があろうか」

「このように、あなたがたは悪しき者であっても、自分の子供には良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、願い求めつづける者に良いものを下さらないことがあろうか」

「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。

 これが律法であり預言者である」

 

 

マタイによる福音書7章7節~12節

 

 

Ѧ「イェスワとはナザレのイエスイエス・キリスト)のことだよ。イエスの当時住んでいたユダヤのガリラヤ地方(今はパレスティナのガリラヤ)で使われていたアラム語の呼び方なんだ。昨夜、前に観てすごく感動したイエスが処刑されるまでの12時間を描いた映画「パッション」をもう一度観たんだ。そこでイエスの母マリヤがイエスのことをそう呼んでいた。当時のガリラヤ地方はひどく貧しくて飢えと病気が蔓延し、見捨てられ疎外された人々が住んでいたところだったんだって。そこでイエスは30歳の頃になって初めての宣教を行なったんだ。自分は神の子であり、またあなた方もすべて神の子であり、求めつづけるなら得られないものはなにひとつないと教えまわったんだ」

 

 

 

 

 

 心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
(「マタイ福音書」五章3―12節)

 

 

 

 

Ѧ「”心の貧しい”とは難しい表現だけれども、”心”の原語のギリシャ語は”霊”であるんだって。霊とは、自分という自己を超えたところにある存在、だから霊の貧しい、というよりこれは、霊に貧しい、だと思うんだ。霊に貧しいとはどういうことかをѦは考えてみると、それは神の声を聴くことができない人たちのことでもあると思う。自分の中に、神は存在しないと言う人、神を信じない人、神を見ない人、見ようとしない人、求めることで与えられることを信じようとしない人、その人の心は霊にとても貧しく、困窮した状態がひっきりなしに続いている状態にあるんだと思う。何故人が神を見るのかは、ひとつに求めれば与えられることを知るからだと思うんだ。それは自分の力ではなく、自分を超えた何者かである神の力だと人は感じるはずだよ。だから心の清い人は、神を見るが、その心が濁れば濁るほど、神が見えなくなる。でも神を見る者だけが”幸いである”とイエスはけっして言わなかった。イエスは神を知る人も知らない人もすべて、あなたがたは幸いである。と言ったんだ。Ѧは思うんだ、神を見ることのできない苦しみほど、苦しいものはあるだろうか。すべて起きる物事は偶然であり、自分だけのために生きて、死ねば無になると信じて虚無のうちに生きることほど苦しいものはないよ。罪を知ることは苦しみでありながら、それは喜びなんだ。罪を知れないことこそ、苦しみなんだ。”霊に貧しい”とは、罪を知らない人たちのことだとѦは思う。人はそれを無知と呼ぶ。でもイエスは無知の人々をも救おうとした。”あなたがたは幸いである”と教え、そんなひとたちも必ず天の国に入ることができるということを約束したんだ。つまりイエスは、一人残らず、すべての人が救われることを約束した人なんだ。イエスはその約束が本物であると人々に見せるために、自ら拷問による死を受けたのだと思う。どのような肉なる苦しみも、霊の喜びに打ち勝つことはできないことをみんなの前で証明したんだ。肉体の苦しみはいっときであるが、霊の喜びは永遠であるということをイエスはみんなに教えたかった。それがあなたがたすべての、ほんとうの喜びであるということを」

 

 

 

 

 

 

Ѧ(ユス、ぼく)はそういって熱を静めると西日の中にСноw Wхите(スノーホワイト)に向かって走っていき、その腕に抱かれ、アッパ!(Abba、アッバ、アラム語で父)と呼んで微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ѦとСноw Wхите 第5話 〈願いと恐れ〉

Ѧ「”引き寄せの法則”というお話はѦ(ユス、ぼく)とっても好きだけれど、その中にもやっぱり引っかかるものがあるんだ。それは無意識で引き寄せることが惰性によって引き寄せているというところ。Ѧはとってもポジティブな考え方の中に、どうしてそのようなネガティブな考えを入れるのかがよくわからないんだ。Ѧは惰性で引き寄せている、という考えより、すべてがすべてをほんとうの願いによって叶えている。と考えるほうが好きだな。無意識と、意識の境地を分ける必要はないように思うんだ。Сноw Wхите(スノーホワイト)はどう思う?」

 

Сноw Wхите「わたしもѦの考え方がとっても好きです。この宇宙には、何かだけが正しくて、あとは間違っているということはけっしてありません。ѦがѦをいちばんに幸福にし、そしてѦの想うすべての幸福になると想う考えかたをѦは選べばよいのです。すべてが、自由に選びとることができます。無意識によって引き寄せるものとは、それほど関心を持たないのに引き寄せると思われがちですが、無意識によって引き寄せるもののほうが実はほんとうの自分が強い関心を持っている場合がたくさんあります。人間はそして深く考えれば考えるほど、それが無意識だったのか、意識的だったのかを分けることが困難になってくるはずです。そこを分ける必要はѦの言うとおりに、ありません」

 

Ѧ「Сноw Wхите、Ѧは選びたいものを自由に選びとれることがほんとうに嬉しい。Ѧはだから、好きで引きこもりをやっているんだね。好きで外を恐れている。好きで人を恐れ、鏡を恐れているんだ。Ѧはとても苦しいのに、とても嬉しいから毎日はとても充実している。知りたいことが無限にあるということが、Ѧを幸福にするんだ」

 

Сноw Wхите「その調子ですぞ、Ѧ」

 

Ѧ「なんだか、きゅうに出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)みたいな話し方になったねСноw Wхите(笑顔)」

 

Сноw Wхите「そんなことはありませぬぞ?」

 

Ѧ「Сноw Wхите(笑顔)」

 

 

 

「四つ足を食ってはならん。

共食いとなるぞ。

草木から動物生まれると申してあろう。

臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」

「日本は、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、みな人民の食いて生くべきもの、作らしてあるのぢゃぞ。

日本人には、肉類禁物じゃぞ。

今に食い物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ。

こんどは共食いとなるから、共食いならんから、今から心鍛えて食い物大切にせよ」

「霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠く離れたものを好む。

現実社会における、山菜、果物、海藻などに相当する植物性の物を好み、同類である動物性のものは好まない。

なぜならば、性の遠く離れた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。

霊人自身に近い動物的なものを食べると歓喜しないのみならず、かえって不快となる」

 

 

 

Ѧ「おにさぶろうさんは肉食の害についてはっきりと言及しているね。おにさぶろうさんはこれからやってくる世界的な食料危機や天変地異の災害や世界大戦による終末の預言をしている人でもあるんだ」

 

 

 

地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。

よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。

月は赤くなるぞ。

日は黒くなるぞ。

空は血の色となるぞ。

流れも血ぢゃ。

人民四ツん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ。

地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとて、神でも逃れることは出来んぞ。

天地まぜまぜとなるのぞ。

ひっくり返るのぞ。」

 

 

Ѧ「とても、恐ろしい預言をおにさぶろうのおっちゃんは言ってるね。広島長崎の原爆を”あんなちょろいもんやない”って言ったらしいよ。地球もいま新しい世を迎えるためのこの世の歳晩をひかえていて、そのために大洗濯や大掃除をしなくてはならないんだね。でもどうか、生物すべてに耐え切れない苦しみが訪れないことをѦは願うよ。でもなんて恐ろしい預言だろう。天地がまざってひっくり返るって、天を驚かし、地を驚かして交ざりあってもうなにがなんなのかわけわかんなくなるほどの驚天動地のことが起きるって意味なのかな」

 

Сноw Wхите「Ѧ、Ѧの願いが強くなればなるほど、その願いは必ず叶います。Ѧは余所見をする必要はありません。Ѧは恐ろしい預言を、恐れる必要はありません。Ѧは恐れを恐れつづけることより、願いを願いつづけることを選択したからです。Ѧの恐れは、すぐに消え去ってゆくものです。Ѧはあまり関心をいま持ってないのです。恐ろしい終末を迎えなければ、新しい世が誕生しないという固定観念をѦのこころの絵の具で塗り替えてください。母が子を産みだすときに、産みの苦しみを味わわなくてはいけないという観念を持ちつづければ、それはそのとおりになります。でも何の痛みも苦しみもなく子を産み落とすことは実際できるのです。Ѧ、苦しみを求めつづければ、苦しみはもたらされます。そして喜びを求めつづければ、喜びはかならずもたらされます。Ѧは、母なるEarth(アース、地球)にむかい、こう預言してください」

 

”あなたはこれからひとりのメシアなる子を生み落とす。

その喜びはいままでに感じたこともない天と地が驚くほどの歓喜にみちみちたものであるだろう”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ѦとСноw Wхите 第4話 〈魂〉

Ѧ(ユス、ぼく)が何日か振りにベランダのプランターにお水をやると、レモングラスの草の下に小さなアオムシが寝っころがっていた。きっとさっき枯れかけた草を引っこ抜こうとして引っ張ったときに下に落っこちたのかもしれない。引っこ抜くのはやめておいた。

でも、あの子、無事に蛹になれるんだろうか。食べられる草はあんまりなさそうに見えた。

Ѧがお水をやらなかったせいで、あの子の食べ物もなくなってお腹をすかせていたならかわいそうだ。

草に水をやらないことは、草だけじゃなくてそこにやってくる虫たちの命にも関わることなのだとѦは感じた。

あの可愛いアオムシは、モンシロチョウになるのだろうか。いつ一匹の蝶がѦのベランダへやってきて、卵を産みつけたのだろう。ここは5階だから、ずいぶんたかくまで飛んであがって来たのだなとѦは思った。

Ѧは虫の中でもイモムシがいちばん好きだった。何度も蛾や蝶のイモムシを育て、羽化させたことがある。でも何度も、失敗して死なせたことがある。

想いだすとѦは泣きたくなるのだった。

Сноw Wхите(スノーホワイト)、羽化できなかった虫たちは次はいったい何に生まれ変わるのだろう。

ѦはСноw Wхитеを呼んだ。

Сноw Wхите「それはѦの彼らに対する気持ちしだいです。Ѧがほんとうに可愛がった生き物たちは、次の生も、Ѧのそばへくることがあります。またѦに育ててもらおうとするのです。生物の種類は変わっているかもしれません。Ѧが可愛がった虫は、動物の姿で現れるかもしれませんし、人間の姿かもしれません」

 

Ѧ「Ѧも虫だったり、動物だったりしたときがあるの?」

 

Сноw Wхите「厳密に言うなら、そうであったとも言えるし、そうではなかったとも言えます。何故なら、人間以外の生命は、個の魂というものが存在しないからです。彼らはすべてで一つの魂なのです。その一つの魂が、あらゆる生物の形をとって生まれてくるのです。そしてその中から、人間の魂が生まれて、個の魂としてできてくるのです。もともとは人間以外の魂からѦは生まれてきたので、Ѧも昔に虫や鳥や動物として生きていたとも言えます。でもそのときに生きていた記憶は、Ѧだけの記憶としては在りません。人間以外の生命の記憶はすべて一つの大いなる魂の記憶として記憶されています。すべてが繋がっているのです。ですから自然にあるものに人間は癒されたり、または小さな虫の痛みにすら同調したりするのです」

 

Ѧ「Ѧはまるで、Ѧの生まれるまえのѦの魂を苦しめつづけていたんだね。悲しくてたまらないよ」

 

Сноw Wхите「Ѧは、そうじぶんで決めて生まれてきたのです。じぶんじしんを苦しめつづけなければ知ることのできないことがたくさんあるからです。それはほんとうに深い悲しみです。Ѧが新しいことを知りたいのは、すべての大きな喜びのためにです。すでにѦが体験して知っていることばかり知りつづけても、喜びはちいさいのです。この世界は無限であり、知らないことは無限大にあります。犠牲というものが、どちらか片方だけのものではないことを知ってください。どのような犠牲も、双方にしあうものなのです。Ѧがだれかを苦しめつづけることは、Ѧ自身が、苦しみつづけることです。それはѦが彼らに払いつづける犠牲でもあるのです。Ѧの”苦しめてごめんなさい”という気持ちは愛でできています。でもѦはもう彼らを苦しめない生き方を選んだのです。これからはどうか彼らに謝罪ではなく、感謝しつづけてください。彼らは人間に生まれて、Ѧといつの日か、喜びのうちに笑いあえる日が必ず来ます。彼らの愛はとても深いのです。人間を赦さない気持ちを彼らは持つことがないのです。彼らと喜びあえる日を、待ち望んでください」

 

Ѧ「Сноw Wхите、ありがとう。Ѧは待ち望むよ。すべてとあたたかい愛のうちに、笑いあえる日が来ることを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ѦとСноw Wхите 第3話 〈夢〉

そういえば、ぼくの憶えていない夢はどこに存在しているのだろうか。

Ѧ(ユス、ぼく)はそんなことを目がさめてComforter(カンファダー、掛けぶとん)に包まれながらふと思った。

 

 

 

Сноw Wхите「Ѧが夢を見た瞬間、それは存在するのです」

Ѧ「Сноw Wхите(スノーホワイト)、Ѧの心の声を聴いてそばに来てくれたんだね。Ѧが知らない夢なのに、どこかに存在しているの?」

Сноw Wхите「その夢は、ほんとうはѦは憶えているからです。でも憶えていないようにѦはみずからѦの記憶を書き換えているからです。Ѧの見る夢も、Ѧが心にえがく夢も、すべてが存在するのです。ただ、いまѦの前にѦの認識できる形をとって現れてはいないだけなのです」

Ѧ「それじゃぁѦがСноw Wхитеの夢を見なくても、ѦがСноw Wхитеの夢を見たいと思ったらもうその夢は存在するってこと?」

Сноw Wхите「そのとおりです」

Ѧ「どこに、存在しているの?」

Сноw Wхите「Ѧの内側に在ります」

Ѧ「Ѧの中にСноw Wхитеはいるの?」

Сноw Wхите「そうです。わたしはѦの外にはいません。でもそれは、すべてがそうなのです。Ѧの見るすべて、感じるすべてはѦの外にあるのではなく、Ѧの中にあるのです」

Ѧ「Ѧの外にはなにもないの?」

Сноw Wхите「なにもありません。Ѧはほんとうはすべてを知っている存在だからです。Ѧが知らないものは、存在しないのです。言い方を変えれば、Ѧが知らないなら、それは存在できないのです」

Ѧ「ほんとうのѦはすごいな。いまのѦはほんとうのѦが生み出した赤ちゃんみたいだ。知らないことばかり、わからないことばかりだ」

Сноw Wхите「赤ん坊は夢の中ですべてを見ているのです。赤ん坊はほんとうはすべてを知っています。そして深い眠りの中にいるすべての生命が夢の中ですべてを見ているのです」

Ѧ「Ѧ、今日こんな夢を見た。狭く不安な暗い部屋のドアを開けたら、左側のよどんだ薄い青緑色の水やがらくたが入った水槽の中から、白くて長い身体の毛の生えた龍のような美しくて可愛らしい獣がCлоw мотион(スロォモォション)で飛び出してくるんだ。なぜあんな夢を見たんだろう」

Сноw Wхите「Ѧの見たいものすべてがそこに在ります。

ѦはそのАнxиеты(アンザイェティ、不安)で暗く、冷たく汚れた空間とその中から白く美しい生き物が現れるという美しき対比の世界を見たいと思っているのです。Ѧのいまそれを見た心は不安の要素が強かったかも知れませんが、その世界をѦは未来に必ず描きあげるはずです。それに夢はとても抽象的なのです。Ѧが恐ろしさを感じる夢を見たからといって、Ѧがそのままの恐ろしいものを描きたいと思っているわけではないということです。Ѧの見るすべての夢が、Ѧの心を激しく震わせるほどの喜びを内包しているのです。だからどんなに恐ろしい夢を見ても、恐ろしさだけに焦点をあわしつづけないでください。Ѧを苦しめるために、Ѧは恐ろしい夢を見るわけではないのです。ほんとうのѦはいつもѦを喜ばせたいと思っています。だからほとんどの夢はすぐに忘れるようにできています。Ѧが恐ろしさを感じ続けることのないためにです。Ѧはどんなに恐ろしい夢を見たとしても、安心して眠ってください。安心してわたしに会いに来てください」

Ѧ「Ѧは、すべてのものに同じだけの美しさが内包されているということを知りたい。ところでСноw Wхите」

Сноw Wхите「なんですか?」

Ѧ「Ѧを、Сноw Wхитеの花嫁にしてくれる?」

Сноw Wхите「勿論です」

Ѧ「Ѧ、死神の花嫁になるのが夢だったんだ。Ѧは昔から死神を信仰していたんだよ」

Сноw Wхите「わたしはそれを知っています。Ѧはそのときからわたしの花嫁です。そして、わたしのマザーでもあります」

Ѧ「なんだって?Сноw WхитеがѦのМум(マム)だよ」

Сноw Wхите「でもわたしのМумもѦなのです」

Ѧ「なんだって?それじゃ、甘えられないじゃないか」

Сноw Wхите「そんなことはありません。母も子に甘えて良いものなのです」

Ѧ「なんだ、Алл ригхт(オールライト、それでは)、Сноw Wхитеよ、ѦのМумでѦの子でѦの花婿よ、さあここへ」

 

Ѧがそういうと、Сноw Wхитеは真っ白な猫のようにまるくなり、Ѧの膝上でねむり始めた。

わたしがあいするのはѦだけです。とSleep talking(夢言、むげん)を言いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インダとガラメ  番外編 「不自由」

 何かに怯えている。何かに。怯えて恐れ縮むどころか膨らみすぎて熱くなっているよ。怯えているのに。何かに。熱くて止まらないものがある。

 ここに親に捨てられた子供インダと親を殺した子供ガラメがいる。さて、今回はどうしたらこの子供は自分を肯定し得るのか。観てみよう。

 わたしは親に捨てられた子供インダの守護霊だ。

 わたしは親を殺した子供ガラメの守護霊だ。

 二人は隣の星星からあたたかいまなざしで望んでいる。その子供たちを。

 インダはあののち、なんどとじぶんの命を奪おうとしたものの、それは叶わなかった。

 ガラメはあののち、なんどとインダをじぶんの物にしようとしたものの、それは叶わなかった。

 二人は同じ学校へ通う。席は今も隣同士だ。ここは犯罪を犯した子供たちの通う学校。なかでもいちばんのガラの悪い子供はガラメであった。

 ガラメはとにかく、言いたいことは相手がどう傷つこうが言う。インダはいつもガラメのひねくれた愛によって傷ついていた。

 さいきん、先生は子供たちすべてに貯金をはたいて奮発し、いちばん安いパーソナルコンピューターなるものを買ってやり、インターネットというものを通して、子供たちと共に顔の見えない場所で交流することでなにかを学ばせようとしていた。

 このクラスの生徒たちと先生だけが入ることのできるチャットルームを作って、みな好きな自分のID名を作り、その名前で交流していくことを決めた。

 しかしやっていくと、誰が先生であるかはみなにすぐにばれてしまった。

 そして個性が強く文字だけからも独特なオーラを発しているインダとガラメの存在もみなに早々にばれてしまったのだった。

 それでもインダもほんとうに言いたいことは言う子であったし、先生も先生が言ってはならないようなことも平気で言う人間であったのでみんなが好き勝手に喋り尽くせる場として、このチャットルームはいつも人気があった。

 ところが、何事にも頭のキレるインダはコンピューター技術をネット上で独学し、先生が作り上げたチャットプログラムにハッキングによってアクセスし、そのプログラムを書き換えてしまったのだった。

 ある日、先生が学校が終わったあとに家でチャットのホームを立ち上げると驚いたことにもう一つの秘密なチャットルームが出来上がっていた。

 その秘密のルームへと入室してみると、人数は8人ばかしいた。

 そこにはインダとガラメのIDがあった。今は誰も話していない。

 先生が文字を打った。

Фреедом  : なんだここは、誰が作ったんだ?

 するとすぐに返事が来た。ガラメのIDである。

ептилиан : せんせい、ここ、インダが作ったんだよ

Фреедом  : やっぱりそうか。インダ。なんでここを増設したんだ? 

 インダは見ていないのか返事がなかなか来なかった。

 先生はそないだに元のチャットルームにも同時に入ることができるのかやってみると、二つ同時に入ることができた。

 元のルームにもインダとガラメのIDがあった。ここは13人ほどいた。

 ここはもう一つのインダの作ったルームと違いみんながよく喋っていた。

 何の話をしているのかとログを追って見ていると、どうやらガラメが今朝に見た夢の話を支離滅裂でわかりづらい話し方で熱心にずっと話していて、それをみんなが適当にツッこんだり、呆れたりしているというよくあるパターンだった。

ептилиан : 足か手か、どっちかわかんないんだけれどもさ、たぶん手かな?親指のさ、下辺りだよ、左手だった。上と下、ふたつの位置にさ、位置がさ、寄生されてるわけ、虫みたいなやつ、穴が開いてんだ、で、下の穴にはさ、虫は居ないみたいだった。でも上の穴にはさ、虫みたいなやつがいた。その虫さ、たぶん妊娠かなにかしてるんだよ、お腹の中がさ、見えるんだ、なんかいるんだよ、でもさ、その虫みたいなやつ自体がさ、それ、産まれる前なんだよ、なんか殻みたいな、卵みたいな?中にいるみたいな感じで、だからぼくの手の中に、卵があって、その卵の中に虫がいて、虫の腹ン中にもなんかいるわけさ、わかる?わからない?でさ、その虫みたいなやつ、蜂っぽかったけども、身体を窮屈そうに折り曲げていた。でももうすぐ生まれようとしている風だったんだ。なのにそいつってばさ、じぶんが産まれる前なのにさ、そいつもなんか産もうとしてるんだよ、だって腹ン中になんかいるんだもの。で、そいつは上の穴にいるんだけど、下の穴はたぶんもう産まれた後なんだよ、空だった、空の殻だった。たぶん。上のやつはさ、今から生まれようとして、たぶん生まれると同時にじぶんも腹ン中のやつを産もうとしているんだよ、でさ、その虫みたいなやつか、その虫みたいなやつの腹ン中にいるやつか、どっちかがさたぶん、寄生神なんだよ、きせいじん、わかる?この「わかる?」っていうのは先生の「わかるか」の真似だけどさ、わかった?まぁいいや、続けるけどさ、寄生神なんだよ。すごくない?すごい?すごくない?どっち?神なのにさ、寄生してるんだよ、しかも神なのに、虫みたいなやつなんだよ、寄生っていうとさ、ぼく蜂に寄生された青虫を育ててたことあるけど、あいつさ、寄生されたら動かなくなっちゃうんだよ、で、動かないからさ、蛹になったんだろなって思ってたら、ある日死んでるんだよ。悲しいったらないよ、あんなの。ぼくは寄生するやつらをひどく憎む。なんでよりにもよって、生きているやつに寄生する必要性があるというんだ?憎い、憎いよ、ぼくはあいつらが。せっかく可愛がって育ててたのに殺されちゃうんだよ、あいつらに。あいつらは悪魔だ、サタンだ、ルシファーだ、死神、タナトスだ、とにかく闇に属するものたちに違いないよ、黒魔術を操る暗黒組織の使者たちだ、もしくは死者の使者だ、危ないやつらだよ、その毒針で刺されたら死んでしまう、彼らは操られてるんだよ。そしてこのぼくも……だって寄生されてたよ、ぼくもね、寄生神によって、っつうことはだよ、ぼくも操られているんだ、寄生神に。寄生神が生まれる前に目覚めちゃったから続きがどうなるかわかんないんだけれどもさ、とりあえず、ぼくがずっと寄生神によって寄生されていたということは事実だ。すごく、ショックだった。ぼくは寄生神の宿主だったわけだ。しゅくしゅ。寄生神に寄生された生命体、宿主。それがぼく。宿主って、やどぬしって読むと、なんだかやどかりっぽいからぼくは好きじゃないな。やっぱり、しゅくしゅ、って言うのがかっこいいんだと思うんだ。みんなもそうは思わないかい。なあインダ、きみはどうだい。

 先生はすこし席をはずして洗濯物を干していて、戻ってきて煙草を一服しながらチャットルームを覗いてみるとちょうどガラメが長ったらしい文章をもうひとつのインダが作り上げたというルームに一気にコピーアンドペーストによって貼り付けたときだった。

 そのときに、ある驚くことが起きた。

 ガラメのIDがそのあとに一瞬にしてルームから消えてしまったのである。

 何事が起きたのかと先生は聞いてみた。

Фреедом : あれ、ガラメのIDが消えてしまっている。なんでだろう。なんか起きたのか?

 元のルームのほうにはガラメのIDはそのままあった。

 少ししてからインダのIDでインダの作ったというルームのほうに返事がきた。

Блуе дарк : 先生、ガラメはすごくうっとおしい。ぼくこの部屋をぼくと先生とぼくのともだちだけのための聖域にしたいんです。いいですよね先生。

Фреедом : それってつまりこういうことか?この部屋はインダがうっとおしいと思う奴ら全員をインダの絶対権力によって追い出すことができるという法が出来上がっている部屋なわけか。

Блуе дарк : そうだよ先生。そうしないと、ぼくは大嫌いなガラメの意味の解らなくて下らない言葉を我慢して見続けないといけないし、いつも喋りまくってるガラメのせいでぼくが落ち着いて部屋で好きな会話さえできないんだ。

Фреедом : インダ。よく考えてみろ。なんのためにこのチャットルームは存在しているんだ。

Блуе дарк : 先生のおっしゃりたいことはわかります。みんなが気兼ねなく喋りたいことを喋られる場を先生はぼくらのために作ってくださいました。でもガラメみたいな我の強い不快になる人間の多い奴が居ると、みんな喋りたいことも喋られなくなるんです。ガラメがせっかくの場を壊したんだ。ぼくだってルームの中で先生にいろんなことを話したりしたいのに、ガラメがいつも喋ってるからぼくが喋られない。

Фреедом : 困ったものだな。これじゃ先生の愛する自由の場が意味を成さない。嫌いな人間をそうやって遮断しているといつまでたっても嫌いなままだぞインダ。それでおまえはいいのか。

Блуе дарк : ぼくは構いません。ガラメは優しいときとすごくムカつくことばかり言ってくるときがあって、どっちが本心だかわからない。くたびれてしまいます。ガラメみたいなやつと一緒にいると。

Фреедом : 先生はガラメの本心を見抜いている。ガラメは本当は優しい奴なんだ。それにガラメはインダのことがいちばん好きだといつも言ってるじゃないか。ガラメがムカつくことを言わないようになるために必要なのはインダ、おまえだよ。ガラメにはおまえが必要なんだ。

Блуе дарк : いちばん好きだと言っといてぼくを傷つけてくるあいつが本当に嫌いなんです。まるでぼくの心をかき乱して遊んでいるみたいに見える。ガラメはきっとサディストなんです。いや、サドでマゾです。変態だ。あいつが部屋に居ると、ぼくはもう嫌だです。もうきっと、ぼくはルームに来なくなるでしょう。

Фреедом : 今ちょっと、ガラメをこの部屋に呼べないか、ちょっと三人で話そう。

Блуе дарк : わかりました。ブロック機能を解きました。彼を呼んでください。

 

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Фреедом : おいガラメ。もう一つの部屋に来なさい。

 

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ептилиан : やあ。来ました。先生。

Фреедом  : よく来た。おまえさすがにいきなりの長文のコピペはやめなさい。みんながびっくりするし、ここはガラメだけの部屋じゃないんだ。もうすこし協調性を持ちなさい。

ептилиан : だってインダ、いるときでも無視するんです。ぼくが話しかけてもさ、無視するんです。悲しいよ。こんなのって。だからああやって驚かせでもしないと振り向いてももらえないんだ。

Фреедом  : 逆効果だ、ガラメ。インダがムカつくことをわかっておまえやってるだろう。おまえは傷つけても謝らないときが多い。それじゃインダから嫌われっぱなしになる。まずインダから許してもらわないとインダが口を利いてくれないのは当然じゃないか?

ептилиан : そうですね先生。ごもっともです。インダ、ぼくが悪かったよ。ごめんなさい。赦してくれ。

 するとその瞬間にまたガラメのIDがルームから消えた。先生が元のルームでガラメに言った。

 

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Фреедом  : ガラメ。明日会って謝りなさい。

 

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 ガラメはガラメで深く傷ついているのか、納得行かないのか返事がなかった。

 先生がインダの聖域ルームへ戻るとインダが何か打っていた。

 

Блуе дарк : 先生は、自由をこよなく愛する人ですよね。でもぼくは、自由よりも不自由を愛します。ガラメみたいな奴、不自由にあるべきです。ガラメの自由が、いったいどれだけの人を不快にさせ続けているか。ぼくがどれだけガラメの我儘を我慢してきたか。

Фреедом  : インダ、おまえは気づいているだろうが、おまえのほうがよっぽど我儘だ。ガラメはおまえにムカつくことばかり言うが、おまえの自由を奪おうとまではしなかった。

インダの聖域はガラメのいない場所だが、ガラメの聖域はインダがいる場所だ。

自由のない聖域とは、いったいどんなものだろうか?

インダ、おまえは嘘を言っている。

何故なら不自由を愛することのできる自由があるからこそインダは不自由を愛することができるからだ。

インダは本当には自由を愛しているんだよ。

自由とはすべての可能性を含んでいるが、不自由には不自由を選択しようとすることの自由さえない。

本当に不自由なのならば、おまえは不自由を望むことすら叶わない。

おまえは不自由を望むために自由を望んでいるのだよ。

自由を愛するものが不自由を愛することができる。

不自由とは、あれは叶うがこれは叶わないというものを言わない。それはほんとうの不自由ではない。それを不自由とは言わない。

不自由とは、なにひとつ叶わないということだ。

おまえは不自由を望むことは叶っているが、不自由でいることが叶っていない。

それは不自由をおまえが自由の意志によって望んでいるからだよ。

不自由など、どこにも存在しない。

不自由とは、死を意味している。

不自由は、なにひとつ、叶えられない。

不自由は、生きることの望みさえ叶わない。

不自由は、生きることを、望むことすら叶わない。

不自由は、生きることを、望まない。

不自由は、死を望まない。

不自由とは、なにも存在しない存在。

それが不自由だ。

ほんとうの不自由は、不自由など、望んでもいない。

死は死を望まない。

死を作り上げることのできる存在、不自由を作り上げることのできる存在、それが自由の存在だけだ。

存在とは、自由のことだよ。

自由とは、存在のことだ。

存在は、非存在になることが、叶わない。

自由は、不自由になることが、叶わない。

おまえは悲しみを愛する子であることを先生は良く知っている。

インダ、自由こそが、悲しいものなのだよ。

永遠の存在ほど悲しいものはない。

だから先生は、愛している。

永遠を。

自由を。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、インダの聖域ルームはなくなっていた。

 という夢を見て目を醒ました先生は、熱い涙を流しながら、眩しい日差しのなか、二度寝した。

  先生の守護霊はそんな先生をやさしい眼差しで見つめていた。